第18話

 PCに映し出されたSkypeのフレンド一覧画面にはエンジュと星羅せいらの名が連なっていた。程なくして18時となる。約束の時だ。


 なぜこんな事に……


 落胆し、ため息を落とす勇者ロトの顔は暗い。まるで死神が憑いているようだ。


 勇者がなぜ左様に不景気な面持ちで待機しているかといえば、これから星羅を交えたエンジュとの地獄の三者面談が予定されているからである。


 事はゲッティ屋での一悶着の後であった。


「はぁ!? あんた本当にスバルなわけ!?」


 一暴れしたエンジュはワイン代を加え、破壊した卓の弁済と迷惑料として2.30万を置いて退店したのであったが、その間にも勇者のスマフォを握りしめ舌戦をくり広げていた。相手が子供故か大分言葉は選んでいたようだが、大人気ない事には変わらない。真っ当な精神を持つものであれば咎める場面であるが残念ながら勇者はチキンである。臆病風に吹かれた彼は、空腹と股間の冷えに堪えながらその様を見守る事しかできなかった。


「とにかく、後で話し合うわよ!」


 外に出たエンジュは咆哮のように吠え通話を切った。時間は13時30分を迎えようとしていた。星羅せいらの休み時間が終わる頃だったのだろう。そんな所は冷静である。


「あの、スマフォを……」


 情けなや。勇者はまずスマフォの返却を要求した。エンジュと星羅についてではなくだ。これはよくない。男としては三流、四流の所業である。


「……ロト。貴方、今日18時から空けておきなさいよ?」


 脅すようなエンジュの一言。勇者はわけが分からなかったが、死が近づいている事だけは理解できた。断れば即死。即、死ではない。瞬間的に死ぬのだ。エンジュはそういう目をした。


「わ、分かりました……分かりましたけど、いったい何を……」


 承諾せざるを得ない状況ではあったが、いったい18時に何をするのか、勇者は聞かずにはいられなかった。


「言ったじゃない。話し合いよ」


「……誰と?」


「スバルとよ! 決まってんじゃない!」


「は、な、なんでー!? なんで俺までー!? なぜぇ!? なぜ故にぃ!?」


「なんでー? じゃないわよ! 元々ロトが蒔いた種なんだからね!?」


 エンジュの言にも一理ある。元はといえば日和って締めるべきところを締められなかった勇者にも責任があるのだ。女子小学生相手に臆し悲鳴を上げ、終には降ってしまうなど言語道断の恥晒しである。もっとも、実際に交際しているわけでもないエンジュがそれを指摘するのは、いささか筋が違う気もするが……


「いい!? 分かった!? 返事は!?」


「は、はぃ!」




 こうして勇者の時間的拘束が決定地した。本日も規定通りのプレイングは不可能となったわけである。


 そんなわけで勇者は自室にて待機しているのであった。エンジュは既に星羅へ連絡を入れているらしいが、昼以降、その星羅から全くの音沙汰がないところをみると恐らく釘を刺されたのだろう。帰宅後の静寂は勇者に一と時の脱力感を与えたが、遅れている殴り壁歌い手育成の焦燥感から、少しばかり狩りに時間を割き今しがたようやくログアウトしたところなのだが、いつものような満足感はなく、ただ、作業をした。というつまらぬ感覚だけが残ったいた。(エンジュに気付かれる恐れがある為ログイン隠匿アイテムを使用していた)。


 気が重い……


 好き好んで修羅場にダイブしたい人間などそうはいまい。『冴えない俺がネトゲやっていたらなんだかんだでリアルがハーレムプレイになって人生勝ち組になりそう」というようなふざけ倒したタイトルの主人公としてのイベントなのであれば、それは勇者もやぶさかではないのだが、なんの因果か相手はオカマとJS。会う度に命の危機を感じるガチムチ兄ネキと結ばれた瞬間ハローポリスメンの2人である。どちらに転んでも地獄でしかない。


 ……無視してもいいんじゃないだろうか。


 追い詰められた勇者はトンズラをキメるのもワンチャンありなのでは? と想像してみたが、即座にかぶりを振り「無理だ」と、生気なく呟いた。エンジュに捕獲され食い殺される未来しか見えなかったのだ。退くも地獄進むも地獄。勇者の命運はお先真っ暗。1人立つサイレントサバイバー。イカれた世界でダウン直前真っしぐらな悲惨さである。


 ……きた!


