第46話
しかし、それにしてもエンジュが作る料理は見事であった。肉も魚も野菜も果実も実にいい具合に調理されている。柔らか過ぎることもなく固過ぎることもない。塩砂糖のバランスも絶妙。出汁もよく効いており、味に奥行きがある。
だが残念な事に、肝心の勇者の舌のレベルは下の下であり、口にするものが柔らかろうが固かろうが、辛かろうが甘かろうが微塵も気にもしないある意味豪胆な価値観を持っていのであった。
酸い甘い? 出汁? 知らん知らん。食べられればいいよ食べられれば。
と、食に対してのデリカシーがまったくないのである。ちなみに勇者の好物はサンドイッチやパンなど片手で食事を行えるものばかりで、ステレオタイプなイギリス人並みのものぐさはある意味幸せであるのだが作り手にしてみればまったく腕の振るい甲斐がないだろう。現に、この卓において斯様な会話がエンジュと交わされている。
「どう? ロト。美味しい?」
「美味いんじゃないか? 知らんが」
「曖昧な返事ねぇ……」
エンジュはがっかりといった様子で顔をしかめるも、「まぁいいわ」とキッチンへと戻って行った。勇者のバカ舌は承知の上なのだろう。これは過去の話になるが、以前二人が牛丼屋に行った際、納豆とオクラと生卵をトッピング注文した勇者は、それらを備え付けの紅生姜諸共全て丼にぶちまけて貪ったのであった。エンジュはそれを閉口して見ていたのだが、それ以来、エンジュは勇者の味覚と食作法について考えるのを止めた節がある。
そんな勇者の対面に座る上々一郎はにこやかかつ豪快に破顔していた。
「いや、いい食べっぷりだ。
上々一郎の言葉に勇者はなんと返答したものか悩んだが、途中から考えるのが面倒になり「あざっす」とヤケクソ気味な謝礼を述べた。
「パパって本当、褒める事しかしないわね。甘やかし過ぎるのも問題よ」
横から割って入ってきたエンジュは手にしたパイを卓に置くと勇者の隣に座った。予定していた料理は全てできあがったのだろう。食卓は既にいっぱいいっぱい。スープにサラダに魚に甘味にパンに肉にチーズにパイ。これらを全て一人で、しかも3人分作ったのだから大したものである。
「いやいや。男はよく食べてなんぼよ。もっとも、如何に食が細かろうとも、これだけの馳走を前にすれば胃袋が破れるまで食い倒すだろうがなぁ」
「まーた誉め殺し。反応が薄いのも困りものだけれど、過剰なのも考えもんよねぇ」
肉親の賞賛を素直に喜ばないエンジュであったが、やや
まぁ、気持ちよく飲んでるうちは放っておこう……
それを横目にした勇者は放置を決定。賢明な判断である。
さっさと潰れてしまえ。
強制連行に対してのささやかな復讐のつもりである。
「あら。ありがとう」
エンジュは黙って瓶を傾けて瞬く間に空とした。進められた酒を断るのは無粋であるという信条からの行動なのだが、さすがに瓶単位でやられると差し向けた勇者の方も引いてしまった。
「止めはせんが、大酒はあまり感心せんなぁ」
ここにきて上々一郎が苦言を呈す。なるほど親らしい一面もみせるではないかと勇者はやや感心したが、大酒小酒というレベルではない酒量を呑み込む私生活と、隣で実際に3瓶めに手をつけているエンジュのことを鑑みると、あぁ、この親心も暖簾に腕押しだなと肩を落とさざるを得なかった。
「下戸のパパには分からないわよ。甘美なる美酒の雫が如何に人間を虜にするか……」
私的な表現だが摂取量がもはや雫というレベルではないしそもエンジュは人間というより化物に近い。説得力は皆無である。
しかしこの凄まじい量の酒を飲むエンジュの父が下戸というのは不思議な話だと勇者は思った。見事な筋肉に似合わぬ体質。人は見かけによらぬものだが、モンゴロイドは酒に弱いらしいからなと妙な納得を得ると同時に、ある考えが浮かび、つい、迂闊な言葉を口にしてしまったのであった。
「なら、エンジュのうわばみは母親譲りなのか?」
「それは……」
口ごもる上々一郎。それを見て何も感づかぬ程勇者は馬鹿ではない。瞬間的に「やっちまった」と頭の中で嘆く。楽しい宴が一転してよそよそしい静けさが支配する。
どうしよう……デリケートな話題だったな……
なんとか空気を温めないと……
……どうやって?
……
……わっかんねぇなぁおい!
下手な考え休むに似たり。あげる白旗錦色。勇者は早々に打開策を寝るのを諦めた。
「まぁ、そんな事はどうでもいいんだけれど、ロト。貴方はいつ私と結婚してくれるのかし……ら!?」
「え、うぉわ!?」
静寂なる波はにわかに揺れ始め
「あ、ちょっと! ロト! 大丈夫!?」
「こりゃあいかんな。一旦寝かせないと。玄一郎。布団を敷こう。な?」
な? じゃない……
薄れゆく意識の中で、「頼むから寝てる間に妙な事をしてくれるなよ」と、半ば祈りに近い形で訴えながら、勇者は静かに気を失っていった。
……
…………
……………………
………………………………
ケツの痛みはないな……
目を覚ました勇者はとりあえずの無事に安堵しポケットに入っているスマフォを取りした。時間を確認すると気を失ってから7時間が経過している。健全な睡眠時間である。
さすがに寝すぎた
やたらと巨大なベッドから飛び起きリビングへ向かう。意図した事ではないとはいえ、他人様の宅で宴もたけなわに爆睡したとあっては大変な失礼。一言侘びを入れるのが筋であろう。
まぁエンジュならまだ起きて大酒をかっ喰らってるだろ……
勇者はそんな事を思いながらまだ光の灯っているリビングへとカムバック。いやぁしばらくしばらくと愛想笑いを浮かべ入室してみれば、綺麗に小皿へと分けられた料理とソファに沈むお姫様。なるほど零時はとうに過ぎている。どうやら宴は終わっていたようだ。
やはり寝すぎたか……明日礼と併せて頭を下げよう。
やむなしと勇者はリビングから立ち去ろとした。たが、同時にキッチンから上々一郎が現れバッチリと目が合ってしまったものだから会釈をしないわけにはいかなかったし、また、上々一郎が黙って勇者を帰すはずもなかった。
「もう大丈夫かね?」
片付けをしていたのか、上々一郎はエプロンをかけタオルで手を吹いている。ガタイの良さが返って様になる風態はまるでクッキングパパである。
「はい。おかげさまで……」
何のおかげかは定かではないし本人も意味がわからず口走った台詞である。人付き合いの浅い勇者は他に愛想を知らず、受け手からすれば困惑しかねない返しであったのだが、上々一郎は「そいつはよかった」と柔らかな微笑を向けたのだった。
「ロト君。少し話をしないかい?」
「え……あ、はぃ……」
少々躊躇ったがここで断るのはいくらなんでもないない。勇者は上々一郎に促されるまま、静かに椅子に座った。続いて対面に腰をかけた上々一郎は相変わらず微笑みが浮かんでいたが、目の奥には、どこか孤独な、哀愁の残光がひっそりと影を落としているようであった。
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