第44話
「これも偽物?」
「……」
エンジュに問われたフルフェイスは黙って首を縦に振る。
「了解。なら、これも破っちゃいましょ」
乱暴にイルカの絵を壁からもぎ取り額縁(木製)ごと破り捨てるエンジュ。化物である。
「あ、あ、あー! あー! また! またやったな!? ただじゃ済ませねぇぞこれぇ!?」
メンツを気にしているのか一応威嚇する黒服。だが、エンジュの尋常ならざる怪力と行動にいささか及び腰である。如何にアウトローとはいえ人外と対峙したとあってはその凶悪さもくすんで見えるというものだ。
「ふぅん。どうしてくれるの? あ、これも偽物? OK。破棄ね」
淡々とラッセンのイミテーションを破壊していくエンジュは完全に黒服をおちょくっているようだ。いちいち真贋を聞いて確かめているのはラッセンへの敬意からであろう。万が一でも本物は傷つけたくないという心遣いが憎いではないか。もっとも、黒服にとってみればカチコミにしか過ぎないのだが。
「あ、また! テメェ殺すぞ!」
退かぬ黒服。その根性だけは大したものである。だが、それもここまでであった。
「殺す? チンピラごときが、この私を?」
エンジュの筋肉が熱を持ち始めた。細胞が人を殺す為に躍動しているのだ。これには隠れている勇者も恐怖した。見ているだけで寿命が縮まりかねない圧倒的な暴力の化身がそこに立っているのだ。恐れぬ方が生物として欠落している。
あ、あいつマジで殺すなこれ。
潜む勇者はそう直感した。エンジュは確実に
「ひぃ……」
黒服は小さな悲鳴を漏らし震えだした。人外の殺気を直で向けられたのだから無理もない。
「まったくだらしのない。覚悟もないのに、殺す。なんて言葉使っちゃ駄目よ?」
駄目押しの殺人スマイルにより黒服轟沈。音もなく崩れ仮死状態となった。これは心的外傷確定。これから先、浮かび上がるスケアリーはイルカの夢でさようならである。
「あら。ノビちゃったわね……まぁいいわ。本命はそっちだから」
倒れた黒服を足蹴にしたエンジュの視線は蛇が獲物を捕捉するように動いた。冷淡な嘲笑が混じる残酷な眼光の先にはラヴェナが、詐欺師の片割れが立っている。
「な、なに!?」
ラヴェナは一睨みで気圧され後退。が、すぐに背中から壁に激突。狭いテナントに逃げ場なし。狩る側が一転狩られる側に回る。
「えーと、あんた、なんて呼べばいい? ミオ? アスナ? レッドフォックス? ラヴェナ? それとも、サロメかしら?」
「……っ」
羅列された名にどのような意味があるのかは定かではない。しかし、舌打ちを鳴らしエンジュを睨むラヴェナを見るに、腹に隠し持った一物が白日に晒されようとしているのだろう。
話しが見えん……ここは
勇者は息を呑み見守る事にした。果たして如何なる事実が明らかとなるのかと興味津々である。
「まさかRMT詐欺以外にもこんなチンケな犯罪してたなんて。笑っちゃうわ……でもこれで終わり。三流に相応しい最後ね。サロメちゃん」
「!? なんでそれを……」
「知ってるわよ。だって私。あなたがカモろうとしたのを阻止したんだもの」
「あんた、まさか……」
驚愕したラヴェナの
「まさか、エンジュ!?」
「ご明察」
何やら因縁めいたものがある様子の二人。続きが気になる展開となってきた。いったいエンジュとラヴェナの間にどのような過去があるというのか。
そして先までの窮地を忘れ、まるでサスペンスドラマでも観ているかのようなつもりで事の成り行きを見物している勇者。幸いにして二人からは見えない位置にいたが、一歩引いて立っているフルフェイスには出歯亀をしている様がもろバレであった。
しまった。
スモーク処置が施されされたシールド故に分からぬが、勇者はフルフェイスと目が合った気がした。ワンチャンバレてないかもしれん。などと楽天的な思想が一瞬過ったがそんな都合のいい話があるはずもなく。フルフェイスは睨み合うエンジュとラヴェナを背にして勇者のいる部屋へと歩いてくるのであった。
「ドーモ。ロトさん。ダークネスブラッドフィストフィアーです」
どうやらフルフェイスの男は勇者がゲーム内で出会ったあの不審者のようである。
「ド、ドーモ……ダークネスブラッドフィストフィアーサン……勇者です……」
律儀にお辞儀を交わす両名。美しい様式美である。
「あら勇者。そんなとこにいたの? ちょっとこっち来なさいよ」
居所が知れてしまった勇者はエンジュに促され止む無く参上。観戦の時間は終わり、ここからは
「やられちゃったわねぇロト。この女、色んなゲームで人を騙してるんですって。しかも蓋を開けてみれば、私が知ってる人間だっただなんて、世界は狭いわねぇ」
軽蔑するようにして勇者を流し見ながらそう吐き捨てるエンジュは、さも「知っているのか雷電」と、聞いてくれと言わんばかりの態度であった。
「……二人はどういう関係なんだ?」
「あら。聞いちゃう? それ聞いちゃう!?」
言いたいくせに……!
