第29話
痙攣するチンピラをしばらく眺めていた
「大丈夫かい?」
真っ直ぐ純真な眼を向ける英雄。人一人をぶっ飛ばしておいて
「あ、あの、あの人……」
勇者は車に跳ねられたように吹き飛ばされたチンピラを指差し震える。痙攣すら止まり、ピクリとも動かなくなってしまっているのだ。遠目からだが泡も噴き出しているのが分かる。身体に異常が生じているのは明らかであった。
「ん? あぁ。大丈夫だよ。あぁいう手合いは怪我しても警察は動かないし、司法も厳しい。恐喝されたって言えばまぁ不利にはならないよ。ヤクザや半グレに人権はないからね」
「そ、そういう事ではなく!」
英雄は根本的に論点がズレていた。人命に対する意識が一般人とまるで違うのだ。悪人なら殺してもいいという
「? なら、他にどんな問題があるんだい?」
心底から不思議そうな声を出す英雄。ソシオパスなのだろうかと勇者は思った。
「し、し、死んでるかもしれないですよ! あの人!」
「あぁ。そういう心配。大丈夫大丈夫。人間って死ぬ時はもっと露骨に力なくなるから。軽く脳しんとう起こしたくらいだよ。しばらくすれば、眼を覚ますさ!」
サムズアップ! 英雄の親指が天を指す!
「あ、え、はい……」
その曇りなき表情を前にした勇者はもう何も言えなかった。住む世界が違うのだと納得し、できるだけ関わらないようにしようと心に決めた。
「そ、それじゃあ、僕は学校へ行きます……助けてくれてありがとうございました……」
抜けた腰を入れて立ち上がる勇者。失禁のダメージは大きいがこの場に留まるわけにはいかないと判断。英雄に手を振り、早足で離脱を試みる。しかし。
「まぁ待ちなよ勇者君」
肩を掴む英雄の腕! ダクトテープのように張り付く五指が勇者の動きを静止させた!
「い、いや! 学校……学校!」
「勤勉なのは結構。しかしその濡れた学ランじゃ恥をかくだろ。今日は休んだらどうだい? 家まで送るよ。そこに車があるんだ」
「い、いえ……近いので、大丈夫です……! それに単位も足りないので休むわけには……」
勇者は一刻も早く英雄から逃れたかった。最初に受けた爽やかな印象はもうない。あるのはこいつヤベェ奴だという危機人物認識である。
考えてもみたら、そもそもこのタイミングはできすぎではないのか。この辺りで当たり屋めいたチンピラが出るなんて情報を勇者は聞いていないし、知り合ったばかりの英雄が偶然通りかかって助けに来たなんてのも怪しい。それに車である。見渡す限り車など停まっていない。という事は死角に駐車しわざわざこんなところまで歩いて来たという話になるのだが、なぜコンビニも飲食店もないこんな場所で車を降りたのだろうか。そして、どうやって勇者がチンピラに絡まれていると知ったのか。全てが謎。全てが不自然。不可解。何らかの思惑か計略がない方が不思議なこの状況。ひょっとしたら、エンジュとの関連が露呈し、それを暴く為に一芝居打ったのかもしれない。(チンピラはマジの昏睡だが)。もしそうなのであれば、次は自分があの倒れているとチンピラのようになるかもしれぬ。おいそれと英雄について行くわけにはいかない。
逃げたい……いや、逃げなければ……
勇者はいつものように逃走を選択したい。しかしそれには、肩に張り付いたご立派な五本の指を振り解き、かつ
「いいじゃないか。悪いようにはしないから」
悪意のない言葉と笑顔! だがそれが返って不気味! 人間を殴り倒しておいて健やかな子供みたいな風でいられる人間がまともなはずがない! けたたましく鳴り響く勇者の脳内アラートはレッドゾーンを超えて暴走寸前! 狂気の手前である!
「い、いえ……本当に大丈夫です……」
か細い勇者の声! 当然である! なぜならこの時すでに! ストレスからくる吐き気と頭痛と腸の不調に苛まれていたのだ! このままではいずれ上は洪水下も洪水これなんだ! な
いっそ糞尿と吐瀉物を浴びせかけるか……家までダッシュする時間くらいは稼げるかもしれない……
勇者は世の為人の為より自身の安全を優先した。捨て身の作戦を立案し、何としてでもこの窮地を脱さんと死にもの狂いである。勇者の精神は生への執着により狂人の域に足を踏み込んでいたのだ。後は英雄の返答次第で正異の常が決する。勇者にとって、社会的に真っ当な人格を持って生きられるかの瀬戸際となっていたのであった。
頼むぞ美形……俺に最後の手段を使わせてくれるなよ……
格好良く胸の中で独白しているがとどのつまりゲロゲリアタック発動手前というどうしようもない状態なのだが、果たして英雄はどのように応えを口にするのか……
「……分かった。なら、気を付けて帰りなよ?」
折れた! 英雄の柔軟な対応によりバイオ攻撃は中止! 近隣住民の衛生環境は守られた!
「あ、あぁ……は、はい! き、き、気をふけて帰宅はせへいたたひまふぅ!」
勇者は歓喜に打ち震えた! ししおどしのように
とはいえ畏怖も忌避感も消えたわけではないので当然さっさとさよならしたいと思っている。一緒にいればいるだけ寿命を吸い取られていくような錯覚を勇者は感じていた。エンジュとは違うベクトルでヤバい相手にどう対処したものか考えあぐね心臓と脳みそを酷使しており、とてつもない量の汗が流れていたのだった。
「汗、大丈夫かい?」
目ざとく気付く英雄。心配しているのか怪しんでいるのか判断できかねる声色である。
「あ、あ、汗っかきなんで……」
「ふぅん……」
英雄はジロと勇者の身体を見渡し腕を組んだ。笑顔は消え、冷たい殺戮マシーンの顔をしている。
ヤバい……
死を覚悟した勇者。奴が一歩踏み込んで来たら精神的に一矢報いてやると身体を脱力させ体液をぶちまける用意をした。
「まぁいいか。じゃ、気を付けて」
「は、はい……」
セーフ! 妙な顔をしつつも英雄は引き下がった! 勇者に背を向け、何処ぞへと立ち去っていく!
は、早く帰れ……
勇者は焦っていた。発射体制を取った体液のノズルが緩んできたのだ。もしここで垂れ流しでもしたら、保護という名目で無理やり車に積まれかねない。万事休すである。
「あぁ。それと」
「は、はい!」
まだ何かあるのか!
「あのチンピラは回収してしかるべき処置をするから安心して生活してくれ!」
「は、はい……」
回収。しかるべき処置。どちらも穏やかな言葉ではないか勇者にはどうする事もできず了承を伝えることしかできない。無力感と保身でいっぱいである。
「それじゃ!」
勇者に手を振り背を向けて、ズタボロのチンピラを回収し英雄はようやく消えていった。
助か……あ、あ、あぁ……
そして勇者は開放感から身体が緩み、とうとう決壊してしまった。とんだ醜態である。
アカン……
人としての尊厳を失った勇者は泣きながら全力で帰宅し、現実から目を背ける為に一日中MMOの別アカウントで非道徳なプレイに励んだのであった。勇者が独自に立てていた出席計画については語るべくもない……
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