第8話

 深夜。

 草木も眠る丑三つ時にて勇者ロトが眺めるはモニター越しの電子世界。窓の外とは裏腹に、夜の概念がないMMOでは常に太陽が輝いており視力の低下を招きそうな発光を続けている。

 そんな不健康極まりないプレイを勇者がなぜ続けているのか。以前のようにレアアイテムを手に入れる為か。はたまたボスの討伐か。それとも狩りによるレベリングか。生粋のゲーマーである勇者には、きっと明確な理由が……



 ないんだなこれが。



「極めたな。こいつも……っ!」


 そう呟く勇者が本当に極めたかは怪しいところである。ではなぜ左様な大言を叩いたかというと、彼がゲームの目標を見失ったからである。

 MMOには明確な目的が設定されていないものが多い。そうしたゲームのゴールはユーザーの数だけ存在し、それ故遊び方も多岐に及ぶ。純粋に強さを目指す者や、コレクターアイテムの収集に精を出すものなど、そのあり方は様々なのだが、共通して発作的な一念が頭によぎる事がある。それはある日を境に、突然やりきった感が湧き出すというものだ。そうなるともう駄目。今まで楽しくやっていたプレイが途端に面倒となりどうでもよくなってしまう。それは単なる作業。義務的なキーボード操作。全ては虚無。無益。

 だが、築いてきた実績や集めたアイテムを全て忘れて現実に帰る事は不可能であり、惰性で何時間もログインする日が続くのである。こうなったユーザーが行き着く先は二つ。何かのきっかけで再燃するか、これまでのプレイを吹っ切って他のゲームに手を出すかだ。


 勇者は今まさにその転機に立っていた。ワールドで他人のチャットを眺めながら、ちゃっかりスマートフォンで新作のMMOを探しているあたり、さや替えするのもやぶさかではないようである。


*ロト! 贋作剣エックスカリパーを限界値まで強化したわよ!


 そうとも知らず、嬉々としてやってきたのはエンジュであった。シングル用クエストに挑む事15時間。ようやく強化用の素材集めに一段落ついたのだろう。モニタ越しでは分からぬが、勇者にはゲーマーだけに備わったニュータイプ能力により、発している疲労のオーラを感じ取らせる。


*さよか


 しかしその労を労う暇は勇者にはなかった。彼は今、ピューリタンやゲルマンのように、新たなる大地を夢見ているのだから。


*あらつれない。こんなアイテム強化してるの、多分、世界広しといえどこんな事やってるわたしh


 エンジュ。謎の間。秒速でレスポンスを返す彼女(?)にあるまじきラグ。不審である。


*なんた? タイプミスか? それとも落ちたか? 


「……」


 依然沈黙。不可思議な現象。

 普段はPC の前から離れないと公言しており、しかも実際動作していない所など見た事がないのエンジュのキャラクターが停止している。いかに邪険にしている勇者も、さすがに一抹の心配を覚える。


「おいおい。死んでないだろうな」


 オンラインゲーム中の死は起こり得る事態である。

 死因は過労だったりストレスによる心不全が多くを占める。まさかと思われがちだが、実際、4時間程度の連続プレイで心臓麻痺を起こした事例がある為、適度な休憩を挟むのはゲーマーの常識なのだが……


*よーし私。休憩無しで狩りしちゃうぞ☆


 勇者の脳裏に浮かんだのは、15時間前のエンジュのチャットログであった。


 ……電話したほうがいいんだろうか。


 そう思うのは人として当然の良心。だが、勇者は動けない。スマートフォンを持ち、無理やり登録させられたエンジュの連絡先を開いたまま微動だにしない。勇者が迷うのは、もし、エンジュが生きていたら、より、彼女(?)の中で自身の評価が上がってしまうのではないかという懸念があったからである。普通ならばノータイムでかけるべきところだが、相手がエンジュであれば話は別。着信即通話。「心配してくれたのー!」などと電話越しに言われた日には覆水を盆に返らせたくなるような意気の消沈となる事確実。様々なリスクを考慮し、慎重に行動するか否かを決めねば貞操の危険が危なく頭痛が痛いのである。


「……3分待とう」


 

 自身にい聞かせるよう呟くと、勇者は手にしたスマートフォンで、過去にオンラインゲームのプレイ中に発生した死亡事故を改めて検索した。出るわ出るわの無謀な長時間連続操作。


「むぅ……」


 唸り、悩む。


 カフェインを摂取しながら48時間不眠不休でゲームに打ち込むなど正気の沙汰とは思えない記事が続々とヒットするのを見て勇者はため息一つ。自らに課した3分の猶予を早くも破棄せんと、再びエンジュの連絡先を開いた。その時!


