地には平和を

@Aren8H

私の名は「はじまり」と「おわり」

 日本語の始まりと終わりの文字の間に、返り点「レ」を組み合わせ、「はじまりとおわり」、「おわりとはじまり」を。同時に、西方の男性名とすることで、東西の融合、性の超越を図るもの。「8」は無限大の形に似せ、「H」は叡智の音による。

「カクヨム」が「神は言葉である」に似るものとして、ここに「聖書の秘密」を書き記す事にした者である。



「祈りの言葉」が通じなかったので、紛争が終わりを見せないでいる。

「平和協定」が終わりを迎えようとしている今、あえてかの国の行動を暴挙とせずに、すべての国が「エルサレム」に大使館を置いてみてはどうですか。

 ただし「2コ1」の。

 一か所に「イスラエル」と「パレスチナ」の大使館を置く。

 紛争地である「エルサレム」を国の数の「治外法権」で埋め尽くす。国が足りないなら「国連」が「出先機関」でも作ればいい。

「イスラエル」と「パレスチナ」の双方が「エルサレム」を「首都」にしたいという願いは叶えられ、同時に領地をめぐる争いを封じられる。

「大使館」を設置する各国も「経費削減」できますよ。


「経費削減」は別の言葉に直すと「経済的」です。

「経済」の語源は「経世済民」です。




「日本国」では、殺したり犯したり盗んだりなどの「犯罪を犯した者」に対してだけでなく、その「親」が「教育を間違えた」と非難される国である。

「他国」からは、個人の問題で「親」を非難することを非難されている。

 

 だけどね「聖書」の世界は、日本式かもしれないよ。


 正しく生きれば、親の名誉は毀損されない。これは「父母を敬う」という行動。

「無謬の神を敬う」という行動は「過ちを起こさない」と同じ。

 神が人類を創造し教義を授けた事、知恵の実の管理体制などが「間違っている」なんて、絶対に言われないように「人」は自らを厳しく戒める。

「偉大な神を信じてる」と公言する事は、信仰心を示す事では無く「十戒」を守るという行動で示すもの。

「神」の名誉のために「人」は「争いを終わらせる」行動を。


 信じるか信じないかは、あなた次第。

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