第8話 久方ぶりの全力

 テニス部への体験入部が終わり、その翌日の火曜日は色々な部活を回ることにした。


 この学校には体験入部期間なるものがあり、その期間が今日を入れて四日しかないため、各部活を回るペースを早くしなければならないのだ。


 学校の放課後を知らせるチャイムが鳴り響き、俺と相良はジャージが入った袋をそれぞれ片手にぶら下げながら、昇降口に向かっている。


 道中、他愛の無い話、というより、大体相良とその彼女との惚気話を一方的に聞かされている最中、相良はやっと俺が関心を持てる話を振ってきてくれた。


「──にしてもお前普通にテニス上手かったな。しれっとラリーしてたし……本当にテニス初心者だったのか?」


 それまで、つい鼻くそでもほじくって、角刈りのくせに惚ろ気話を初々しい表情で語るうざったい顔に塗り付けてやろうかと思ってきてたので、少し拍子抜けしたが、俺は平然を装って返答した。


「当たり前だろ。初心者だよ初心者。大体、ラケット握ったの昨日が人生で初めてだからな」


(これはリアルガチな話。ラケット握った時少し嬉しかったぐらいだし)


 そんな言葉に、相良は驚いたものの、次にはジト目で俺を見てくる。


「余程運動神経が良いんだな。マジ羨ましいわ。おまけに頭も良いしイケメンだしよ。死んどけや」


「何故に死ななければならないのか訳分からんし、逆にお前が死んどけや。リア充爆発しろ」


「イケメンは何もかもが、女子から見れば好感ポイントなんだよ。所詮、皆は面食いだわ。後言っておくがリア充に罪はない。というか、彼女を作ろうとしてる努力をしてない奴等に言われたくねえって話よ……」


「ほほう。言ってくれるな。確かにお前の言ったことは正論だ。だけどさっきからイケメンイケメンうるさい。文句があるなら産んだ親に言ってくれないか? ま、文句言うもんなら顔面に拳が飛んでくることになるから覚悟しとけ角刈り」


「お前のそういう素直なところ、結構女子から見ても好感持てるんじゃないか? てか……一々そんな小さい事を親に言うのも可笑しいわ」


「そんな小さい事を本人である俺に言ってる時点で、その理論は破綻してるぞ」


「へいへいっと……言ってるうちに着いたぞ。陸上部」


「あ、はぐらかしたな。まあ後で刈り上げるからいいか」


「それは流石にやめてぇ!?」


 今日のスケジュールは最初は陸上部から行き、それからバスケ部、バトミントン部と回るつもりでいる。


 ここの学校は、途中から体験している部活を抜けて、他部活に自由参加していいことになっている。


「とっても……結構ハードなスケジュールだ」


 放課後の時間は限られている。行動は機敏にしなければ。




= = = = = =





「へぇ、50メートル走か」


 陸上部に体験しにきて三十分が過ぎた頃、陸上部の先輩から各々50メートルのタイムを測ろうと提案された。


「……なんか空気が変わったような」


 当然というべきか、体験してきた人は全員、陸上部に体験している訳だから、自身の足に自信を持っているためか、浮き足立つ訳で──しかも、この場で足が速いことを証明できれば、先輩から一目置かれ、入部した後の地位を確立出来、また多少の人望を集められるため、自身の陸上部員としての価値を誇示できる絶好の機会でもあるため、妙に体験しに来ている人達の目がギラギラしているのを感じる。


 因みに、この三十分で何をやったのかというと、見学だった。

  

 陸上競技部を訳して陸上部なので、当然色々な競技があるため、見学させてもらったのだ。


 先ずトラックを見せてもらい、その後は幅跳びや高跳び、棒跳び等を見せてもらった。


 他のハンマー投げ等の投擲競技は、なんと週に三回、学校が近くの競技場を貸しきりにしているらしく、そこで練習をするらしかった。


 つくづく公立高校なのにこの財力の高さに驚かされる。


「──ではこれから五十メートルのタイムを計りたいと思うので、二人ずつスタートラインに立ってください。スタート方法は公平性を取るため、全員クラウチングスタートでお願いします」


