第39話

 ディスコードとはボイスチャットサービスである。


 アカウント不要。

 ブラウザ上の操作で概ね完結。


 この2つの機能によりストレスレスな環境でゲームが可能。簡易さと利便性が受け近年ではほとんどのオンラインゲーマーがこのディスコードを使っている。

 勇者も当然、その名前くらいは知ってはいた。だが、スカイプすらダウンロードしていなかった人間が左様な最新コミュニケーションツールに触った事などあるはずもなく、また、自身も「今更そんなもの使うか」と冷視していた代物である。現に一度エンジュとスバルに利用を促されたが、「スカイプで十分だろ」と断っていた。それを覆すは勇者の信念を曲げるといっても過言ではないが……


*分かった。やろう


*やった


 即断! 勇者は自ら進む誇り高きゲーム道から邪道へと逸れたのだった! この時勇者にあったのは過度な期待と大いなる劣情である!


 これはキタだろ! 俺の時代!


 女のキャラクターを使う人間がわざわざディスコードを使って話しをしたいと言っているのであれば、それはもう十中八九中身も女であろうと勇者は踏んだのであった。


 そうであれば、なんなら、あわよくば、もしかしたら出会えるチャンスがあるやもしれぬ! そして! 男と女が出会ってしまったのであれば……! それは……!


 という下心丸出しのエロゲ脳を勇者は発揮していた。


 ついに俺にも女の影が忍び寄ってきた!

 日照りどころか火の惑星と化していた我が人生においてようやく女という名の慈雨が訪れたのだ!


 テンション上昇。

 気分は上々。

 みるみる膨らむ勇者の劣情

 鼻息荒く見守るモニタ。待ち焦がれるはラヴェナからのレスポンス。


*じゃ、鯖立てたらURLをべっ茶(個別チャットの意)しますね。すぐきてくださいねー


*わかった。


 相変わらず素っ気ない返事をする勇者であるが、その心情は語らずともいいだろう。


 程なくしてラヴェナの挙動が止まる。ディスコードへサーバを立てにいったのだろうか。その間に勇者はスマートフォンを手にしブラウザを開いた。検索窓に入力されたワードはもちろんディスコードである。


 なるほど。ディスコードはそういう仕様か。



 チャットや掲示板でなんとなしに目にはしてきたがいざ自分が使うとなると分からない事だらけである。故に分からなければググるというwebにおける鉄の掟に従い勇者は学ぶ。サーバのURLが送られてくるまでの合間を使い、勇者は滞りなくボイスチャットができるよう備えるのであった。


 ほう。DMにコマンド入力。そういうのもあるのか。


 コツコツとページを辿る事数分。万全とは言い難いが、いつでも声を響かせる事ができる準備は完了。後はURLを待つだけだが……


 ……きた!


 流れるラヴェナからの個別チャット! 勇者の胸は踊り邪なる感情は爆発テン上げ! もうお分かりだろうが勇者は既にラヴェナへの疑念をすっかり忘失してしまっている! 人類史によく見られるありがちな馬鹿! 人が知ったら抱腹絶倒必死の大間抜けをしているのだ! これは勇者の盛んな男性が生んだ悲劇! 血流が下半身へと集中し高速で循環する事により一時的な意識障害が発生したのである!



 どれ。URLを早速コピペだ……


 一投ワンクリック入魂。この時ばかりはおかしくなっている勇者の頭も冴え渡る。目指すは出会い。至る高みは禁断の初体験。範囲選択しctrl+c。検索バーにてctrl+v。無駄のないショートカットの指さばきは流石の一言である。


 ……よし! 入門したぞ……ディスコード……っ!


 無事参加成功。次のステップは挨拶文である。普段コミュニケーションを疎かにしている勇者にとって最初の難関。交流目的のツールにおいてはゲーム上のコミュニケーションといささかおもむきが異なる。この乖離かいりを如何にして埋めるかが勇者の課題であったわ。


 なんと打てばいいのだ……


 招待いただき光栄でございます

 ……いや、おかしいだろ。


 ども! よろしくっす! 

 ……頭パッパラパーか俺は。


 こんにちは。お世話になります

 初めて習い事を始めた息子に付き添う母親ではないぞ……


 あぁでもないこうでもないと悩む事1分。勇者は早くもつまずきかけている。こんなもの、「ヨロ」の一言で済ませばいいのだがそういうわけにもいかないようだ。ぶつぶつと口から漏らしながら、あれこれと入力しては消しを繰り返す事幾度。セルフ賽の河原めいた不毛によるストレスで円形脱毛症となりかけていた矢先にサプライズは訪れた。


「……貴女に会えてよかった……なんだそれは……一目見た時から可愛いと……気持ち悪いな……好きかもしれない……最悪だ……どうしたものか……まったく有効な手段がぁぁぁひぃぃぃ!?」


 モニタに表示される着信を示す文言……相手はラヴェナ以外にはいない。初級をすっ飛ばしてのいきなりな上級者向けイベントに、勇者は思わず悲鳴を上げ少量の聖水を滴らしたのであった。


 チャクシン!? チャクシンなんで!? 過程がなくない!? 情緖を知らんのかこのビッ○!


