第50話

 エンジュは後退りし口元に手を置いた。ララァを殺したアムロのように、「取り返しのつかない事をした」と悔やんでいるのだろう。残念ながらその通り。勇者の怒りは今、ランボー並みに高まっている。そして、ララァが言ったような、人が時を支配する時代は未だに訪れておらず、しでかしたやらかしの代償は、何らかの形で精算しなくてはならないのである。この時エンジュが差し出さねばならなかったのは、勇者との信頼関係であった。


「ち、違うのロト……私は……」


 初めて見せるエンジュの狼狽はなんともにならないものであったが、それは彼女が今まで勝者で有り続けてきたからであろう。事に勇者は死をもいとわない叛逆はんぎゃくの姿勢。数多の視線を潜り抜けてきたエンジュであれば、その不退転の意気も伝わっていよう。


「いいから! 消えろ! 散れ!」


 勇者の咆哮には迫力がなく、素人が歌うヘヴィメタルのシャウトのようであったが、紛れもなく本気である事は伝わる渾身の一喝であった。エンジュは更に腰が引け、歪む。近い存在だからこそ効く拒絶の構えはまさに蜂の一刺し。庇護者と思っていた相手からのまさかの謀反むほん。弱者が向ける牙は、時に強者よりも鋭い。


「ねぇ……ねぇロト! 許して! お願いだから許してちょうだい! お願いだから!」


 膝をついたエンジュの慟哭が耳をつんざく。苦悶に満ちた絶叫。悲号。その場に立つものは皆それぞれが顔をしかめるも、心なしか哀れみの表情を浮かべる。大の大人が悲嘆し涙する姿は相当な刺激であろう。


 だが、勇者はまだ許さない。許せないのであった。


「いいからさっさと帰れボケェ!」


 怒り収まらぬ勇者は机を蹴り飛ばし地団駄を踏む。その心はすでに修羅。慈悲はなし。鬼に逢いては鬼を斬り、仏に逢いては仏を斬る。みなぎる皆kill皆斬るスタイルのバーサク状態である。そうこうしている内に、騒ぎを駆け付けた教員がようやくやってきたのであるが、教室の一角で繰り広げられる嘆く巨体と忿怒の痩躯そうくの彩りは地獄絵図であり、さぞかし彼らの肝を潰した事であろう。

 しかし職務である為逃げるわけにはいかなかった。顔面蒼白となりながらも、いの一番にやってきた体育教師はすぐに応援を呼びエンジュの捕縛を敢行。あれよあれよとやって来る他の教師と共に総出で生け捕りを試みるも規格外生命体に敵うはずもなく、しばらくは茶番じみた大捕物が見世物として演じられていたが、ついにエンジュは雄叫びをあげ去って行き、勇者は指導室へと連行され幕引きとなったのだった。

 此度の騒動。本来であれば警察沙汰なわけであるが、皆、エンジュを勇者の関係者と証言し、勇者自身も渋々「そうだ」と述べたことから大事とはせず、なぜか勇者に対して厳重注意の処罰を下し落着と相成った。学校側も斯様なびっくり事件を公にはしたくなかったのだろうが、それにしてもという顛末である。また、これ以降、生徒一同には件の珍入者について緘口令かんこうれいが通達されタブー扱いとなり、勇者はしばらく監禁され個別授業を受ける事となった。しかも、通学帰宅の際には先生方の送迎付きというのだから恐れ多い話である。ちなみにこの騒動は以後、『エンジェルパニック事件』として影の校内史に残り語り継がれ、渦中の人物である勇者もまた、その名を残すのだが、それを本人が知る事はなかった。


 さて、それからというもの、勇者はエンジュとの連絡がとんとつかなくなった。

 電話もメッセージもスカイプも音沙汰なし。ゲームにログインした形跡もなく、たまの休日に出かけても(学校側から禁止されていたのだが当然無視していた)その姿を見る事はなく、市中でなされていた都市伝説めいた噂話もパッタリと途絶えたのであった。

 当初こそ「知らん」と意地を張っていた勇者であるがその生活は火が消えたように寂しく、隙間風が吹いているような気持ちであった。

 あれだけ騒がしかった毎日が嘘のように静かで、孤独となり、身体の一部が消失したような感覚が苦しい。なにか得体の知れない病原菌が押し寄せ、自分の心が謎の病に侵されているような気がしてどうにも落ち着かない。勇者はその理由を気付いていながらも知らぬふりをするが、どうしても、払拭する事ができずにいた。


*えぇ……ちょっと引きますね、それ


 そのわだかまりを述べたスバルに、勇者はゲーム内でそんな誹謗を投げられた。


*なぜだ


*え、だって、寂しいんですよね? 私はまだロトさん好きなんですけど、それが馬鹿らしくなるというか……


*なぜ?