 恐らく計測係だろう女子の先輩からそう言われたので、体験者達の一年は適当に二列で並んだ。


「あ、一応聞きますけど、クラウチングスタートが分からないという人は居ますか?」


「……」


(いや流石に居ないでしょ。中学校の体育の授業でそもそも必修だったし……)


 案の定、分からない人は居なかったため、「では計測を始めていきますね」と、女子の先輩が言い残し、ゴールラインに走っていく。


「久々だな……」


 本気で走ったのはいつ頃だったか。


(確か……去年の最後の体育の授業以来だな)


 不意にそう思ったが、果たして久し振りに走って大丈夫なのだろうかと不安が募る。


「位置について。よーい」


 スタートラインに立ち、最初に走る二人の一年男子のクラウチングスタートの準備が整った時、陸上部員の「スタート!」の掛け声と同時に赤いフラッグを振り下げると、二人は全力疾走で、トラックを駆け抜けた。


 終始僅差で走り終えた二人のタイムは、流石強豪の陸上部に体験しに来る程の自信を持つぐらいと言うべきか、6秒前半という好タイムを叩き出していた。


 いきなりハードルが高く設定されてしまったのか、周囲の一年達は「行けるかな……」という不安を煽る言葉を、口々に吐き出しているが、それより重要な問題に直面している俺である。


 二人ずつ走れと言われたため、適当に周囲の人へ声をかけるも、既にペアが結成されていたのだ。

 その後も懸命に、一緒に走ってくれる人を探したが、中々見つからず、遂に見つかったと思えば、その人は足が超速いと先程から噂されていた有望株だったのだ。

 しかも順番が最後である。


 公開処刑というのはこういうことをいうのだろうか。


「はあ……」


 ──確かに、気持ちは分からないでもない。


 折角の自身の足の速さをアピール出来る機会だというのに、一緒に走る人が自分よりも超速くて、タイムと、なにより格好の良さで負けてしまえば本末転倒なのだ。


 だから誰もこの有望株の一年を誘わなかった。

 比較的勝てそうな相手、或いは実力が拮抗していそうな相手を選んだのだろう。


 だけどそっちの方がまだ良いだろう。


 俺はなんせ、そういう理由とかが一切無くて、偶然ともいうべきかは知らないが、自然にハブられた男だからな。


 まだ足が速いのを恐れられてハブられた方がマシだ。


(俺ってそんなに存在感がないんだな……まぁ適当に抜いて走るか。他の部活もこの後回らないといけないし、体力は温存しておかなければ)




 その後も、順調に一年が平均6秒後半のタイムで走り終えるなか、遂に俺の番が来た。


 最後のトリを飾り、しかも有望株が走るということで、結構な注目を浴びている。


(というかこいつ爽やかな好青年って感じだから、より一層女子の目が集中してるような……)


「よろしく」


「お、おう」


「お前速そうだな」


「そりゃ……どうも」


「出来れば手抜いてくれない?」


「元からそのつもりだ。この後他の部活も回らないといけないしな」


「へぇ、そうなのか。じゃあ安心だ」


「……」


(こいつ、白々しいにも程がある。元から俺に勝てると確信しながらこいつは手加減してくれるように頼み込んで来やがった……)


「……そうだな。良かったな」


「ああ。良かったよ」


 止めてくれ。そんな爽やかな笑顔を向けられると、何だか負けたくなくなる。


 こんなボッチな俺だって、女子の前で格好付けたいし、男のプライドがある。


 それに、自分の実力に天狗になっている奴だ。そういうことでも負けたくはない。


 しょうがない。いや、しょうがなくはないが、やってやる。


 これは意地だ。


(全力疾走は久し振りだけど、毎朝昔の癖でランニングはしてきてるからな)


 しっかりと柔軟してから、スタートラインに立ち、ゆっくりと左膝を半歩下げ、腰を下ろす。





(何人お前のようなとんでもない俊足のボランチやサイドバックを抜かしてきたと思ってるんだ)


 無意識にそんなことを思った。


 サッカーは辞めた筈なのに。



「位置について」



(相手の意表を突く瞬発力は──)