 勇者は取り乱しあたふたてマウスを動かす。承認ボタンの周りを衛星のような軌道を描くマウスポインタは欲望と緊張のせめぎ合いがよく表れていた。風族デビューした若者が待合室で興味もない雑誌のページをツラツラとめくっていく様に似ている。若き青春の戸惑いである。


 だがここで二の足を踏んでいるようでは先には進めぬ。勇者はこの状況をどう打破するのか。伸るか反るか。決断の時。


「えぇいままよ!」


 勇者! 伸る!

 マウスを振り回す事30秒! 着信に応じる気概を見せる! 心臓は破裂寸前! 手は汗まみれ! 恐怖に近い法悦ほうえつが口を固く結ぶ! 緊張と悦楽の境界! エンジュと出会う直前に感じた気の高まり! 高齢者であれば死を予感するほどの動悸を抑え! 勇者! クリック!


「あ、もしもし……」


 定まらぬ声域! そして発する前の「あ」! オタクらしい第一声! 淫キャから陰キャへクラスチェンジである! 果たして勇者のボイスにラヴェナはなんと返すか!? そしてラヴェナは本当に女なのか!? 答え合わせはすぐに始まる!


「もしも〜し。ロトさん? こんにちわ。ラヴェナです」


 聞こえるラヴェナの声! 平凡なる挨拶! その性別は!?


 女ぁ! 


 勇者歓喜! ラヴェナの声は確かに女であった! 




「あ、もしもし……」


「通話出てくれてありがと。今、大丈夫だった?」


 う、柔らかい……


 勇者が持った女人の声の感想である。

 形容できぬ気色の悪さ。これは生理的な嫌悪感が生じる程に変態性ではなかろうか。


「だ、大丈夫……」


「ならよかった! ごめんね。私、キーボード打つの遅いから、通話の方が都合がよくって」


 フランク! そして対等口調ためぐち


 いけるやん!


 距離感の近さに勇者は当惑しながらも歓喜した!


 話せる!


 話せるのだ!


 今まで避けていた女との会話が成立しうると知り渾身のガッツポーズを決める!


「声若そうだね。幾つくらい? 歳」


「あ、18です……」


「マジ? 高校生?」


「あ、はい……」


「マジか。若いねぇ」


「はい……」


「あれ? 元気ない? 大丈夫?」


「お、俺、喋るの……手で……」


「え? なんて?」


「あ、喋るの、苦手で……」


「そうなの? ごめん。嫌だった? 通話」


「あ、そんな事ないです……」


「本当に?」


「はい。ラヴェナさんと話せて嬉しいです……」


「本当!? ありがと! 嬉しいなぁ」


「あ、いえ、こちらこそありがとうございます……」



 お分かりだろうか。


 あわよくば初体験そつぎょうしきを迎えられるかもと派手にガッツなポージングを披露した勇者であったが竜頭蛇尾どころか後ろはミミズの尻尾か頭である。ゲーム内での偉そうな態度は何処へやら。完全な尻すぼみに男の威厳はまったくの皆無。ボイスチャットは妙な空気が流れ、見ていると嫌な汗が流れる程に歪であった。


「じゃあロトはあんまりボイスチャとかしないんだ」


 ラヴェナの口から敬称が消えた。もはやすっかりお友達である。


「あ、スカイプなら……」


「スカイプ。スカイプなんて誰とやってるの? もう誰もやってないよ?」


「あぅ……」


 嘲笑とも取れるラヴェナの笑いに勇者は怯んだ。これがランカーのリアルである。情けなや。


「でも、新鮮で楽しいな! もっと聞かせてよ! 勇者の事!」


「え、あ、は、はい……」



 こうして、なんだかんだで勇者とラヴェナの初ディスコードは2時間にも及んだのであった。ボイチャにかまけていた為ゲームはいつの間にやらログアウトしていたが、それにも気付かず勇者は一生懸命にラヴェナと話を続けた。その内に、少しずつであるが勇者の舌は回るようになり、どもりがちで語尾が消えていた言葉も聞き取れるようになっていった。これを改善ととるかチョロいと取るかは、判断する人物に委ねるとしよう……

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