*なんか、痴話喧嘩の内容聞かされてるみたいなんですよ。勇者さんの口振は


*マジで?


*マジです


 そんなつもりは……


 タイプする指を止め、勇者はしずと考える。ひょっとしたらスバルの言も一理あるかもしれぬと、今一度冷静に考え直さんと此度の顛末を振り返り、いったいどのような内容を伝えたのか鑑みることにしたのだ。


 教室に弁当持ってやってきて、挙句唇を重ねてきたのでブチキレた。流石にあれはない。


 何やら拉致され二択を迫られた為、嫌いではないという旨を伝えたところ様子がおかしくなった。確かに曖昧な返事をした自分も悪いが、だからといって先走り過ぎではないか。もう少し考えてほしい。


 多少の暴走ならば知らぬ中でもなし。こちらも世話になっている故大目に見てきたが、校内にまで押掛女房気取りでやってくるのはアウツ。看過できぬ大迷惑である。


 そして今度は雲隠れときたもんだ。なんなんだいったい。なにがしたいんだ。どうしてこんな事になってしまったのかまったくもって分からない。


 ……


「どこか痴話喧嘩だ! 完全に被害者の証言ではないか!」


 思わず叫ぶ勇者。確かに結果だけ見ればその通りである。しかし、タイプの間や句読点。言葉の選び方など、勇者の起こした文章からは怒りや恨みよりも、悲しみの感情が見て取れるものであった。


*電話、してみたらどうですか? 愚痴をこぼすより、スッキリすると思いますよ? それに、わだかまりがあったまま別れるのも辛いと思いますし。


 むぅ……


 実に大人な意見である。女子小学生の精査心的成長は早い。勇者は危うく敬語で、ありがとうございますとタイプしそうになるも、スバルが、買ってやったバーゲンアイテムを装備しているのを見て、あぁこいつは年下だったな。などと思い出すのであった。


*まぁ分かった。後でかけてみる。


*後で。じゃなくて、今かけてください。先延ばしにすればするほど、できなくなるものですよ?


 せ、正論ティー……


 スバルに諭されついクソくだらぬ駄洒落を浮かべてしまう勇者であったが、彼女の一言により腹は決まった。未だ納得はいかず文句は山のようにあるが、対話もせずに一方的に拒絶するのも無情である。勇者は、改めてエンジュと話し合わなければならぬと決心したのであった。


*分かった。ちょっと今から電話してみる


*仲直りできるといいですね


 小学生相手に諌められるのも中々の羞恥レベルなのだが、ともかく勇者はスバルに別れを告げて一旦ゲームをログアウト。数分間スマフォを見つめやや怖気付くも、「いかん」とかぶりを振り深呼吸。表示される電話番号に指圧を加え、決意のタップをいざ決行。


 ……


 …………


 …………


 呼び出し音が長い。

 隙間の空いた勇者の心にはいささか堪える電子音。


 ……どうしたものか。


 いつまでも聞いてはいられないし、鳴らしっぱなしというわけにもいかない。ならばもう仕方のない事。


 これは出ぬな。


 諦め耳から受話口から離そうと瞬間。プツと破裂音が聞こえた勇者は即座に反応。相手が電話に出たのだ。走る緊張。上がる体温。悪事を働いたわけでもないのに気まずく感じてしまうのは人の良さか気弱きじゃくのへたれか。出方を伺う勇者の手にや汗。エンジュの一声やいかに。


「やぁロト君。どうしたんだい? 君からかけてくるなんて珍しいじゃないか」


「すみません間違えました」


 間髪入れずに切る勇者。当然である。エンジュの電話にコールしたのにも関わらず聞こえてきた声は別人であり、しかも、それは……


 ……!


 着信。ディスプレイに表示される名前はエンジュである。出るべきか出ざるべきか。Tobe or Not To be……

 いいや悩む必要などない。例え相手が誰であれ、わざわざエンジュの電話から発信してくるという事は即ち、エンジュに関係した話をしてくる公算が高いという事である。正直なところ、このまま不通となれば後味も悪い。なれば出なければなるまい。勇者は指圧高めに受信ボタンをタップ。恐る恐るスマフォを耳に近付けた。


「もしもし」


 勇者の声は震えていた。なぜなら、先にエンジュの電話から聞こえてきた声の相手は……


「もしもし。間違えていないよロト君。これは、玄一郎の携帯電話だ」


 そうですよねー


 優しくも威厳のある深い声言。

 その主は、エンジュの父である、上々一郎であった。

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