「よーい」





(──俺の武器の一つだ)


「スタートッ!」


 赤いフラッグが宙に勢いよく靡いた。


「「……ッ!」」



 振り下ろされたフラッグを置き去りに、俺と有望株はトラックを一直線に駆け抜ける。


 俺の視線の先にあるのはゴールラインただ一つ。


 それはまた、有望株も同じことだろう。


 スタートが上手くいき、徐々に加速して、有望株との差を離れさせる。


 一心不乱に腕と足を振り、かつ上体を起こし、背筋を伸ばす。


 だが流石有望株と噂されていた男、直ぐに立て直してきた。


(やっぱ速えなぁ……!)


 何時以来だろうか。


 これほど勝負というものに熱くなったのは。


 元は、皆に、特に女子達に無様な姿を見られまいとした、ちっぽけな意地と男のプライドが原因で、ほぼやけくそと怒りが原動力だった。


 しかし走っている今では、この状況を楽しんでいる俺がいる。


 誰もが走りたがらないような有望株との対決で、この逆境を楽しんでいる俺がいる。


 ──殆んどの人が、有望株が俺を終始リードし、圧倒すると予想すると同時に、心の奥底では自分達には敵わないと諦めがついていたのだろう。


 だがそんな前評判は覆され、現に俺は今、その有望株といい勝負をし、そして少しではあるがリードをしている。


 何故リードをしているのか。


 足の速さは俺の方がコンマ3秒は遅いだろうが、ただ単に、スタートが俺の方が速かったからだ。


 突然の動き出しをして、敵のマークを引き剥がし、パスコースを受け手自身が造る。


 そしてその逆も然り、突然の動き出しをした相手から自身がマークを剥がされないようにする。


 サッカーは如何にしてフリーになるかが重要で、またフリーになろうとする相手をどう押さえ込むかも重要なのだ。



 敵の意表を突く動き出しで鍛えられた瞬発力、そしてその刹那の動き出しを反復練習のように長年押さえ込んできたがために身に付いた反応速度。


 俺はその二つの要素が秀でていた。


 有望株は、瞬発力はあった。いや、俺よりもあるだろう。


 しかし、反応速度が遅く、スタートが遅れて、結果的に俺がリードする形になったのだ。


 果たしてこれは、神のいたずらか、俺に追い風を立ててくれている。


「……っ!」


 残り十メートル。


 やはり速い、追い上げてくる。

 

 ほんの少し後ろを走る音が聞こえてくる。


 

 このままでは抜かされるだろう。




 だが、残り十メートルだ。


 俺はそのまま最後まで抜かずに走り、そして──



「「「「うおおおおおおおおおおっ!?」」」」





「はあ……はあ……──」




 見事、ジャイアントキリングを達成したのだった。

 







「……!」


 少し離れたところで見ていた相良は、瞠目させていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「お前……一体何もんだよ。滅茶苦茶速えじゃねえか……」


「たまたま追い風が味方してくれたんだよ。あー走りやすかったなー」


「んなわけあるかぁい!」



 現在、相良と帰宅中だ。


 すっかり六時ということもあり、周りは薄暗く、街灯が行く先々を照らしている。


 丁度今は、コンビニに寄った後で、俺の右手にはホカホカのからあげくんが握られている。


 是非ともご飯と一緒に食ってみたいトップ10に入る食べ物なのだが、家に帰る前に駄目だと分かっていても結局衝動的に全部食べてしまうという、悪魔の食べ物でもある。


 しかも運動後で、更には夕食前なら、尚更無意識に食べてしまうことだろう。


(くっ……今日こそは白米と共に食べてやるんだっ……)


 と決意を固めながらも、漂ってくる魅惑的な食欲を大いにそそる匂いを嗅いで、唾液が出てきてしまっている。


 いけない。これでは男でなくなってしまう。


「男に……二言はないッ」


「……お前突然どした?」


 相良からすれば、先程の会話から何故その言葉に至ったのか理解できないらしい。


(まあ当たり前だよな)


