第48話
困ったのはそれからである。勇者が解放された次の日からいつにも増してエンジュが馴れ馴れしく、近く距離を詰めてきたのである。
とはいっても、それだけならまだ許容範囲。勇者は思いの外辛抱強く、多少の大迷惑であればなぁなぁと時が過ぎるのを待つのだが、此度はそうはいかなかった。
「……いかん
学校からの帰り道。
「なんだよ。ルートボーナス的なあれか? 確かに大事だよなルートボーナス。16ポイント貯まらないとブルードラゴンにならないからな」
「パンツァードラグーンの話はしていない。来い。いいから……」
おどける邪鬼を強引に引っ張る勇者の力は強い。もやしボディとは思えぬ強引である。当初こそ訝しんでいた邪鬼であるが、その真に迫る行動から危機感を得たようで、二の句を告げず勇者の言う通りに進行方向を変えようとした。
しかしその時である。邪鬼の隣に立つ勇者が、「あぁ……」と血を吐くような息を漏らしだらりと全身を脱力させたのは。
「なんだ。いったいど……」
その奇怪な様子に思わず勇者の視線を追った邪鬼は言葉突入で「ぎゃあ」と悲鳴を上げた。連れ立つ2人はいったい何を見てしまったのか。それは怪奇じみた不審者の疾走である。4つの目玉の先には、筋肉の塊が、尋常ならざる速度で接近してくるのであった。
「おい……おいサマル……! に、逃げなければ……逃げなければ!」
邪鬼は恐れおののきパニックへと陥ったようである。身体中が大きく揺れ動き始めたと思えば、むやみに左右を確認したり小刻みにジャンプをしたりして落ち着きがない。窮地に瀕した際、自分はどうすればいいのか分からないのである。
「……もう駄目だ……逃げられない……」
狼狽する邪鬼を
「ロトー! 私よー! ロトー!」
「!? あいつお前の名を……そうか! 思い出したぞ! あれは、いつぞやの筋肉ダルマか!? 」
過去にアレを一目見ているにも関わらずその存在を今まで忘れ去っていた邪鬼の能天気さには呆れ返るばかりなのだが、勇者は左様な問題を気にもできないほどに脳が萎縮し、亡失にて立ち尽くすしかできなかった。
もう堪忍してくれ……
声に出さずとも分かる勇者の心中。苦虫を噛み潰し尽くしたようなその表情は、うんざりとというには余りに
勇者がこれほど心底窮しているのは、やはりいまこちらにダシュってきているエンジュのせいであった。例のお泊まり会の後、やたらと勇者の前に立ち塞がってはその身柄を拘束しどこぞへと連行するのである。勇者はこの一週間で千葉県の某テーマパークやら多摩市の某テーマパークはもちろん。都内某水族館やら動物園。果ては御岳に富士に高尾の山まで担がれて、愉快で楽しい人力による山道の峠攻めまで経験していたのであった。ゲームをする時間などあるはずもなく、かといって怒りをぶつけようにも相手は筋肉の化物。しかも、その悲しい過去さえ聞いてしまっているのである。
「邪鬼。ここはいいからお前はもう行け……奴の狙いは俺だけだ」
1人贄となる事を決めた勇者は腹を据えての仁王立ち。望むところの自己犠牲。仮にも友と呼んだ男を守る為、孤軍奮闘花散らし、玉砕当然人間防壁仕る所存であった。この勇者の見せた男の生き様には、さぞかし邪鬼も胸を打たれたに……
「あ、了解です。それではさよならお元気で!」
邪鬼は逃げ出した!
人でなし万歳! さよなら友達また明日!
あの野郎なんて奴だ!
散らす桜も萎びる薄情に庇った勇者は憤慨するも、どの道エンジュの狙いは自分だけであるわけだから結果は変わらぬと分かってはいるのだが、あまりに軽薄なる友の情は如何ともしがたく、釈然としていなかった。テンション値は最低。受け答えするのも労に感じる精神疲労である。
「やぁエンジュ。奇遇だね」
とはいえエンジュの相手はしなければならない勇者は努めてスマートを装った。強張りきった
「とんでもない。待ってたのよ」
「さいですか……」
「そうよ。で、今日はどこ行こうかしら。近辺だとでこがいいかしら? 横浜はまだ行った事なかったわね。奥多摩の秘境もアドベンチャーって感じで素敵だわ」
相変わらず勝手な事を言いおって。
おデートは決定事項。エンジュのマシンガントークが的確に勇者のライフを削り愚痴が湧き出る。エンジュが変異して以降、むやみやたらに連れ回されている勇者は睡眠はおろかゲームへのログインすらまともにできていない状態にある。不平不満は当たり前。それを言えぬは暴力による抑圧と情の為なのだが、一方的な愛を投げる側と投げられる側とで明確に生じる相思の逆回転はそろそろ限界。噛み合わぬ想いの軋轢から生じる爆発的なエネルギーは2人の関係に大きな亀裂を入れかねない神砂嵐の大打撃。傾き始めた勇者の曖昧な心境が再び非に転じ始めている事を知らぬエンジュに歯止めなど効くはずもなく、今日も今日とて勇者を拉致り、津々浦々を自己中心なロンリーラブで練り歩くのであった。
……きっつい。
担がれ運ばれる勇者のストレスゲージはもはや臨界点であった。いつ決壊するかも分からぬ精神状態のレッドゾーン。ハートは爆発寸前ハードな危険領域。思春期を殺した少年の翼である。平素のエンジュであれば勇者の異変にも気付いただろうが、いかんせん今は絶賛恋狂い中のオーバーヒート。ハイライトの消えたレイプ目さえポリアンナの眼のように曇りなき虹彩に見えているようで、あたかも勇者か望んでエンジュと供にしているのだろうと思い違いをしている節が多分に見られた。頭がハッピーセットなエンジュはもう誰にも止められない。ひたすらに己が自己中心的恋愛道を
「さぁ行くわよロト! 2人で愛のロマンスを探しに!」
「……はい」
受け入れるしかない勇者は力なく頷く。すると、待ってましたと言わんばかりに「よし!」と胆を締めたエンジュが叫び、勇者を担ぎ全力疾走。向かった先は美しき青き熱海。勇者はエンジュと海を眺め温泉に浸かり海の幸を堪能したところで帰宅。時計の針は
疲れた……つか……れ……
部屋に着くなり「うぅ」とか「あぁ」とかゾンビのように
……電源はいれたが、駄目だ。身体が動かない……
PCを前に倒れる勇者。その思考は泥のように重く、暗い。
……しばらくログインできていない。
冴えぬ頭で勇者は考える。
……なぜ俺がこんな目に遭わなければならないのだ。
自身に降りかかっている不幸について考える。
……誰のせいだ……誰のせいだ。
答えは出ている。
……エンジュだ。
勇者の中で怒りが明確に芽吹いた。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた勇者の溜飲が上がり始めている。
……しかし。
が、まだ一抹の冷静さを保っていた勇者はこうも考えた。
……借りもあるし、あいても色々あるわけだし、そもそも言って聞く奴でもないし、それに……
勇者なエンジュのマッシブな肢体を想像し、震える。
……あれには勝てんな……
結局1人合点し怒気を納めた勇者は「寝よう」と呟き微睡みの底へ落ちていったのであった。
自身が手にした怒りの刃が、再び抜刀される事となるとも知らずに……
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