第41話

 ラヴェナとの逢引は来週土曜の13時に予定された。

 場所はラジオ会館前。そう。秋葉原である。


 秋葉原。


 オタクの聖地と呼ばれたのは今は昔。現在はキャバクラのできそこないのような店が割拠する不健全な街であり情緒もクソもないのだがその知名度と影響力は未だ健在で、「東京さ来たんならアキバ行かねぇと」と目指す人間も多い。


 尾張大須になにわ大阪日本橋。東へ行けば秋葉原。


 古事記でも謳われたこの一首を知る者は多いであろう。


 約束の日までの間、勇者ロトはますますログインがおろそかとなりエンジュのご機嫌を損ねていた。が、そんな逆風も知らぬ存ぜぬと一向に無視。白々しくもでエンジュのいない時間を狙っては「暇だな」と呟きラヴェナとの密会と通話を重ねていたのであった。完全に浮ついている勇者は詐欺に騙されるのではないかと思えるくらい脳がハッピーとなっている。ここまで骨抜きという言葉が似合う人間もそうはいまい。その証拠に、勇者は今1人ゲームにログインしているのだがやたらとマップをウロとするだけで何をしているのか本人すら分かっていない。もはやラヴェナとの情事にしか関心が持てなくなっているのだった。


*待て



 そんな勇者の行手を遮る者が1人。装いは月のない夜の如く深い闇色の胴着。口元を覆うメンポには空手の二文字(アイテム名:デザインマスク。エディット可。課金)。見るも怪し気なそのキャラクターの名はダークネスブラッドフィストフィアーと表示されている。名も体も100%不審者。現実なら案件確定な人物であった。


 ……無視していいだろうか。


 静かなる正論。

 できれば関わり合いたくないタイプのプレイヤーとのエンカウントに勇者の思考は平時へと戻った。だが、せっかくクールダウンしたところでこうした手合いの場合は出会ったが最後諦めるしかない。わざわざ自分から接触してくる変質者が現れた場合、否が応でも関わらざるを得ず、どうしたって干渉してしまうのである。天災のようなものだ。


*最近、たるんでいるのではないか?


 そらきた。やはり纏わり付いてくる。ダークネスブラッドフィストフィアーは、逃げるようにして立ち去らんとする勇者にピタリと並走し個別チャットを送ってきた。それにしても、パットにしろキーボードにしろ、タイプしながら追いかけてくるとは随分と器用な真似ではないか。


*なんなんだ。あんた


 逃走を諦めた勇者はダークネスブラッドフィストフィアーと対峙し苦言を呈した。盛り上がっていた気分が急降下。ネガティブジェットコースターロマンスである。


*ろくにゲームをプレイせず日夜女と乳繰り合うのが君の目指すべき道なのか?


 そして正論。暴力的なまでの正しさを展開。その風態とネーミングに似合わず真っ当な主張である。正体不明であり筋合いのなさに目をつむればであるが。


*あんたには関係ないだろ。というか誰だよ


*それでは目指せんぞ。高みに


*いや、だから誰だよ


 一方的にチャットを続けるダークネスブラッドフィストフィアー。面倒な事この上ないが、垂れ流される辻説法は勇者が看過できぬものであった。


*ゲーマーを名乗りながらなんたる体たらく。今の君にゲームをする資格はない


*偉そうな事いうな。そもそもあんたは誰なんだよ


*思い出せ。君のこれまでのゲームに対する情熱を。マシンハーツで燃やした熱いハートを


 ……こいつ……さてはあいつだな!?


