第32話

「それからずっと追いかけてるんですか?」


 話をめてコーヒーをすする英雄ヒロ勇者ロトはそう聞いた。


「そうだ。だが、話しはまだ続く」


 これ以上何があるんだ……


 現実離れした暴力と倒錯した愛。英雄の異常な情動は勇者には理解し得ぬものであり情報を整理するだけで精一杯である。これ以上何があるのかと、考えただけで勇者の気力は削がれていった。


「早く! 早く続きを!」


 だが満月ムーンは俄然知りたがりであった。鼻息はより荒く、顔面はより紅く、そして目の奥には鈍く光る脂のような虹輝こうきが艶めいていた。


 こんな話に興奮できるのか……


 ここまてまくるともう感動の領域である。一般的な感性を持つ勇者は満月の極まった性的趣向に敬意すら払った。差別的な表現ではあるが、いわゆる生き遅れの生き遅れたる所以を、年増女(これまた差別的だが)の矜持きょうじを前にし、前衛芸術から受ける歪な熱量に似た何かを感じたのである。


 醜悪も貫くのならばよし。


 勇者は決して口には出せぬ惨事いやいや賛辞を胸に、再び英雄の語りに耳を傾けた。




 英雄はその日以来エンジュを追いつづけた。非公式試合で彼の姿を見つけては接近しひたすらに見守っていたのだがそこに会話はない。何か話しかけるわけでもなく、本当にただ近くで見ているだけなのである。いかに英雄が美男といえどもその絵面は異様そのものであり、その光景はもはや耳袋的奇談の様相を呈していたのであった。


 エンジュはそんな英雄にいぶかしげな表情こそ見せはすれ特に咎めるようなことはしなかった。かたわらにいるイケメンを気にも止めず自らがしたいように振舞っており、それがまた、英雄の目を輝かせたのであった。その奥には、諦観と悲哀に濡れた影が潜んでいたのである。

 英雄はエンジュに憧れていた。

 灼熱の恋慕を焦がしていた。

 だが、男と男の相愛関係など成立するのだろうかと彼は悩んでいたのだ。


 同性愛という言葉は知っている。


 同性婚の事実も確認している。


 しかし果たして自身はどうなのだろうか。この感情は本当に恋なのだろうか。愛なのだろうか。恋愛を知らぬ自分は、敗北の際に感じた衝動を劣情に置き換えているだけではないのか。本当に、自分は男である玄一郎に、秋に染まる葉のような感情を抱いているのだろうか。そして何より、玄一郎はこんな自分をどう思うだろうか。募る想いは同時に不安を蓄積ちくせきさせていった。英雄は恋をしてこなかったばかりに、恋がなんたるかを理知で解しようとしてしまったのだ。あるいは、自身の心気をありのまま受け入れていればエンジュとの蜜月が叶ったかもしれない。

 だがそうはならなかった。ならなかったのだ。英雄は自らの心に浮かぶ疑問に明確なアンサーを出せぬままエンジュの隣にいることしかできなかった。

 そしてある日エンジュは消え失せた。血塗られた世界から忽然と姿を眩ませたのだ。1人残された英雄は再び闘争を始める外に道を知らず、罪深き拳を更に黒く染めていったのだった。


 虚しい。


 勝利を続ける英雄の胸には空虚が生まれた。貪っても貪っても足りぬ満たされぬ心。渇ききった感情は彼を殺戮の機械へと変貌させ、血に塗れた自らの四肢を無機質な眼で見つめては「玄一郎」と呟くばかりであった。

 彼を木偶としたのは、エンジュであった。そして英雄の暗澹あんたんに明光を照らしたのもまたエンジュであった。


 だが、時は動く。

 それは英雄が憂さ晴らしの相手を探して夜の繁華街を彷徨さまよっていた時の事。耳をつんざく叫びを聞いた英雄は、なんとなしにその方向へと歩を進めた。黒山の人だかり。野次馬が囲む中には、昏睡しているであろう1人の男と、山のように逞しい肉体を隆起させる獣のような存在が一匹……タンクトップにレザーパンツ。片耳のピアスに整えられた目元……過ぎたるいかにもな装い、エンジュに想いを寄せるようになりその道の知識を得た英雄が、その衣装に気づかぬわけがなかった。


「もう終わり? とんだ早漏野郎じゃない」


 不気味おねぇな口調であったがその声を英雄は知っていた。その温もりを忘れるはずがなかった。その声は、紛れもなく自分が焦がれた人間のものであった。


「ゲンちゃん!」


 英雄は次に会ったそう呼ぶと決めていた。自身の心に変革を与えた存在を、そう呼ぶと決めていた!