「いや、すまん。大したことじゃないんだ。ただ今はこの絶品なからあげくんを白米のお供として食べるために我慢していただけだ」


「……本当に大したことじゃないな。さっさと食っちまえば良いのによ」


「それはいかん。男に二言は無い」


「あっそ。まあ頑張れや」


「ああ。頑張る。男に二言は無い」


「その決意何回言うんだよ……」


 そんな下らない話をしながら、薄暗い夜道を二人して歩いていると、不意に相良から怪訝そうに聞いてきた。


「……なあ」


「ん? 今ちょっと食欲と葛藤してるところだから邪魔しないでくれる?」


「──お前、本当に昔、何のスポーツやってたんだ?」


「は? いきなり?」


「……」


「そりゃまあ……陸上だろ」


(んだよこいつ。いきなりシリアスな雰囲気にさせやがって)


 俺の返答に、相良は「本当なのか?」と、真偽を確かめるかのような声色で問う。


「何が言いたいんだよ。てか俺が何のスポーツやってたかなんて、そんなどうでもいい話──」


「──どうでもよくねえ」


「……は?」


「これまで回ってきたどの運動部活でも、お前は無難以上にこなしてきた。運動神経が超凄いんだなと驚いていたが……特に驚いたのは、陸上部の時だ」


「ああ、あん時か。あれはマジでたまたまだよ。足が速かったのは元々走るのが好きだったから、ガキの頃なんかはよく走ってたんだ」


(これは嘘じゃない。だけどこの先はどう返答するか……)


「本当にそうならいいんだ。だけど、スタート時のお前の瞬発力は…………並の人間の比じゃねえのは誰から見ても明らかだった」


「人間じゃねえってひでえな。多分俺にある才能かなんかだろ」


「才能か。確かにそうかもしれない」


「だろ? だからこの話は──」






「──だけど見えたんだ」


「……? 何が? まさか幽霊とか? 祟られてたのか俺……」


「ちげえよ。そんなんじゃねえ。ただあん時……確かに見えたんだよ。お前の利き脚である右足に、ボールみたいなものが」


「はああ……? お前もしかして薬やってんのか? マジか……しょうがねえ。一緒に行ってやるから自首しにいこうぜ。なあに、骨は拾ってやるから」


(世迷い言だとしてもこいつ凄い心臓に悪いんですけど……なんでこいつ俺とサッカーに関連性を持たさせようとしてくんの?)


「薬なんてやらない決まってるわ!」


「本当かよ……」


 内心ドキドキしながら、相良からの返答を待つ。


「……まあ、俺の見間違えってことなんだな」


「そそ。バカにも程があるってことだ」


「それとこれとは関係ないだろ!」


「いや、まあ……フッ」


「鼻で嗤うんじゃない」


(上手く誤魔化せたみたいだな。……相良はあれなのか? バカなくせに勘は鋭い系男子なのか?)


「おっとすまん。ついな」


「オーケーオーケー。とりあえず、お前が謝る気がないのは充分に分かった」


 相良から展開された先程までのシリアスな雰囲気は、既に二人の間からは消え去っていた。


(こういうときは余程のことが無い限り、何か言われたとしてもはぐらかすに限るな……)


 ボッチの癖に、少し話術が上達した気がする。


「──おっと。ここバスに乗るんだ。じゃあな」


 話に一区切りが着いたとき、いつも利用しているバス停に到着した。


「ああ、お前バスだっけか。今日はお疲れさん」


 相良はそう言うと、直ぐに止まらせた足を動かし、そのまま自身の帰路を歩いていく。


「なんも動いてないけどお前もな」


 遠ざかっていく背中にそう声を掛ければ、相良はそれに応えるように片手を軽く振った。


「なに格好つけてんだかねえ……」


 よく漫画で、今のような相良の去り際のこちらを振り向かずに片手を振るという行動するキャラを多く見てきたので、おのずとそう思ってしまう。


「……」


(とりあえず、このまま運動部を回って、自分に合っている部活が見つかれば、そこに入ろうか。現時点では陸上部が有力だな。足には自身があるし、なによりも有望株に勝ったことだから、それなりに地位は高い筈だからな)


 その後、無事バスに乗って帰宅し、久し振りに本気で走ったがためか、そのまま寝てしまった。

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