 ご高説の中に混じったマシンハーツのタイトルに勇者はダークネスブラッドフィストフィアーが誰であるか直感した。そう。マシンブレイン対策でプレイしていた際に乱入し、対ハイブレインの戦法を伝授してきたあの謎の男である。


 ゲームの中でも不審者貫いてるとかロック過ぎるだろ……

 

 ブレない姿勢に敬意を評すも引き気味の勇者はログアウトを決意。ダークネスブラッドフィストフィアーら尚もタイプを続けていたが、全て見なかった事にしてゲームから離脱した。いちいち相手にしていたらキリがない。半ば敗走に近いものであったがその判断は概ね正しかった。ログアウトした勇者はもちろん見る事はできなかったのだが、一人となったダークネスブラッドフィストフィアーがそのまま説教を続行していたのを、後に掲示板で知る事になる(「なんかネトゲでまでブツブツ言ってる奴がいてもう嫌」と、晒されていた)。


 昼食でも摂るか……


 勇者はしばらくぶりに空腹を覚えた。異様な人間の相手をした事によって生じた精神的なストレスの緩和を脳が求めているのだろう。部屋に常備されたのサクサクサラダスナック(生野菜を乾燥させ油で揚げたスナック菓子)に手を伸ばし、読みかけのジャンプでも片付けようかとしたその時である。鳴り響くはskypeの着信音。


 誰だ? いや、どっちだ。


相手は二者択一。エンジュかスバルである。


 ……エンジュだな


 勇者はそのどちらかから掛かってきたかを予言し、その正確さを確信していた。


 やはりか……


 スマートフォンを手に取りうな垂れる勇者。表示されている相手はやはりエンジュである。ご名答。先まで不覚であった勇者の精神状態は現在絶賛ニュートラルであり感も冴えている。ゲーム内で数多の死線を潜ってきた勇者が、この程度の直感を外すはずがなかった。


 出たくないなぁ……


 しかし出ないわけにはいかない。相手は住所を知っているのだ。下手をしたら乗り込んで来かねない。突撃隣のネトゲ廃人などという悲劇しか生まないクソ企画を生み出すわけにはいかず、渋々と勇者はサクサクサラダスナックから手を離し通話を受信したのであった。


「あ、もしもぉしぃ」


「もしもしじゃないわよ!」



 鼓膜が破れるかのような一声! どうやらエンジュは激怒しているようである!


「な、なんだよ……」


「なんだよじゃないわよ! やっぱり浮気してたのね! この裏切り者!」


 モロバレ! どこで漏れたか知れぬがエンジュに筒抜けである!


 こうなってしまうかぁ……


 相手がエンジュであるとは察したが内容までは測れなかった勇者は危機感もなしに能天気な声を出したのだったがすぐさま頭を抱える事態となった。まさか露呈するとは思ってもみなかった手前繕つくろう言い訳もなし。情報漏洩の原因も気になるところだが、とりあえず今は落ち着いて納得していただくのが最優先である。


「まぁ落ち着けよエンジュ。 そんなに怒る事はないと思うぞ? ちょっと沸点が低いんじゃないか? 乳酸菌摂ってる?」


「な、は、え、あぁ!?」


 あ、しまったと勇者は思った。これでは煽っているだけだと理解したのだ。しかし吐いた唾は飲み込めず覆水は盆に返らない。火に油を注げば炎上必至。エンジュの怒りは今、不用意なる勇者の一言によりひゃっほいと有頂天に達したのであった。


「ふっざけ……ふ、ふっざけんじゃないわよこのスカタン! 殺しまくるわよ!?」



 人は二度死ぬとはキルケゴール著。死に至る病の一節であるが、三度以上の死とはいかなるものであろうか。勇者はそんな事を考えながらエンジュを必死になだめなんとか電話を終える事ができたのであったが、その180分の間に頭髪には幾らかの色落ちが見られる程の修羅場であった。

 既にストレスで息絶え絶えの勇者だが、ラヴェナとのオフ会までは死ねぬと気力を振り絞りギリギリのラインで生存。この日以降、何度もエンジュからのコンタクトはあったが何とかかわし、遂に、念願の日がやってきたのである。近所で不審な車に注意との連絡がきたが関係なし。意気揚々と出歩く勇者。ラヴェナとの邂逅かいこうは如何なるものか。胸はドキドキトキメキ爆破寸前。高鳴る期待を抑え、とうとう秋葉原に到着。鬼が出るか蛇が出るか。勇者を待ち受けるのは、果たして……

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