第47話

 上々一郎を前に勇者ロトは萎縮しながらも不思議な心地良さというか、安寧とした心境に至っており、本人にしてもその落ち着くわけのない場所に落ち着いた自身の心境を不思議に思った。忌避している相手に抱く親愛に似た感情は勇者を困惑させるのに十分で、漠然とした信頼に違和感さえ感じたのだが、どうしてかその違和感すらも呑み込んでしまう包容力がある。それが上々一郎の持つ魅力なのかどうかは勇者には分からないが、初対面の時と比べて悪い気はしなかったのは歪めようのない事実なのであった。


 そういえば、こうして親と話した事、なかったな……


 勇者は上々一郎を前に両親との記憶を思い出していたが、本人が内心で述べるように対話した経験などなかった。あるのはゲームを挟んだ簡単な会話と、たまに同席する食卓での一場面だけである。


 ……ろくな親じゃないな。考えてみると。


 その言葉通り、勇者の両親は保護者としてはあまり褒められたものではなかった。


 勇者の父母は、共にごく普通の会社員であり、ごく普通のゲーマーであった。パソコン通信で出会い、長くもなく、かといって短くもない交際期間を経て母親が妊娠し出産。そして義務的に結婚。十月十日を待ち、晴れて産道を抜け出た勇者に人間として愛を注いぎはしたがその量は不足気味で希薄。両名供にゲーマーである為やはり生活の中心はゲームであったし、親子間の交流もゲームを通じて行われた。そんな両親に対し勇者は、ゲームが上手くなればもっと自分を見てくれるだろうと一所懸命に努力しゲームに勤しんだのだが、結果としてゲームの技術と知識と経験を得ただけに終わった。スキルの上々と共に、両親は勇者を子供ではなくゲーム仲間として扱うようになっていったのだ。たまに親らしい言動をとる気まぐれを行う事はあっても、親子の情は極めて薄く軽かった。


 そんな勇者が上々一郎の視線にかどわかされんとしているのは無理のない話である。

 息子……いやいや娘の為に奔走する上々一郎の慈しみは計り知れない。その慈愛と同等の情が勇者に向けられているとすれば、枯渇した泉に水が満ちるのも頷けるというものである。それが少しばかり歪で、強引であっても……


「ロト君。どうだね玄一郎は。手前味噌だが、中々どうして気立てがいいだろう」


「……そうですね」


 確かにそこは疑うべくもない真実である。料理の手際もそうなのだが、暴走気味の中でも常に周りには気を配っているし、自身のことを第一に考えてくれている事を勇者は知っている。というより、その暴走こそが勇者を思うが故の行動なのだ。

 彼女の心には、いつだって、どこでだって勇者ばかりが占めていた。だからこそ、その思考と行動は逸脱し常軌を失う(元々非常識ではあるが)。勇者だってそれは分かっている。しかし。


「僕は、女の人が好きです」


「……そうか」


 心苦しい告白であった。


 勇者とて人間である。過去に人を傷付けるような言葉は何度も吐いたし、期待に添えぬ事。信頼を裏切る事も、短い人生の中で多少はあった。

 だが、こんなにも、これほどまでに、胸が締め付けられ痛む事はなかった。その要因は果たして何であるのか。上々一郎に対しての謝意なのか、エンジュの想いに背く慚愧ざんきの念によるものなのか。勇者はその問いに対する解を出せない。そもそも、エンジュに対して抱いている想いが如何なるものなのか勇者は未だに分からずにいる。それ故か、上々一郎が「あれもね」と、語り始めた際、勇者の心には機微が生じ、それを聞かないわけにはいかなかった。


「……あれもね。難儀な人生を送っているんだ」


「……はい」


「君の言う通り、玄一郎の酒豪は母親譲りなんだが、その母親は、玄一郎が20そこそこの頃に死んだ。自殺だ。玄一郎が女に目覚たころから心の均衡が保てなくなってね。毎日酒に呑まれては寝るという生活を繰り返し、ある日突然首をくくった。自分の子供がそうなったのが、許せなかったんだろう」


「……」


「私自身も、玄一郎が子供の頃は厳しく接してきた。文武両道。清廉潔白。男児たるもの常に正しく、雄々しくあれと、必要以上に厳格に言って聞かせてきた。それで親の責務を果たしたと思っていた。愚かな話だよ。親として、子の心も言葉も無視して、ただ抑圧して言いなりにさせてきたんだから」