 もはや聞き慣れた着信音。緊張感の欠片もないSkype通知音が、勇者の鼓動を早くした。


 えぇいままよ!


 クリックまでに通常の3分の1をかけ勇者は受信を承認。開始直後のコンマ数秒間のノイズが死を呼ぶ風のように不吉である。


「もしもし」


「もしもし」


「もしもし」


 儀式的に交わされた挨拶は静かに、不気味に執り行われた。声のトーンは一様に重い。不穏と不安が混ざり合った葬式のような空気感。勇者はマイク越しに感じる見えないプレッシャーに押し潰されそうになった。


「あ、あの、本日は、お日柄もよく……」


 血迷い。迷走。

 重圧に負けた勇者はとち狂い訳の分からぬ枕めいた言葉を発した。


「夜から雨よ東京は。県庁所在地が漢字一文字のど田舎はどうか知らないけどね」


「津は関係ないじゃないですか! 津は!」


「あらごめんなさい。でも他に特徴もない県ですから……あぁ後、そうは桑名の焼きはまぐり? でしたっけー!? もう笑っちゃうわよねぇ!? しょうもなくって!」


「はぁ!? 焼き蛤おいしいんですけど!? だいたいしょうもないのはそっちじゃないですか!? インターネットで女の子の真似なんかして恥ずかしくないんですか!?」


「あ、あー! あー! 言っちゃった!? 言っちゃったわね!? それを言っちゃあお終いよ!? もう許さないんだからね!?」


 始まる醜い争い。ゲルニカの一部を抜き出したような情念の炎。「クソ餓鬼」「オカマ」の応酬。2人の口論は投石の投げ合いのように原始的で容赦がなかった。ノーガードでのインファイトは互いにダメージを麻痺させているが、後に自ずからの言葉に自己嫌悪をするだろう。感情を剥き出しにした口喧嘩などそんなものである。そしてそんな低俗極まりない2人を目の当たりにし(実際には離れているが)勇者はいくらか冷静さを取り戻した。地獄の宴を妄想し悲観していた自分が馬鹿らしく思えたのだ。


「あんたなんかより先に私がロトに出会っていたんだから! 絶対に私の方がロトを好きなんだからね!」


「時間なんて関係ないです! 私の方が絶対ロトさんの事好きなんですから! それにやっぱり男の人が男の人を好きになるなんておかしいです! 異常です!」


「あ、あ、それはテメェ駄目だろ! テメェふざんけんじゃないわよこのやろう馬鹿野郎! 私はやるからなこのやろう!」


「やるって何ですか!? 道端で裸踊りでもしてくれるんですか? そしたら私はそっちまで行って大笑いしてやりますよ!? おひねりはいくらがいいですか!? 100円ですか!? 200円ですか!? 好きなだけあげますよ!」


「口が減らない! まったくあんたって子は口が減らない! 小学生が生言ってんじゃないわよ! 上等じゃない! 来てみなさいよここまで! 見つけた瞬間ひん剥いてロリコン供の供物くもつにしてやるんだから!」


 なんと愚かな……争いは何も生まないというのに……


 いつの間にやら勇者は賢者タイムとなっていた。勝利者のいない戦いに疲れ果てた兵士のように、その瞳はそっと虚無を見つめている。ヒートアップするばかりで終わる気配など微塵も見せない無限円舞曲エンドレスワルツにもはや諦観し、終わりなき終焉を眺める事しかできなかったのだ。


 俺は結末を見届ける事しかできない……


 勇者はイヤホンをしたままベッドに移り漫画を読み始めた。自らが入る余地はないと悟ったのだろう。完全に無視を決め込み別世界である。事の発端がこれでは本末転倒。このグループ通話の意味はほとんど失われてしまったといっても過言ではない。果たしてエンジュがどのような場としたかったのかは、定かではないが。


 だが運命とはよくできたもので、外れたピースの隙間には、それを埋めるようにして別のピースがはまる事が往々にしてある。世界とは時折、一幕の完結に向かって動いているのではないかと思われる事が度々あるわけだが、此度こたびも勇者が除かれた事によって、新たな役者が登場するのであった。


「ちょっと星羅! 騒がしいですよ! 何をなさってるんですか!」


 それは星羅のマイクから拾われた知らぬ人間の怒声であった。突然現れた謎の人物に固まるエンジュ。しかしてその正体は……


「お、お母さん……ちょ、勝手に入ってこないでください!」



 親フラ! 星羅ママのご登場であった!

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