第31話

 勇者ロトは頰の冷感により目が覚めた。場所は喫茶ムーンライトパワーのカウンター。突っ伏すように首が置かれていたせいかやや寝違い気味である。隣には満月ムーンと談笑する英雄ヒロの姿(メンクイな満月は恍惚とした表情をしており大変見苦しい)。壁掛け時計に目をやれば15分の経過を知る事ができる。現状把握の為思考を巡らせ一呼吸。自分の身に何があったのか、いったいどうしてこんな場所で寝ているのか。募る疑問を冷静に処理して判断すれば、15分前の記憶を明確に蘇らせる事ができたのであった。


「やぁ、起きたかい?」


 勇者の復帰に気がついたのは英雄である。爽やかな声での復活の呪文はありがたいのだが、先の錯乱と修羅場めいた悶着に対して反省の色も見せずもう立ち直っているのは勇者のトサカを逆立てた。


「……ぶん殴られた後に、よくもまぁそんな風に笑っていられますね」


 とげのある言葉。それを出させたのはニヤケ面の為なのか、はたまた別の理由の為なのか勇者は自身でも分からなかっが、どちらにせよ、イケメン無罪を地でいく英雄相手に愛想を浮かべる事はできなかった。


「……確かにな……片想いの相手に無理やり迫って拒絶されて、ヘラヘラと笑っているなんて、情けない話だし……」


 そうだろうそうだろう。どれだけ顔がよくとも、そんな軟弱な精神では……うん?


 はたとする勇者。英雄の口から出た片想いという言葉に思考が固まる。


「……片想い?」


 思わず聞き返す不思議ワード。できれば聞き間違いであってほしいと勇者は願った。


「そうさ。ゲンちゃんは、俺の初恋の相手なんだ……」


 衝撃の一言。英雄は間違いなく、エンジュを片想いの相手とのたまったのである。そして同時に響く異音。それはグラスが割れた音。満月が、持っていたピンクのティーカップを落としたのだ(客用ではない、自分専用のアンティークである)。


「それ本当!? ガチのマジでリアル!?」


 そして、身を乗り出して英雄の秘事を聞き出そうとするのも、また満月であった。


「ちょっと! その詳しく! 狂おしく詳しく!」


 興味津々。若干嫌悪感を抱く程の鼻息の荒さ。どうやら満月は生物OKの貴腐人のようである。


 このババア……


 妖怪のようなおぞましさに眉をひそめる勇者であったが、エンジュと英雄の関係が気になるのは確かである。ここは口を挟まず、英雄の語りを待つが吉と無言の同意を示し英雄の応えをまった。


「……そうだな。分かった。巻き込んでしまったのだから、黙っているわけにはいかないな。話そう。だがその前に、僕は勇者君に謝らなければならない」


 英雄は勇者の方を向き襟を正した。いちいち律儀な性格である。


「はぁ……なんでしょうか」


「実は……君に近付いたのは偶然じゃない。ゲンちゃんと関係があると知って声をかけたんだ……騙すような真似をして、申し訳ない」


 知ってた。


 と、深々と頭を下げる英雄を前にして言えるわけもなく、勇者は「へぇ」とさも驚嘆したような白々しい演技を打った。これから事の真相を明かそうとしている相手の話の腰を折るのに抵抗が生まれたのだ。



「だが、確証はなかった。ゲンちゃんの行方を追っていたところ。ゲームの腕が立つ高校生と池袋で行動を共にしていると聞いてね。そこら中のゲーセン尋ねた結果、俺は君の情報を手に入れたんだ。君が前に絡まれたチンピラも、俺の知り合いさ」


 バイタリティの化身である。恋の力というのは凄まじい原動力となるようだ。しかしだからといって知人に反社会的人物の真似をさせてぶん殴るのはいかがなものか。


 あの人、あの後どうなったんだろう……


 そんな疑問が浮かんだ勇者。だが。


「……だったら直接聞けばよかったんじゃないですか?」


 あえて口には出さずに別の問いを投げ掛けた。もし「死んだ」などと返答されたら自分は絶対に逃げてしまうと確信していた為である。


「知らない人間が自分の個人情報を知っていたら怖くはないか? 俺だったら怖いし協力もしない」


 一理ある。


 勇者は納得し頷いたが、だからといって今日こんにちに至るまでの接触の仕方が正しくないというか、完璧に間違っていたという事をきちんと理解してほしいと切に願った。例によって、口には出さなかったが。