決して口には出せない言葉を胸に秘め黙って頷く勇者は、半ば野次馬的な好奇心も手伝い、エンジュの口から語られるラヴェナの過去をしずと聞くのであった。
エンジュは以前。現在プレイしているゲームとは別のMMOユーザーであった。
そのゲームは一般的なオンラインゲームでは稀な横スクロール型2Dアクション方式を採用しており、初期の段階こそ慣れなかったものの、持ち前の資金力とプレイヤースキルを駆使しエンジュは一躍鯖のランカーまで上り詰めていたのであった。
が、すぐに飽いた。
ゲーム内容が肌に合わなかったのもあるが、何よりプレイヤーの多くが子供であり、どうにもついていけなかったのである。
キャラ育成においても当時においてほぼ無敵といっていいほど強化してしまい別段やる事がない。
そろそろ引退して別のゲームでもしようかしら。
そんな事を思いながらも惰性でワールドを歩いていたエンジュであったが、ある日、RMT詐欺に遭ったというチャットを目にし、引退の日を少しだけ伸ばす事を決めた。
RMTとはリアルマネートレードの略である。その名の通りMMOのアイテムやアカウントを現金で売買する行為であり、業者が噛む事が多いのだが個人間での取り引きも少なくない。だが、RMTはその性質上どうしてもトラブルが発生するうえ運営元に利益がペイされない為に禁止としているゲームも多く、エンジュがプレイしていたMMOでもそうであった。そうであったのだが、モラルの低いプレイヤーが多いせいか裏での取り引きが横行していた。そんな環境では詐欺が発生するのも当然であるし、また、騙される側にも責任の一端がある。たが、ゲーム内ではそれを理解せず、あまつさえ運営に対しての文句ばかりを垂れる人間ばかりであった。
左様な馬鹿どもに怒りを覚えたエンジュは決意した。なんでも金で解決しようとする輩と、それを利用する狼藉者に鉄槌を下してやろうと。
「引退前にデカい花火を咲かせてやろうじゃない」
一人そう呟くエンジュ。
これは義憤などではない。愚民に対しての純然たる苛立ちである。人並みに以上に苦と辛を経験してきたエンジュは、安易に不正を働いた挙句、自身の不徳を棚上げするような人間達の曲がった根性を叩き直してやらねば気が済まなくなってしまっていたのであった。
そうと決まるとエンジュの行動は早かった。ゲーム内に存在する数少ない良識あるユーザーと結託しギルドを作成。情報収集から始まり囮捜査や潜入捜査を駆使しRMTを行なっているユーザーをリスト化。スクリーンショットによるエビデンスも含め運営に提供し、大量BANの
が、エンジュの標的となった人間は現実としてその存在を認識し恨みを募らせていた事だろう。詐欺の加害者であれば尚更である。なぜなら、冬のビックBANアタックはRMT詐欺を行ったユーザーの洗い出しに成功。刑事事件にまで発展し逮捕者まで出したからである。そしてご丁寧にも、エンジュは逮捕された人間一人一人に手紙を出しこう記していた。『三流には相応しい最後ね』と。
「で、このラヴェナ事、
「そんな事が……」
だからエンジュがいる時はログインしなかったのか……
一通り説明を聞き終えた終えた勇者は深い溜息を吐いた。自身の愚かさと、webの恐ろしさを改めて実感したのである。
それを察したのか、エンジュは勇者に向かって微笑み、こう伝えた。
「でも、もう大丈夫よ。ロト」
かくして事件は終焉を迎えた。
ラヴェナと黒服はパトカーで運ばれていった。勇者は報復を恐れたが、警察が到着する前にエンジュが気の毒に思えるほど入念に脅しをかけたのでその心配はしなくともいいだろう。