 上々一郎の目の奥にある悲哀が輝く。勇者は、彼が今、父親をやり直しているのだと。我が子の呪縛に囚われ続けているのだと悟った。



「……今の子煩悩は、その贖罪しょくざいですか?」


「かもしれん。いや。きっとそうなのだろう。私は、だからこそ、今こうして君と話しているのだろう。情けない話だ」


「……」


「だからこそねロト君。私は思うのだよ。この世にたった一人の子供の為だけに生きる事に、どのような罪悪が存在するのだろうかと。息子の為にできうる限りの、いや、それ以上の愛を注ぐ事に、どのような神罰が下されるというのかと。親として男として。その積を全うせずして何が父かと」


 だからといって拒む相手に同性婚を強制するのは絶対的に社会的な罪悪であり刑罰の対象だろう。


 そう考えるだけ考えて勇者は口をつぐむ。

 淡々とした口調で話す上々一郎の語りに水を差す事は出来なかったが、勇者は自身が被った被害を思い返していた。あの恐怖といったら、忘れようとも忘れられるわけもなく、時折夜長の夢現ゆめうつつにてリバイヴァル上映される事もしばしばあるのだが、なるほど左様なまでに強固な意志と理由があったが故かと、納得はしないまでも一応の合点はしたのだった。


「ロト君。君が心身共に性が女の人間を好む事は分かった。だが、それを承知であえて頼みたい。娘との結婚。いや婚約。いやいやそれが無理なら交際だけでもいいから、前向きに検討してみてはくれまいか。もし上々一郎と添い遂げてくれるのであれば、君の一生を保障しよう。衣食住も仕事も、なんなら金子も。望むものは全て用意する。だから……」


 上々一郎は全てを言い切る事なく、数秒の沈黙の後「申し訳ない」と、深々と頭を下げた。自身が発したげんがいかに勇者を、エンジュを侮辱したか……礼に聡い上々一郎が分からぬわけがない。


「お父様のお気持ち。よく分かりました。ただ、僕の方も、その、彼女? の全てを拒んでいるわけではなく……」


「なら好きなのか!?」


 しまった。


 薮を突いた事を自覚した勇者。出てくるのものが蛇どころでは済まないと、否が応でも予見してしまう。


「あ、いえ、その……」


「嫌いなのか!?」


「そういうわけではなく……」


「煮え切らんなぁ……なら、好きか嫌いかで言えば?」


「え、あ、そうきますか? え〜困っちゃったなぁ。じゃ、普通で」


「ロト君。二択だよ?」


 上々一郎の目は笑っていなかった。これはまずい。親子揃って冗談の範疇で人を殺すタイプの人間であると勇者は理解した。


「う、あ、えっと……」


 逃れられぬこの状況。いずれかを答えねば

きっと恐ろしい事態になるに違いないと震える勇者。いや、下手をしたら命さえ取られかねない。ここはもう言うしかないと、覚悟を決める。


「……です」


「ん? なんだって? 聞こえんなぁ」


 わざとらしく耳に手を当てる上々一郎はまるでウイグル獄長のようである。


「す、す……」


「ん? す?」


「あの、どちらかといいますと……」


「いいますと?」


「す、好きです……」



「やっだ! 本当!? ホントにホント!?」


 ……?


 その声は上々一郎のものではなかった。


 その声は望んでいたものではなかった。


 その声は、今勇者が一番聞きたくなかった者の声であった。


 その声とは……


「え? え、え、え?」


「いやぁん! 嬉しいわぁ!」


 勇者の背後から突然聞こえたもの……それは、エンジュの嬌声に似た、歓喜の雄叫びであった!


「もぉ〜好きなら好きっていってよぉ〜シャイ? シャイなの? ほんとにも〜困っちゃうわぁ私ぃ!」


 勇者はエンジュに持ち上げられ高い高いのような状態となった。勢いでマッスルスパークをめられそうである。


「違う! どちらかといえば! どちらかといえばです!」


「それでも好きなんでしょぉ? 嬉しいわぁ」


 勇者の訴えは虚しく。高い高いからの状態から垂直落下しハグ&頬ずりの形となった。おろしがねのような無精髭が勇者の頬を傷つけ皮膚の表面に小さな裂傷が生じる。これは痛い上に不快。勇者は心身共に大ダメージ必死である。


「痛い! 痛い!」



「大丈夫大丈夫! 痛くない痛くない!」


「痛いわ! 何一つ大丈夫じゃないわ!」



 勇者の言葉届かない。ハイとなったエンジュを止める術はないのである。



 結局。その後もエンジュの強力な愛撫は30分続いた。勇者の頬はアイスバーンで派手にすっ転んだような薄い傷線が付き、エンジュは祝い酒と称し酒瓶を3本空け、上々一郎はその様子を眺めながら、黙して笑うばかりであった。

 こんな調子で、楽しいお泊まり会は朝まで続けられた結果勇者のヒットポイントは0となり、家に帰った頃には、ゾンビが墓に入るように、生気なく布団に沈んでいった。

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