第28話

 その日の深夜と早朝の間。勇者はいつものように早過ぎる起床の後、PCの電源を入れた。楽しい1人のプレイングに期待を募らせながら胸を踊らせいざログイン。そして落胆。マップにスポーンした瞬間に表示されるログイン中のフレンド一覧。そこにエンジュの名が表示されていたからである。


*あらロトおはよう。調子はいかが?


 そして本人のご登場。相変わらずのスピードである。勇者はやるせなく、おは。とタイプした。


*んもーやっぱりパリはいいわよねぇパリは。人間的には南部の方が温かみがあるんだけど、やっぱり都市の美術的センスが日本とは桁違いだわぁ


*そうか


 反射的に、そのまま帰ってくるな。とタイプしそうになったが勇者は思いとどまった。無用な争いは避けるのが上策である。


*しかし、普通にログインしてるが暇なのか? あまりゲームはできないと聞いていたが


*何いってんのよ。こっちはもう夜の8時。何をやるにしても半端な時間で、ゲームくらいしかやることないのよ。それにフランスは夜出歩くような所じゃないわ


 小癪な講釈を垂れおる……


 勇者は胸の中で毒づきながらふと思い出し、迷った。昨日ゲーセン出会った英雄ヒロの事について聞くべきか否か……いや、配慮などする必要もなく、聞きたければ聞き、聞きたくなければ聞かなければいいだけの事なのだが、何故だか判断に迷いタイプする指が止まったのである。もし、英雄が本当にエンジュの恋人だったとしたら自分はいったいどうすればいいのか……


「恋人」


 英雄が発したあの一言が妙に胸へと刺さる。いったいどうした事かと、勇者自身も理解できていない。


*ロト、どうかした?


*ねぇ、なんかあった?


*大丈夫? 悩み事?



 返事のないしかばねのような勇者を過剰に気にするエンジュ。このまま沈黙を貫いては心配を拗らせ日本に帰国し得ない。伝える伝えないのいずれにせよ、さっさと答えは出した方がいいようだ。果たして勇者が選ぶ道は……




*いや、なんでもない


 勇者! 黙秘を貫く!


 馬鹿か。聞いてどうする。どうでもいいじゃないか。俺には関係のない事だ。


 勇者は掛かっていた靄を血迷いと判断し即座に忘れるよう努めた。俺はエンジュの家族でも恋人でもないんだとかぶりを振ってゲームを再開。しかし、お気楽な会話チャットをしながら4時間ほど狩りを行いゲームを終えたのだが、やはりモヤとした陰りは晴れず不愉快であった。エンジュは相変わらず酒を飲んでいたようで終始ご機嫌であったが、その自分との精神的な差がどうにも、勇者をやるせなくなせたのである。


「学校行きたくねぇなぁ」


 朝日が昇り鳥がさえずり始める頃。勇者は孤独の部屋でそう呟いた。しかし、だからといって本日も華麗にサボタージュというわけにはいかなかった。出席がギリギリなのだ。まだ最低数には達してはいないが何があるかも分からぬ故、勇者は独自の計算に基づき計画的に欠席するよう心掛けていた。その計画によると今月の欠席可能日数は3日。日付はまだ10日であるから、ここでの無駄遣いは控えたいところなのである。テンションがしぼんでいようが、登校はせねばなるまい。さしもの勇者も留年は体裁が悪いし卒業できぬとあらば将来にも響く。高校中退で生きていく力も根性も勇者にはなかった。世界はドロップアウターには厳しいのだ。村社会日本で生きる上で逸脱。脱落は御法度なのである。


 行かねばならぬか……


 全てを諦め身支度をする勇者。登校前から疲れ切った顔をしているが学校にはほとんど寝に行くようなものである。だがそれを咎める者はいない。逸脱と脱落は許されぬが怠惰と漫然は許容されるというのが村社会日本のおかしなところなのだが、元よりええじゃないかと刹那的な生き方をしていた人種である。堕落思考は国民性なのだろう。乗り込んだレールの上で過ごす生活が一番安心するのだ。


 この時間ならコーヒーの一杯でも飲めるかな……


 勇者の自宅と高校の間にはカフェチェーン店。ベローチェがあるのだが、勇者は朝からそこへ寄り道しようと考えた。憂鬱な朝もワンクッション置けば多少は気も紛れるだろうと踏んだのである。ベローチェのコーヒーは一杯200円。コストパフォーマンスは優れもの。お小遣い制の勇者の懐具合にも実に優しい。


 まぁ、たまにはいいだろう


 モーニングブレイク決定。親の金で飲むコーヒーは美味い。かくして勇者は授業前にベローチェにて一杯引っ掛ける事を決めた。玄関を出てスキップ。安くて早い牛丼のようなベローチェのコーヒーの存在が勇者の心の安定剤となり足取りを軽くさせる。清く拭く風が精神にくすぶる黒いにごりを削ぎ落としているかのようだ。


 人間たまには朝早く起床し生まれたての太陽によって暖められた空気を吸い込まなければいかん。自室にこもりきりでバキバキになった身体に新鮮な酸素が染み込んでこれは……ありがたい。