「こんなジャリの話しなんかどうでもいいから! 早く! あの筋肉ダルマとの関係について聞かせてちょうだい!」


 響いた怒号は憤る満月の咆哮だった。よほど男と男のイケない関係が気になるのだろう。怒りと同時に見せる艶めいた表情が大変気色悪く、おどろおどろしく感じる。妖怪衆道漁りなんて名前が付けられそうだ。


「分かった……では少し長くなるが、聞いてくれ……」


 目の前にあるコーヒーを一口飲んだ後、少し顔を落とし淡々と自らの過去を語る英雄。色染まるその美声は奏となり、満月と勇者は黙してそれを聞くばかりであった。





 それは英雄がまだ高校生だった頃。幼少期から空手を学んできた彼は県内負けなしの強者であった。

 無論英雄に才覚はあった。だが彼の強さは鍛錬と闘争の末に修羅へと変貌した人間の慣れ果てであり、およそ常人の辿り着ける境地ではなかった。日に15時間の鍛錬を欠かす事なく10年続け、強くなればなるほど更なる力を欲し、その為に強者を求め屠ってきたのである。道場での鍛錬は勿論の事、授業中は握力と体幹を鍛え、放課後になると不良やヤクザを相手に大立ち回りを繰り広げ、週末には試合で思う存分対峙した人間を破壊していった。気が付けば、周りは皆自分より遥かに弱くなっていた。その内に英雄は退屈を覚え、終いにはプロの格闘家をストリートで襲う計画まで立て始めていたのであった。


 だがある日の事。プロアマ年齢階級不問の立会い(非公式)にて、英雄は初めて完全なる敗北を知った。これまで経験したわずかな負けとは違い、手も足も出ない完敗。英雄にとってその屈辱は新鮮であり、また、刺激的な体験であった。


 こんなの初めて……


 身体中の肉は断裂し骨は折れ満身創痍。混濁こんだくする意識の中で天井を見上げる英雄はとめどない興奮と騒めきを覚えた。

 腹の底から熱がせり上がり、業火に包まれているかのように喉が渇く。鼓動が加速し、息は苦しく、もだえる。だが不思議と不快ではないのだ。それは得もいえぬ快感であり、何かを欲するように胸が苦しくなる。にも関わらず心は満たされ、暖かい充足感が心身を包むのである。


 渇く……欲しい……何かがくる……熱い……


 捉えどころのない精神が次第に鉄のように硬質化していき欲望を形作っていく。刹那の時の中で混じり合う渇望と虚無。膨張する猛り。程なくして頭から爪先まで雷撃が走り、そして……っ!


「はぅっ……!」


 それは英雄にとって初めての至りであった。腹部に感じる粥のような熱液に戸惑ったが、それが何なのかは知識ではなく魂で理解した。身体に刻まれている野生の遺伝子が子種の意味をを英雄に教えたのだ。


 身体が冷めていく……俺は死ぬのだろうか……


 空虚に支配された英雄は眩く光る天井のライトに極楽浄土を重ねた。全身に酷い怪我を負い、後に内臓にもダメージが入っていた事が分かるほどの重体である。朦朧もうろうとした自我の中で現世うつしよ常世とこよと錯覚するのも無理からぬ状況。英雄は正常ではなく、虚ろな意識の中夢と現実の狭間を彷徨さまよっていた。その時、英雄を見下ろし手を差し伸べる者がいた。


「大丈夫か?」


 そう聞くのはまさしく怪物と呼ぶに相応しい体躯を誇っていた。


 それは光速が如く連撃を英雄に放ち敗北を味合わせた人物。鎧と見紛う程の肉体と獣の反応速度をもって自らを打倒した化物。


「あ、あぁ……」


 吐息か声かも分からぬ音を発する英雄を支え、化物はなおも話を続ける


「あんた、中々強そうだから、本気出しちまったよ」


 不敵な笑みにおごった台詞。敗者を哀れむ不遜な態度。全てが高慢。傲慢。

 だが英雄は嫌悪感を抱かなかった。それどころか……


「あ、貴方の名は……」


 呼吸さえままならぬまま、英雄はその人物の名を欲する。まるで、貪るように。


玄一郎げんいちろう下々条しもげじょう 玄一郎だ」


「げ、玄一郎……」


 英雄はとうとう意識を失った。だが、曖昧な中でも自らの手の温もりと股間の冷気はしっかりと感じ取り、最後聞いた声は頭に刻み付けられていた。


 下々条 玄一郎……そう。エンジュのリアルネームを!

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