「……!? え? あ、あぁ……あんたね……お久しぶり……」


 エンジュは飛び出した英雄を見るなりよそよそしく会釈をした。何せ一度しか話した事がないにも関わらず、何故か無言で自分の隣にいただけの人間がいきなり「ゲンちゃん」呼ばわりしながら割って入ってきたのである。塩対応も無理からぬ事あり、むしろ対応しただけでも人徳があるといっても過言ではないのであった。エンジュの消極的な態度は妙に白けた空気を作り野次馬を散らしていった。だが英雄は、知った事ではないと声を弾ませたのだった。


「今何してるんだい!? お酒!? お酒飲んでるの!? 飲もう! 一緒に!」



 英雄のハイテンションは気が触れたような笑いと共に鳴動した。その狂気を孕んだ誘いに危機感を覚えたのか、エンジュは英雄を殴り逃走。歓楽街の影へと消えた。意識を失った英雄は安らかな顔を浮かべ失神。再会の喜びと、「相手が同性愛者なら好きになっても問題ないじゃないか」という結論に運命の祝福を感じていたのである。

 そして英雄は暴走していった。歓楽街に通い倒しエンジュの情報を集め行動範囲とパターンをリスト化。偶然を装い彼女(?)が飲む店に出没し、さも当然のように隣に座り、人が変わったように饒舌じょうぜつを披露してエンジュを震撼させたのである。最初こそ付き合っていたエンジュであったが、ある日とうとう我慢の限界を迎え再び鉄拳。道路へ飛び出た英雄は不幸にも黒塗りの高級車に激突するエアリアルコンボが決まってしまったのだった。病院に運ばれた英雄は、しばらく死の淵をさまよった。


 英雄の口から語られたのは以上である。(ちなみに穴という穴から出血し身体の一部からは骨も突き出ている英雄は傍目から見て即死しているように見えた。騒然とする通行人を他所に、エンジュはそのまま何食わぬ顔で酒場に入って救急車の音をさかなにヘンドリックス(ジン)をボトルで飲んでいた)




「……つまり、ストーカー化して拒絶されて殴り飛ばされたらたまたま車に跳ねられて死んだと思われていた。と、そういうわけです?」


「その通りだ」


 いや、言い訳くらいしろよ……


 勇者は英雄の開き直った態度の批判を秘めながら溜息を落とした。それは英雄に対する幻滅と失望の現れである。


 これはさすがに引くわ……


 いかに現実世界に疎い勇者といえども常識と倫理観は備えている。故に対象が何であれストーカー行為に嫌悪感を抱くのは当然であり英雄に共感はできなかった。


 ……帰ろう。


 話を聞き終えた勇者はもうここにいる必要はないと判断し立ち上がった。異常者と同じ空間にいる事すら耐え難いという様子である。


「帰ります」


 唐突にさよなら宣言をした勇者は英雄を一瞥もせず背を向ける。恐怖と侮蔑から視界に入れる事を拒んだのだ。


「あぁ。気を付けて」


「……」


 英雄の言葉を無視し喫茶ムーンライトパワーの入り口に向かう勇者。しかしその行く手を阻む者がいた。


「待ちなさいよ」


 満月である。いかなる理由かは知らないが、彼女はカウンターから飛び出し勇者の腕を掴んで退店を阻むのだった。


「なんですか!?」


「なんですかじゃないわよ! どうすんのよ! イケメンとあの筋肉ダルマを取り合うんでしょ!? 逃げるんじゃないわよ!」


 意味不明な発言。満月の中では飛躍どころか異次元転移レベルで話が進んでおり、英雄と勇者がエンジュを巡っているという事になっているようであった。


「闘わなきゃ恋敵と! 愛は奪い取るものよ!」


 このババア正気か!?


 どうやら満月は2人の争いを望んでるようである。


「勇者君。やはり君も、ゲンちゃんの事を……」


 そして英雄は見事に勘違いを果たしてしまったようだ。柔和な目付きが細く座り、殺人的なプレッシャーを放っている。


「君を倒すのは心苦しい。だが、ゲンちゃんをこの手にするためならば……」


「い、いや、僕は……」


「さぁ! 戦いなさい! 熱い男のパトスを思う存分ぶつけるがいいわ!」


 勇者の否定は届かない! 台詞がかった満月の煽りによって立ち上がった英雄からはオーラが漂っている! 一触即発! 触れれば傷付くジャックナイフである!


「分かったわ! その勝負乗った!」


「ゲンちゃん!?」


 喫茶ムーンライトパワーの扉を開け現れたのはエンジュであった! 


「ロトならあんたなんか楽に倒せるわよ! 無様に負けてまた車に轢かれたらいいわ!」


「ほぉ……」


「いや、ちょ、待とう二人とも。話せば分かる」


「ロトは勝負から逃げないわ! なにせ私の勇者ゆうしゃ様なんだからね!」


「いやいや。エンジュさん。聞いてる?」


「では決まりだな。だが肉弾戦では俺に有利すぎる。ここはマシンハーツで勝負をつけないか?」


「あの、英雄さんも、ちょっと……」


「いいわ! それでいきましょう! もしロトが勝ったら! もう二度と私の前に現れないでちょうだい!」


「いいだろう。では君をかけた勝負。仕ろうじゃないか!」


「聞いてる? 二人とも? 絶対聞こえてるよね?」



 エンジュと英雄の間で取りなされる決闘の契り。自動進行で事が決まり、一人取り残される勇者は何もかもを諦めたのであった。


 それら全てを見て微笑む満月の手に握られたスマフォの着信履歴には、ニック・ダルマーという名が表示されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る