 早起きは三文の徳とはよくいったものである。勇者は朝の通学にいよいよ舞い上がっていた。


 よーし今日はタマゴサンドもつけちゃうぞー


 稀な空腹。満たされる食欲に想いを馳せて意気揚々。加速する歩速はベローチェに向かって一直線。当初の目的を忘れかねないエンジョイウキウキウォーキング。小石を飛ばして進む往来。コーヒーとタマゴサンドの相性はそれほどよくはないがともかくご機嫌な朝食が勇者を待っているのだからそれはテンションマックスである。順風満帆吉日大安。世界はまさに日本晴れ。勇者はまさに絶好調であった。


 だが、忘れてはならない。人生というのは、上がり調子な時にこそ逆風が吹くという事を……



「ニイちゃん。ちょっと待ちなよ」


 背後からの一声。それは間違いなく勇者を呼び止める声であった。


「あ?」


 何事かと振り返る勇者。そして誰だこんな朝から話しかけるような知り合いはいないぞと首を掲げる間もなく理解。其に立つはグラサン柄シャツ蛇革靴パイソンシューズ。オールバックがお似合いのいかにもない人物が立っていたのだ。有り体にいえばチンピラである。


「あ? じゃねぇんだニイちゃん。随分ご機嫌にスキップしてたようだけどよ。これな。この部分。このスネなんだけど、赤くなってんだろ? なんでだと思う? なぁニイちゃん」


 チンピラはそう言って裾をたくし上げた。サングラスから覗く眼光は怪しく光っている。口角は上がっていても三白気味のまぶた剃刀かみそりの如く鋭い。触れたもの皆傷付けそうなギザギザなハートが全面に押し出されているのだ。


「む、虫刺されですか?」


 勇者とぼける! 苦し紛れの一言! この無理通るか!?


「あっはっはっは!」


「あ、あは、あははは……」


 笑い! 発生する喜楽! 勇者! これはよもや……!


「笑い事じゃねぇんだ。ニイちゃん」


「は、はい!」


 やはり駄目! 破顔から一転! 修羅の形相! チンピラ! 凄む!




「テメェの飛ばした石が当たったんだよぉ。ニイちゃん。俺は昔から足が悪くてなぁ……リハビリしてようやくまともに歩けるようになったんだよぉ……それがこの石ころが当たったせいでご破算だぁ……どう責任とってくれるんだぁ……?」


 無茶な要求! 教科書通りの古典的なゆすり! 新喜劇のようなお約束な台詞回しは噴飯ものだが自身が被害者となればオチオチと笑ってはいられない! 勇者はびびっている!


「せ、責任……」


「おうよ。責任よ。が、制服着てるあたりニイちゃんはまだ高校生だろ? まぁ、無理だろうなぁ責任取るなんざ」


「は、はい……」


「だからニイちゃんの親に会わせてくれや。そんでもって一緒に病院行ってもらおかね。その後の事は、ま、大人同士で進めるからよ」


「あ、は、あ、い、いや、でも、あの、ちょっと……」


 しどろもどろ! 哀れな勇者! 弱気一辺倒! 目にも声にも力がない!


「グダグダ言ってんじゃねぇぞゴラァ! さっさと親連れてこんかいボケカスコラァ!」


「ひゃ!」


 そして漏らす! 黄金聖水! 恫喝におののき失禁! 末代までの恥を晒す! 


「さっさとせぇや! 歩けんくなったら一生面倒看させたるさかい覚悟せぇよ!?」


 チンピラの口調がインチキくさい関西弁へと変わった! 今は亡き島木譲二を彷彿ほうふつとさせる見事なエセ加減である(島木譲二は関西産まれだが)!



「えぇ……え、え、え……」


 勇者はとうとう泣き出してしまった! だがチンピラは微塵も動じない! たかる気満々である! このままでは本当に脅し撮られてまいかねない! どうする!? 勇者!?




「ほぉ……なら、俺が貴様の面倒を看てやろう……」


「え?」


 そんなピンチな折に突如として聞こえた凛々しく通る猛きも美しき男の美声! 勇者はその声に聞き覚えがあった! それは誰か! 思い出すと同時に鈍く響く音! 血飛沫と共に吹き飛ぶチンピラ! 何があった!? チンピラが殴られたのだ! フィクションめいたエキサイティングな朝の7時! 理解の前に逃避欲求に襲われそうなシチュエーション! 勇者は気絶しそうな程に混乱している!


「ただし、冥土への手向けとしてだがな……」


 残心を作り台詞を決める声の主! その正体は勇者が昨日ゲーセンで出会った細マッチョイケメン英雄! 《ヒロ》であった! 


「え、えぇ……」


 勇者は軽く10mは殴り飛ばされたチンピラを見てとうとう腰を抜かしてしまった! 放心し自らの尿でできた水溜まりに尻餅をいた事も分からぬ状態である!


「もう大丈夫だ。勇者君!」


 慰る英雄の声が勇者に届いたのは、尿溜まりに濡れた衣服が風に吹かれてようやく冷たさを知覚した後の事であった。

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