第36話
敗北。
勇者のディスプレイには、はっきりとそう表示されていた。
最後の足掻き。不退転の肉断幸を敢行した勇者であったが、機体温度上昇により耐久ゲージが継続減少。あと一歩まで迫るもあえなく耐久値が0となりゲームオーバー。
そしてその最後一手も番外戦術という邪道を用いて打った下賎な鬼手と成り下がってしまった事に打ちひしがれる。ここまでなりふり構わず勝ちにこだわり敗北したとあれば、如何に相手が格上とはいえ勇者のプライドは撃滅粉砕。創痍が走り、身体の一部が欠損したような消失感が無気力を誘発し、勇者は筐体の中で茫然自失と
「完敗だ……逆立ちしても勝てん……」
勇者は敗北すると極端なネガティブ思考に囚われる。ジョセフに一杯食わされたワムウのように、生気なく腑が抜け落ちるのだ。
「生きていてもしょうがない……死のう……骨は太平洋に撒いてもらうよう遺書に遺そう……」
この状態の勇者ははっきりいって泣上戸のようで質が悪い。ゲームの敗北により、自らの危うい人生に対する後ろめたさがそのまま感情に流入するのである。もはや何をしても「死んだ方がいい」と短絡的な自滅願望を口にするだけで一向に話を聞こうとしない。誰に対しても惰弱な精神を押し売りする無礼千万を働くのだ。救いようがなく愚かで哀れである。
「ちょっと! ロト! 何やってるの!? 出てきなさいよ! 負けたんだから! まったくだらしないんだから! ゲームばっかりしてるからそんな風にすぐいじけちゃうのよ!」
そこへ刺さるエンジュの容赦のない罵声と催促。彼女(?)はデリカシーが足りないところがある。
「放っておいてくれ! 負けた俺に価値はないんだ! 今までの人生全てが無駄だった! しょせん俺なんて人間はその程度! ごみくず同然よ! まったく最初から分かっていたんだ実力差は! 世界大会優勝者に比べたら街のゲーム自慢のロト君はカスや!」
塞ぎ込む勇者は筐体のロック機能を維持し頑なに介入を拒否。現実への拒絶を示す。
「いいからそういうの! 店だって迷惑でしょずっと引きこもってたら!」
「ここで死ぬからいいんだ……人死にが出た筐体は処分される。そこが俺の墓場さ。春にはやがて
「わけ分かんない事言ってんじゃないの! 出てこないなら筐体ブチ抜いて引きずり出すわよ!?」
!
エンジュの声が大きくなると同時に発生する異音。これは明らかにやってはいけない何かをしている音である。
「あ、あ、あ、や、やめてくださいお客さま! そ、そんな、そんな事をしたら、こ、壊れてしまいます!」
「うっさいわねぇ! 金なら払うわよ! いくら!? 100万!? 200万!? 言い値で払うわ!」
「そ、そうでいう事はなく……! あ、あ、あ、ちょっと! ほ、本当にやめてください!」
エンジュと店員のやりとりの間にミシミシという無機物の悲鳴が聞こえる。エンジュは本当に破壊する気だ。筐体の一部を破損させて金だけ払って解決する気なのだ。
なんという横暴か。左様な逸脱。許されるわけがない。
勇者の道徳心がそう告げると、勇者のひきこもり願望は徐々に失せていった。拙いながらも一般教育を受け一般的な常識を身に付けている為、自身が発端となり器物が破損されるのは良心が痛むのだ。
……出るしかあるまい。
観念した勇者はロックを解除。開かれた筐体の扉は勢い余って怪音を響かせ店員の悲叫が重なるもなんとか無事のようである。
そんな事は知らぬ存ぜぬと勇者をただ見るエンジュであったが、勇者は彼女(?)を直視できなかった。
「やっと出てきた」
「……」
「ゲームに負けたくらいで落ち込み過ぎよ」
「……すまん」
普段と変わらぬエンジュとそれを伏し目がちに捉える勇者。叱責され家を飛び出した弟とそれを捜索にきた兄のような構図である。バツの悪さと悲心に冷める勇者のその姿を負け犬と評すれば平人の心はさぞや痛む事であろう。
勇者は初めて他人のために戦い、負けた。
ギルド戦やオンラインゲーム上で手助けや助太刀めいた事はあるのだが、今回のように直接的な対峙は、他人の人生に干渉するような戦いの経験はなかった。それ故に、勇者は自らの敗北で被害を被るエンジュに対して謝意を示す外考えられなかったのである。誰かの為に戦い負ければ、それはいたく
「いいわよ。かくなるうえは、あのストーカー野郎を殺すから」
そんなめちゃくちゃな……
快活に笑いながら飛ばされる冗談だか本気だか判断しかねる殺害予告になんと返していいか迷う勇者であったが、愛想笑いを浮かべるか浮かべないかの間に殺害対象となった
「……英雄さんは?」
勇者がそう尋ねるとエンジュは顎で入口の方を指した。見るとそこには設置されたガチャガチャを眺める英雄が立っている。イケメンがひたすらキズナアイのカプセル玩具を眺める様は中々に異様だ。
何か話した方がいいんだろうか……
そうとも思ったが勇者のテンションは現在ナイアガラが如く急落する怒涛のスプラッシュファールの真っ只なく。声を出すのも億劫というか、涙の潮流が喉まで流入しておりまともに喋る事ができないのである。案山子のように突っ立って手先だけをもじと動かす様は小心者が罪を告白する様に似ていた。
「油断しきっている今なら0.5秒で
「物騒な話はやめてくれ」
「あら。本気よ私。これ以上馬鹿に好きにさせてたまるもんですか。一撃で決めてやるわ。確実に殺す」
座った目元から覗く眼光は武術の経験のない勇者にも殺気の
「待て! 落ち着け」
エンジュの肉が動き狩りの気配を察した勇者は咄嗟に制止するよう叫んだ。英雄といいエンジュといい、どうも血に慣れすぎている。
落ち込んでいる場合じゃないぞこれ!
