第17話

 12時過ぎの池袋駅前。平日とはいえ人通りは多い。昼食に急ぐ企業戦士サラリーマンや大学生。何をして生きているのかよく分からない暗黒面ダークサイドに落ちていそうな怪しげな不審者など、十色な人間が飯処を求めさまよっている。つまりは雑踏。人間の渦。波。故に、明らかに未成年である勇者ロトがその場にいたとしても異様感は皆無。朱に白が交われば嫌でも目立つが、元よりカラフルな場においては朱だろうが白だろうが誰も気にしない。これぞ都会の醍醐味。無関心社会。


 だがそれでも、どうしても人の目を惹きつける人間は実在する。


 ……来たか。


 騒めきを察し勇者は悟る。待ち人が到着したと。

 奇抜奇天烈などという言葉では生温い、日常において明らかな異変を生じさせる、圧倒的存在感を放つ傾奇者。大ぶへんの許しを受けたかのような戦人のオーラを纏うエンジュは、確かに、他を寄せ付けない破壊的な生物であった。


「お、ま、た、せ」


「ひ、久しぶり、です……」


 辛うじて失禁を堪える勇者。実際のエンジュと顔を合わせるのは数日ぶりで然程の時は流れてはいないのだが、やはり何度出会おうとも慣れぬものは慣れず、彼女(?)の奇々怪界な絵図に、ついおののいてしまうのであった。


「嫌だわロトったら、まるで虎かライオンを前にした子兎みたいな顔しちゃって」


 エンジュの笑えぬ冗談に愛想を打ち勇者は冷や汗を流した。


 獣の方がまだ身の安全を感じるよ。


 事実大型の肉食獣すら殴り殺しそうだから質が悪い。大山倍達もびっくりな人間凶器である。もしエンジュの広背筋にオーガが現れたとしても、勇者はさして驚きはしないだろう。


「それじゃ、行きましょ」


「あ、あぁ。どれくらい時間がかかるんだ?」


「徒歩15分。走って5分ってところかしら。どうする? 急ぐ? 担ぎましょうか?」


「……徒歩で」


 無難な選択を選んだ勇者はエンジュと並んで街を歩いた。道中やはり奇異の目で見られたがもはや気にもすまいと大手を振っている。


 見られているのは往来をランウェイにして世紀末ファッションショーをしているエンジュだ。俺は関係ない。悪いのはこの筋肉達磨だ。


 と、勇者はあたかも自らに罪はないと言わんばかりの白々しさを見せていた。いくらエンジュの威風堂々を黙したところで、学校をサボタージュした罪過のエクスキューズにはならぬのだが。


「あのお店はねぇ。ナポリタンが美味しいのよぉ!? 鉄板で出してくれるのよ鉄板で! 熱々よぉ!?」


 パスタが美味い店でナポリタンを薦めるのか。そこは本当にパスタが売りの店なのかと勇者は訝しんだが、鼻歌交じりのエンジュを見て野暮は言うまいと黙して歩を進めると、きっちり15分で目的地のゲッティ屋に到着したのであった。時間は13時5分前。空腹具合はピーク。店内はぼちぼち捌けてきたところである。これならオーダーも早く通り餓死する前に料理が配膳されるだろうな。と、勇者は浮かれた。


「予約した秋海棠しゅうかいどうです」


 とんな名前だ。


「はい。秋海棠しゅうかいどう 紫苑しおん様ですね。承っていおります。どうぞこちらへ」


 どんな名前だ。


 偽りの珍名の下に確保された席は窓際の一等席であった。空と街の色が名画の代わりをする事うけあいだろう。見晴らしは都内にしてはいい方である。


「とりあえずワイン。ボトルで。あの、カステルデルモンテレゼルヴァってのを頂戴。グラスは一つで」


 席に着くなりエンジュはボードに記載された呪文めいたワインを頼んだ。欧米では昼時にワインを頼む事はさほど珍しい事ではないらしいが、さすがにボトルで飲む人間は少数であろう。


「何頼む? ドリンクもお酒以外だったらなんでもOKよぉ!? 今が90年代だったら、アルコール頼んでもよかったんだけどねぇ」


「駄目だ! いつの時代も!」


 未成年飲酒は絶対禁止である。例え何年前だろうと触法行為は許されない。


「あら、サボリ魔のくせに真面目ね」


「うるさいなぁ……」


 存外フレンドリーに会話は弾んだ。なんだかんだで、相性はいいのである。


「お待たせしました。こちら、カステルデルモンテレゼルヴァです」


「あ、ドウモー」


 無駄話をしていると例の呪文めいたワインが運ばれ、折に料理を注文した。頼んだのは二人ともおススメと下品に誇示されたナポリタンである。立地も雰囲気もサービスも良好なのにも関わらず、いったいぜんたいどうして赤と緑のギンガムチェックのAボードにメタリックシルバーの塗装で鉄板ナポリタンなどと書いてしまったのか。ナポリタンも鉄板もまったくナポリの風を感じられないではないか。この店のオーナーはどういう精神状態なのか悪い意味で気になるところである。


