第43話
悲しみに暮れる暇なく
「ま、座ってくれよ。ゆっくり話そうや。僕」
「は、はい……」
言われるがままに座らせられた勇者はビビりすぎて失禁寸前である。耐えているが
帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰り……
全力で帰宅する願望を持つ勇者だがそれが叶わぬ事は明白である。目の前に座る黒服の男を突破する方法など勇者が思いつくはずがないし、黒服にしても、ネギどころかしらたきしいたけ人参豆腐までをも背負った鴨を逃がすわけがない。後は鍋に入れて煮立たすだけの勇者は都合の良すぎる金づるである。美味しくいただく為に、万事を尽くすに決まっている。
「じゃ、商談の話しをしましょうか。この中から好きな絵を選んでくださいね」
机の下から丁重にファイルを出す黒服。沈黙し固まっていた勇者であるが、低い声で「どうぞ」と促され震えながら開いていく。
イルカ。
イルカ。イルカ。イルカ。
めくられていくページには全てイルカの絵画。つまりラッセンの作品のみが掲載されていた。特筆すべきはそのお値段。サイズや時代に関係なく、一律300万円と表記されている。
「ラ、ラッセンの絵ばかりですね……」
失禁寸前までビビり倒している勇者であったが聞かずにはいられなかった。タイトルはおろか作者名までも記載されていないカタログにはただラッセンのイルカの群れと金額が記載されているだけなのである。突っ込むなという方が無理な話だ。思わず「お前を消す方法」と口にしてしまっても仕方がないだろう。
しかしこんなものはまだ序の口であった。斯様な事象が
「へぇ。この絵、ラッセンって人が書いたんだ」
「え?」
聞き返す勇者。
無理もない。まさか売り物の知識を知らぬとは思ってもみなかったのだろう。曲がりなりにも商売という立場を取る人間の言葉とは到底思えぬ台詞である。これはもう、「自分は詐欺です」といっているようなものだが……
「いやね。もう分かると思うんだけど、こっちは詐欺なわけよ。だから絵の事なんか何も知らないんだ。これが」
清々しいまでの居直り! 自らを詐欺だと認める黒服はニヤリと笑い勇者を見据え更に言葉を続ける!
「まぁ、こっちが詐欺だって言っちゃったからさ。君、俺かどんな人間なのかおおよそ察しはつくよね? 街の不良以上ヤクザ未満ってところなんだけど、まぁちょっと可愛くないタカリ屋みたいなもんかな? 本当は俺もこんな七面倒な事はしたくないから、君をボコボコにした後、君の家まで行って、君のお母さんをファックした後、君のお父さんが持つクレジットカードなりなんなりと金になりそうな諸々の保証書を盗み出して、家族もろとも君を埋めたっていいんだけれど、それはあまりにリスキー。労力が大きい。恨みもなにもない人間にそんな事はしたくない。それに君もそんな悲しい目には遭いたくないと思う。だから、さ。お互いの為に、気持ちよく騙されてくんないかな? なに。300万くらいすぐ払えるよ。利子も利息も要らない。月10万30回払いも可。俺はお金が入って嬉しいし、君は家族が傷付かなくて嬉しい。こんないい話はないだろう? だからさ、さっさと契約書、書いてくれるね?」
「……」
柔らかい声で諭すように話す黒服。しかしその実、「黙って騙されろ」と命じているのである。これは震え上がるしかない。
「うん? 返事がないと分からないんだけど?」
「……うぅ」
「なぁ!? 聞いてんのかよ!? 返事はどうしたよ返事はよぉ!?」
「ひぃ!」
恫喝! 黒服が本性を現し勇者は失禁! 闇金ウシジマくんの世界である! 法的にはクーリングオフも可能であり詐欺と脅迫と監禁で訴える事もできるが左様な抵抗をしたらば前述の通り報復御免のお礼参りが待っている! 逃げる事など不可能! 道は2つ! 大人しく金を払うか戦って死ぬかである! だが、勇者に後者を選ぶ気概などあるはずがなし!
「どうなの? 払ってくれる? それとも、一家離散がいいかい?」
再び口調を戻す黒服。しかしもう取り繕うような事はない。明確なる悪意を持って勇者を脅す。
「は、は、は、払わせていただきますぅ」
「よぉしよく言ってくれた。それじゃ、とっとと契約書にサインして、親御さんのカード取ってこよか?」
「はい……」
勇者終了のお知らせ!
チンピラに屈し300万の借金確定! 高校卒業後はフリーターでもしながらゲームを中心に生きていこうなどという甘え考えを持っていた勇者だがその夢はほぼ潰えたといっていい! 生活費に税金に保険! 大人になればかさむ支払い! これに更に出費が加わればバイトでは賄えぬ額となる! 働かなければ生きていけぬという事態となるのだがそれが分からぬ勇者ではない!
新車を一台買ったと思って諦めるしかないか……あぁ……辛い辛い社会人生活が始まるな……
勇者は全てを諦めなければいけないかのかと嘆いた。これからは就職の為に学校へ行き、昇給賞与のある真っ当な企業に勤めねばならないと、社会適合者としての道を歩む事に心胆を縮ませた。ゲームばかりに生きる人生は卒業し、職場と家の往復ばかりで、粗末な食事と不足気味な睡眠によりなんとか命を繋げるような人生を歩まねばならぬ絶望に、勇者は今にも涙を落としそうであった。
くそう……変な色気出すんじゃなかった……
後悔先に立たず。勇者は悔やんでも悔やみきれぬという風にうなだれてラヴェナが持ってくるであろうローン契約の書類を待ちながら如何にして親のクレカを持ち出そうか考えていた。親不孝もはなはだしくまったく良心の痛む賤な行いであるがもはや他に助かる術はない。勇者はもう、盗みと裏切りの罪を重ね地獄へ落ちていくしかない状況なのであった。
「ちょっと! 何あんた達!」
突然入り口の方で聞こえる叫び。その声はラヴェナのものである。何かあったのだろうか。
「なんだぁ? おい、ちょっと待ってろ」
黒服は勇者を置いて様子を見に行ったのだが、部屋を出るや否やすぐさま「なんだテメェこら!?」と怒号が響いた。ヤクザ映画などで聞く抗争の時のような声である。震え上がる勇者であったが、よせばいいのに好奇心。いったいどのようなイレギュラーが発生したのか見たくて止まらなくなってしまったのである。
……ちょっとだけ見てみよう。
様子を伺わんと立ち上がる勇者。歩数にして5歩の距離を慎重に進み絵が飾られていた部屋を覗く。すると、そこにはなぜかフルフェイスのヘルメットを被った不審者と一緒に、勇者がよく知るある人物が……
マジかよ!?
驚きを隠せない勇者! なぜ!? なんでお前がここに!? という疑問の他、助かるかもしれないという希望が生まれた! なぜならその人物は勇者の知る限り最強の人間だからである! その人物とは誰であるか。決まっていよう。一人しかいまい。
「うっさいわねぇ。怒鳴るんじゃないわよ」
黒服の怒号に眉ひとつ動かさず飄々と絵を見てはそれを叩き壊すオネェ口調の巨大な肉塊。それは勇者が最も恐れ、最も信頼する人物。その名は……
なぜここにいる! エンジュ!
そう! 勇者を守る愛・戦士! エンジュである!
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