先までの悲嘆はどこえやら。ガチの命のやり取りが勃発しそうな状況により危機感が優先され、勇者の感情は無理やり復調させられたのであった。しかし。
「勇者君……」
「あ……」
騒ぎに気付きガチャガチャコーナーから戻ってきた英雄を見ると、勇者は途端に萎縮し、また負け犬の目に戻ってしまうのであった。
「あ、いや、すみません……僕なんかが世界大会優勝者様の視界に入ってしまって……すぐに消えますので大丈夫です……負けたくせにいつまでも居座ってすみません……」
卑屈となる勇者は逆に礼を失するレベルでの下手っぷりをご披露。この鬱々とした青年の心に英雄はなんと応えるのか。
「いや。この勝負。俺の負けだ」
「……は?」
なんと! まさかの敗北宣言! いったい何を考えているのか!?
「ゲームの上では確かに俺の勝ちだ。君の特異な攻防。知恵や経験。そして諦めない精神には敬意を表するが、勝敗は絶対。それは覆らない。だが……」
英雄は勇者の視線まで身を落とし、力強く、声を発する。
「戦いの終盤。マシンハーツを通じて感じた君の想い。迷いながらも芯の通った気持ち。十分に伝わった。好きだ嫌いだと、男だ女だとフラフラしていた俺とは違い、君には、本当の意思があった……!」
「え? あの? 何を……」
「君のゲンちゃんに対する愛! 俺はその強い絆にまけたんだ!」
「……は?」
「え? ロト。そうなの?」
「馬鹿! そんなわけ……」
「勇者君!」
否定しようとする勇者であったが、言い切る前に英雄の分厚い手が肩に絡まり、言いたかった事が「ひゃあ」という悲鳴に上書きされてしまった。
「な、なんでしょうか!?」
しかたなしに勇者は英雄の問い掛けに応える。肩にかかる圧力に苦悶しながら。
「ゲンちゃんと、幸せにな!」
「はぁ!? あ、ちょっと!」
「それとゲンちゃん!」
「……なによ」
「今まですまなかった。これからは、どうか勇者君と幸せに生きてくれ……」
「……」
エンジュは答えない。それを見た英雄は満足気にあの爽やかな笑顔を見せて背を向けた。
「……それじゃあ、さよならだ!」
英雄は涙と共に走り抜けた! 恋の幕引きに相応しい涙色の風と共に舞台から退場したのだ!
「なんなんだ……」
まさに置いてけぼり! 英雄の勝手な合点に取り残され思考が停止! 勇者の頭の中は真っ白である!
だがその唖然も色即の是空! 勇者の背後に危険な影が忍び寄る! 呆けている場合ではない!
「ふ〜ん……そうなんだ……ロトは、やっぱり私の事が好きなんだ」
「あ、いや、ヒ、
「もう! 照れちゃって! いいわ! 行きましょう! 2人の
「お断りします!」
敗北の消沈は何処へやら。勇者はすっかり元気に全力逃走。いつもと同じ、貞操をかけた鬼ごっこが始まった。
英雄が言った通り、勇者が本当にエンジュを想っているのかは分からない。だが、勇者の生活の一部には、エンジュがいて当たり前となっていた。
近い存在というのは返って気持ちにモヤがかかってしまうものである。当たり前にあるからこそ、価値の有無に鈍化となり、捨てる拾うの決断が先送りとなってしまう事も多々ある。
勇者がエンジュを好いているのかいないのか。それは、英雄が言ったように勇者自身にも判別できていない、迷いのある状況である。戦いの最後に英雄が感じ取ったという、芯の通った、本気の気持ちとは果たして愛なのか、そうでないのか……いずれにせよ、勇者が自身の気持ちを素直に受け入れるようになるには、もう少しだけ時間がかかりそうである。
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