「ところで、何かあったの? 狩りを中断するなんて珍しいじゃない」


 景気良くワインを3杯4杯と空けながらエンジュは勇者にそう聞いた。恐らく身を案じているのだろうが、酒を飲みながらでは絡んでいるようにしか見えない。


「私用だよ。大した事じゃない」


「ゲームに生きるって豪語してた人間が、ゲームを抜けてまでいったい何をしてたのかしら」


「ぐ……」


「それとも、ゲーム以外に何か楽しい事でも見つけたのかしら。だったら、是非教えてほしいものだわぁ」


「……」


 拗ねているのだろうか。完全に絡み酒の体となっている。瓶は既に空。水のようにワインを呑み込んでいくエンジュは一向に酔う気配がないが、それが逆に恐怖である。


「ま、まぁいいじゃないか俺の事は……」


 茶をにごそうとする勇者。ところがぎっちょん。


「よかないわよ!」


「ひぃ!」


「私はロトの為にゲームをしているといっても過言ではないのよ!? それをなに!? 貴方がそんなおざなりなプレイをしてくれちゃったら本気でやってる私が馬鹿みたいじゃない!」


 轟く剛声! 酔っていないと思われていたがエンジュはでき上がっていた!


 いかんな。こいつ、酒には強いがどうにも酔いに任せる傾向があるらしい。


 勇者は冷静に分析しつつ、並行して失禁の処理について考えていた。妙に落ち着いているのは股座が冷え一時的に解脱の境地に立っているからである。


「まぁ落ち着いてくれ。あれはしかたない事なんだ。俺とてゲームは優先したい。しかし、どうしてもやらねばならぬ事があったのだ。分かってはくれまいか」


 随分仰々しく深い口調であるが勇者は漏らしている。今日、勇者はどれだけ格好をつけても、どれだけ真理に近い発言をしても小便を垂れ流した事実は覆らない。オシッコマンリトルのそしりを免れぬのである。哀れな事だ。


「……その用事って何よ」


 そして理由の説明もなく納得するエンジュではなかった。身体はハヌマーンでも性根は蛇。その視線は妄執もうしゅうと偏愛に満ちている。


「まぁ、そのなんだ。スバルが……」


 勇者が口を開いた瞬間。鳴り響く着信音。Skype。


「ちょ、ちょい待ち」


「誰よ!」


「いいから! ちょっと待って! ……もしもし! どうした!?」


「ロトさん! ちゃんとスマフォにSkype入れてくれたんですね! 嬉しい!」


 空気を読まぬ女、星羅せいら! 三度目の通話を敢行! 予告していたとはいえ、タイミングが最悪! 


「うん! そうか分かったまた後でな!」


 通話終了! 一方的ガチャ切り! だがそれもやむ終えない。何せ近くにいるのだ……奴が!


 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……


 摩訶般若波羅蜜多心経を唱え恐る恐る対面を見る勇者。だが効果無し。失せぬ気配。向けば座すは羅漢仁王。その正体は闘神。インドラであった!


「そう! スバル! 最近スバルとSkypeをしていて……」


 先手必勝! 勇者は先にしかけた! 嘘は言っていない!


「女の声がしたわ……」


 だが無常! エンジュの耳にはしっかりとスバルの声が届いていた! 


「こ、子供だからまだ声色が高いんだよ!」


「嘘!」


 エンジュは立ち上がり卓に拳を叩き込んだ! 音を立てて割れる食卓! 破壊の鉄拳! 


「浮気よ浮気! 許せないわ!」


 店内は騒然とする間も無く沈黙! 突如として落ちた神の怒りになす術がないのだ!


「ま、待て! 落ち着け! これには理由が……」


 勇者が言いかけると再び着信があった。そして肝心のスマフォは割れた卓から滑り落ち、エンジュの足元に! エンジュは当然それを拾う!


「星羅!? 星羅って書いてある! やっぱり女じゃない!」


「待て! 話せば分かる!」


「いいわ! 話してあげる! だけどロトじゃなくてこの泥棒猫とね!」


「あ、馬鹿!」


 通話開始! エンジュの口が開く!


「ハロー! マイネームイズエンジュ! フーアーユー!?」


 こだまする雄叫び! 静まり返る店内! 店員もすくみ上がり止められそうにない!


 そこにスマフォの受話器から微かに聞こえる細い声! 


「え、エンジュさん?」


始まってしまった悲劇! 加速する勇者の心労! 恋する者達の暴力的なトライアングルストーリーの幕がここに切って落とされたのであった!

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