第20話

「いったい何を待てと? もう話す事など何もありません。さようなら」


 なしのつぶて。星羅せいらの母親は聞く耳持たぬと勇者ロトを突っぱねる。しかし勇者もここで退くわけにはいかない。仲間として友として、スバルが、彼女がこのまま去っていくのを見過ごすわけにはいかないのだ!


「娘さんの成績! 上がってるはずですよね!? 特に国語と社会!」


「……!」


 咄嗟に出た一言。しかしまんざら出鱈目でたらめではなく、母親にも思い当たる節があるようであった。それを察した勇者は、更に畳み掛けるようにして話を続ける。


「三年生くらいの頃から、漢字の読みと歴史に関しての知識。そして基礎計算の早さが向上しているはずです!」


 勇者のこの発言は概ね正しい。星羅はゲームを通して学業成績が上昇していた。読めぬ漢字は都度聞いて回り、見かけるキャラクターの名前の由来などは元となった人物を調べ歴史を学び、レベリングに必要な残り経験値や狩りにおいての一時間辺りの効率。ドロップ率などから倍率の計算を毎日にように行ってきたのである。これで頭の働きが良くならないようならそいつは何をやっても駄目人間だ。


「言っちゃあ悪いのですが、娘さんはあまり勉学の程はかんばしくなかった。特に文系科目に不安があったはずです」


 これもまた事実である。星羅は紛う事なき落伍者であった。彼女はまさしく学に暗く、文机に向かうだけで拒絶反応を示していた。

 だが、それは決して愚鈍というわけどはない。星羅は理に対し潔癖であり、少々ものの覚え方に難があっただけのだ。単純暗記を大の苦手としていた為、歴史や数学の公式を苦手としていたし、漢字の読み書きも覚束なかった。

 ある時勇者は星羅から、いや、スバルからその事について相談された事がある。「勉強が分からない。どうしても記憶する事ができないと、平仮名混じりのチャットに打ち明けられたのだった。

 それに際し勇者は次のように語った。


「ゲームが解決してくれる」


 無責任かつ滅裂な提言であったが意外や意外。このたわけた発言が星羅の学習意欲を促進したのである。その日の彼女の日記にはこう記されていた。




 ゲームの中でべんきょうすればいいんだってロトさんがゆってくれた。めからむらた(目から鱗の意である)




 こうしたトンチンカンな成り行きにより星羅は勉学に対する苦手を克服したわけである。ゲームのおかげで学習に興味が結び付き、理を解するに至ったのだ。

 勇者はこの話を本人から聞いていた。勇者的には適当を吐いたという自覚があった為に少々の気まずさを覚えたのだが、その情報が今こうして役に立った事に運命を感じていた。この場において、これほどまでに力強い説得の材料が他にあろうか。いやない。勇者は控え目な声とは裏腹に、絶対的な自信を持って星羅の母親に物申したのであった。


「だから、なんだと言うんですか?」


 が、母親は動じず! 毅然とした態度で勇者を迎撃! あくまで徹底抗戦の構え! しかし構わず通話を切らぬ辺りに勇者の弁が多少なりとも効いている様子である! 


 これはピンチではないチャンスだ!


 及び腰ながら勇者! ネゴシエート続行を決意!


「いえ、あの、だから、星羅さんがゲームをやり始めたのも、それくらいで……」


 だが駄目! 弱気一辺倒! これでは説き伏せる事など夢のまた夢! そしてこの狼狽を、星羅の母が見逃すはずがなかった!


「知りませんよそんな事は。だいたいもしそうだとしても、星羅の基礎学力が上がったというだけ。今後は不要です。中学になれば応用に考察。論理的思考や倫理なども学ばねばなりません。ゲームでそれらが身につきますか? つかないでしょう。だいたいゲームなんかにうつつを抜かす人間はろくでなしに決まってます。さっきからウダウダと言ってますが、貴方学歴は? 言ってごらんなさい。はぁ、早く!」


 カウンター炸裂! 勇者! 絶対絶命!


「あ、ま、まだ高校生です」


「なるほど。して、偏差値は?」


「あの、すみません。なんか、ちょっと分かりかねます……」


 勇者の返答に母親は鼻で笑った。「お話にもならない」といった様子である。このターンにおいて勇者のライフポイントは0となり試合終了。口を挟む余地はなくなった。


「まぁいいです。貴方のレベルは分かりました。それでは、一応聞いておきましょうか。先程から黙り腐っている貴方。威勢良くなにやら仰っていましたが、どうです? そのままの勢いで教えていただけませんか? 学歴を」


 なぶるような口調。これは取りにきた。マウントを! 次なる標的をロックオン! 問われたエンジュはどう答えるか!? 一応大学を出ているという話だが……


「馬鹿馬鹿しい。学歴で人を測るだなんて、それこそ頭足りてない証拠じゃない」


 真っ当な反論。しかし。


「そういう台詞はちゃんとした大学を出て始めて説得力が増すんですよ? ま、どうせ底辺の貴方には分からないでしょうけど」


 教育ママもここまでいくとただの嫌な奴である。嫌味が効き過ぎてまるでコメディの領域に足を踏み込んでいるが当人は大真面目のようだ。この星羅の母親は、本気で人を学歴と、更にいえば収入で判断するような人種なのである。エンジュはそれを察したのか、侮蔑するような口調で母親に問うた。


「ふぅん。なら、ちゃんとした大学を出た人間の言葉なら、聞く耳を持つっていうの?」

「えぇ。まぁ、ここにはいらっしゃらないでしょうけど」


 応戦! 一歩退かず迎え撃つ構え! 憤りはもはや娘から離れ私怨が混じり、母は般若となっているようだ!