勇者の童貞卒業記念日はまたしばらくお預けである。ちなみに、ラヴェナは搬送される前に勇者の足を思い切り踏んでいったくらいで言葉は交わされなかった。淡い
「その、すまない……迷惑をかけた……」
警察の聴取などが終わった後。勇者はエンジュに礼を述べた。今回ばかりはこの化物に感謝しなければならないと心から思ったのだ。
「いいわよぉこんな事。まぁ、ロトもいい経験になったんじゃない?」
意外にも寛容な返答に勇者は安堵した。しかし。
「でも、次浮気しようとしたら……」
エンジュが含みを持たせた瞬間。一瞬であるが空気が歪んだ。一生ものの借りを作った勇者にこの先彼女を作る事が可能なのか気になるところではある。
「と、ところで、あのフルフェイスは?」
勇者は強引に話を変え、一人彼方を眺めているダークネスブラッドフィストフィアーについて訪ねた。
「あら、さっき挨拶してたじゃない。ダークネスブラッドなんたらさんよ」
「いや、そういうのではなく……」
「調査なんか全部やってくれたわ。今日連れ去られた場所が分かったのも、あいつが毎日家の前で張っててくれたからよ。便利よねぇ……」
「それはそれで恐いんだが……」
逸脱した行為を知らされ若干引く勇者。確かに助かりはしたが、あまり気持ちのいい話ではない。
「なんの話しをしているんだ?」
「わっひょい!」
悲鳴を上げ振り返る勇者。背後には、先程まで10mは離れている場所で馬鹿みたいに黄昏ていたダークネスブラッドフィストフィアーがいつの間にか音もなく立っているのである。恐ろしい身のこなし。只者ではない。斯様な真似ができる人間が、世界にどれだけいるだろうか。
……あ。
勇者。閃く。
「あの、
「……」
そう。常人離れした身のこなしに訳の分からぬお節介。そして、自宅周辺で目撃のあった不審な車の目撃情報……それらを鑑みると、浮かぶ人物はもう、変態イケメン空手マン。唯 英雄しかいなかったのである。
「人違いだ。俺はゲンちゃ……彼女に頼まれてやってきたしがないフルフェイスにしか過ぎない。それでこの話はおしまい。車を持ってくるから、待っているといい」
ダークネスブラッドフィストフィアーはそうまくし立てると、軽やかに去っていった。
忙しい人だな……
「正体隠してるのは、私の前に現れないって約束。律儀に守ってるからみたいよ。バカよね。私が呼んだってのに」
「……そうか」
そうさせてしまったのは自分だと勇者は猛省した。エンジュに、仮にもストーカー被害を受けていた相手に頼らせてしまったのだ。自責の念に駆られて当然である。
「気にしなくていいわよ。それより、ロトが無事でよかった」
エンジュの笑顔は掛け値無しで愛に満ち溢れたものだった。その笑顔を前に、勇者は少しだけ罪悪感から救われたような気持ちとなった。そして……
「……ありがとう」
彼女への感謝が、言葉として現れた。
勇者のエンジュに対する気持ちは依然として複雑な形を作っている。だが、彼女がかけがえのない存在となりつつあるのは自覚していた。その心境が今後、明確に恋愛として発芽するのかは分からない。この先、エンジュと勇者はどのような道を辿り、どのような結末を迎えるのか。それは神のみぞ知るといったところであるが。しかし。
「ロト」
「うん?」
「好きよ」
「あぁ……」
勇者の心が、少し。ほんの少しだけ、エンジュに傾いているのは、紛れも無い事実であった。
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