*あ。てすてす。


 エンジュのキャラからテキストが流れる。しかし妙。テスト? なぜ? キーボードかPCに異常? いや、それにしてもエンジュであれば、半角英数字でtsと打つはずである。何かがおかしい。何かが。


 瞬間。更にログが更新される。しかもそれは全体チャットではなく個人チャットであった。




*はじめましてロト君。私は玄一郎の父親です。


 


 衝撃の一文! 此は誠か!?




 玄一郎? エンジュの真名リアルネーム!? まじかよ宝具でも披露するつもりか!? 違うそうじゃない疑問点は! 父親? なぜ? 嘘? 虚偽? いやいや待て待て。一度冷静になろう。ホットなハートにクールなブレイン。これが一流ゲーマーの鉄則。ゲイナーを思い出せ。冷静。冷静。とはいえ絶対に素数は数えんぞ。安易なネタに走る愚行は自らのセンスの無さをご披露するだけなのだから!


 勇者の脳内に押し寄せる怒涛の困惑! パニックのタイダルウェーブ! 咲き乱れるは混沌の萌芽! 勇者は今まさに混乱している! だがさすが一線級のプレイヤー 動悸息切れは1ターンで快復! 思考回路は直ちに元通り!


 整理完了きっと真実なのだろう。他に例を見ない奇天烈極まりない異常者のエンジュであるが、斯様なつまらぬ冗談を吐くようなナンセンスではない。また、個人チャットとはいえ自らの名を語るのも解せない。たとえこの玄一郎という名が偽名だとしても、ミンメイになりたかったと豪語するような生粋の性的マイノリティが異なる性の名を告げるわけがないではないか。


 分析完了。しかし。


 しかしだからどうだというのだ。エンジュの父親がコンタクトを取ってきたところで何が困るという話だ。やましい事などなにもない。あるはずがない。だいたいあいつはとうに二十歳はたちを超えているはずだ。いや、三十すら突破しているに違いない。よしんば間違いがあったとして、親が出る幕ではないではないか。何を恐れある。何を臆す。自分は潔癖。全然無罪である。


 そこまで思案し勇者は再び混乱し頭を抱えた。自らの行動を正当化する脳内作業に誤りがあると気付き躁に陥ったのだ。


「間違いってなんだ! あるわけないだろう馬鹿か! 考慮する必要もないじゃないか!」




 ヤケクソになって叫ぶ勇者はPCに向き合いタイピングを開始した。苦悩と忿怒に満ちた表情はさながら蛇に襲われるラオコーン像のようである。残念ながら、美術的にも歴史的にも価値を見出す事はできぬが。


*はじめまして。どういったご用でしょうか。


 ようやくエンジュの父と名乗る人物に返事をする勇者。ここまでかかった時間はおよそ5分。スピードが命のリアルタイムコミュニケーションではあり得ないロスであったが、このような状況下であればそれもしかたなき事だろう。半ばストーカーと貸しているネカマの父親と名乗る人物からの接触に際して、正気と狂気の狭間で揺らがぬ者は即ち狂人である。勇者は人生をゲームに捧げる廃人であるが、それ以外はまともな感性と常識を備えた少年なのだ!


*はい。実は、息子について、いくつかお伺いしたい事がありまして。できれば、実際にお会いして、お話しできないでしょうか


 自称エンジュの父親からの返信! 求めるはまさかのオフ会! 親子共々展開が早い! ベンチャー企業の社長が如き即決即断! 怒涛の接近に勇者は目眩を覚え床に倒れ込んだ!


*いかがでしょうか


*時間と場所は考慮いたします


*是非ともお願いいたします


*会っていただけないでしょうか


*もしもし


*見てますか?


*大丈夫ですか? 何かありましたか?



 ここにきて息を突かせぬチャットの波状攻撃! 先程五分待っていた心の余裕が嘘のようである!


*ちょっと待ってください


 息絶え絶えの勇者! たったこれだけのタイプをするだけでも命の灯火を削っているようである!


 あんたのせいで全然大丈夫じゃねぇよ……


 胸の中で悪態をつきながら勇者は考えた。会うべきか会わざるべきか。額に脂汗を大量に浮かべ、必死に最良の選択を思案した。なにしろエンジュの親御さんとの対面である。何をされるか分かったものではない。


 いや。これはチャンスだ。


 しかし勇者! ポジティブシンキング! そしてタイプ! その速度は通常通り! ジムを串刺しにしたシャア専用ズゴック並みのスピード!


*分かりました。会いましょう


 選んだ道は承諾! 勇者の決定は、一縷の希望に向かい舵を取った!


 これは、エンジュを遠ざける事ができるかもしれん。


 巡る思惑! 期待する絶縁! 果たして、事は上手く進むのか! 新たなる勇者の戦いが、今! 幕を上げたのだった!

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