「ちなみに聞くけど、お母さん。貴女の言う、ちゃんとした大学というのは、どのレベルなの?」


 「……」


 しばしの間。星羅の母はやや考え込んだかのような息を漏らし、秒針が半周するかしないかの間に落ち着いて答えた。


「国内ならトーダイソーケー。その他上位国立大。少々乱暴ですが、この辺りです」


 星羅の母は勝ち誇ったような吐息を漏らした。あなた達には縁のない世界かしらんと言わんばかりの愚弄ぐろうである。

 しかしそれ嘲笑うかのように、エンジュはふふんと鼻を鳴らし応戦したのであった。


「ならよかった。出といてよかったケーオーギジュク。福沢先生ありがとう」


「……え?」


 驚きの嘆を発したのは勇者である。推薦で大学に進んだとは聞いているが、ケーオーとは初耳。


「推薦なんだけど、最低限の学力はあったわよ? ていうか、ないと入れなかったし。ちなみに文学部哲学専攻よ」


 エンジュは言い終わると同時に卒業証明書をアップロードした。名前は確かに、下々条 玄一郎 と記載されている(年月日は隠されていた)。


「で、さっきの話の続きなんだけど……」


「待って」


 エンジュが話しを続けようとすると、食い気味に星羅の母が割って入ってきた。


「年収は……お仕事は!?」


 鬼気迫る一声! 母はマジである。


「……今はフリーランスだけど、ブログとサイト運営。個人経営として雑貨の輸入販売。あとコンサルタントというか、webサイトのアドバイスなんかで、まぁ年収というか、税金差っ引いても2000万くらいの儲けは……」


 よもやの展開! エンジュの勝ち組情報がセルフ開示され衝撃走る! 1年の収支が+2000万! ヘタなプロ野球選手より上の金額! フィジカルとメンタリティが化物じみた存在ではあったが、エンジュ。ビジネスの面でも圧倒的な強さを見せつけた! 


「星羅」


 星羅の母は、2オクターブ程音域を上げ、星羅の名を呼んだ。


「は、はい」


「許します」


「はい?」


「PCとゲーム。許します」


「え? いいんですか?」


「はい。ただし、この方からしっかりと、色々学ばせていただくのですよ?」


「は、はぁ……」


 説得成功! 星羅の母! よもやの手のひら返し! これには星羅も困惑の様子! 

 エンジュも当初こそ唖然としていたが次第に気を良くし歌うようにして声を上げ自らを誇った! 鬱陶しい馬鹿笑いが響くも母親はそれを非難するわけでもなく、しきりに「先は申し訳ありませんでした」と謝り倒すのであった!


 そして勇者は結局金と学歴かと悟り無事死亡。ひっそりと通話を切り就寝。朝の4時に起床しゲームをプレイ。こここそが自らのベストプレイスだと言い聞かせながら現実から目を背けるのであった。


 歌い手を育成せねば……


 勇者は現実から目を背けるかのように使命感を思い出しキーボードを操作した。将来への不安と、エンジュに対する劣等感による不安を覆い隠そうとしているのである。


*ロト


 そんな中チャットを送ってきたのはエンジュであった。勇者がログイン後、秒で駆けてきた。


「寝てないんかい」


 苦々しく呟くもそんなセリフをチャットで流すわけでもなく、無難におはようさん。と返した。面倒な話はしたくなかったのだ。


*今日、いつの間にか通話切れてたから何かあったかと思った


*俺がいなくても問題なかっただろ。


 面倒な話はしたくはないが、なってしまったら吐き出さずにはいられなかった。内心拗ねているのは事実である。勇者は当てつけのような矮小をエンジュへ向けた。


*なに。拗ねてるの?


 だがエンジュにはお見通しであった。画面の外でクスと笑われていると思うと、勇者は冷静さを取り戻し自身を戒めた。


 スバルがゲームを続けられるのだ。よしとしよう。


 勇者はそう言い聞かせタイプをしようとすると、既にエンジュは狩りに勤しんでいた。武闘家 マスターの打撃が深々と敵の群れをなぎ倒していく様は圧巻である。まったくエンジュらしい職業ではないかと、勇者は脱帽したように小さく笑った。しかし。


 待て。


 その時気付く! ある事実! 勇者は敵をなぎ倒し進んで行くエンジュのキャラクターと、それを繰る本人の姿を重ね合わせた!

 

 リアルでも拳一つで暴れる巨漢! 


 舞うように、歌うように行使される暴力!


 それはまさに今! 自らが育成せんとしている、殴り壁歌い手の完成図そのものだったのだ!


*寝る


*え? なんで


 勇者はエンジュの返信を待たずしてログアウト! そしてシャットダウン! 


「やってられっか!」


 朝の団地にはらわたを吐き出すようなシャウトがこだました。直後に着信。相手は星羅。


 こんな早朝にどうして……


 通話に出るかどうか迷っている間にまた別の着信! しかし相手は星羅ではない! エンジュである!


「勘弁してくれ!」



 部屋で右往左往。鳴り響く着信音。勇者はベソをかきながら布団に潜り、全ての困難から目を背けた。


 夜明け前。静寂に水を差す間抜けたSkypeの着信音。それは終わる気配を見せず、先に待つ困難を暗示しているかのように、無機質に流れている。


 平日早朝天気は晴天。

 まだまだ続きそうな勇者の予感を見せながら、今日もまた、日が昇るのであった。

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