第7話

 雑踏の中へ躍り出し街を一周したどり着いた先は池袋西口公園イケブクロウェストゲートパークだった。時刻は浅夜。空には粒星。流れ流され一間の憩い。ベンチに座る勇者ロトはやつれ、エンジュの肌の艶は色めき立っている。相反する二人の様子で、何があったかは推して知るべしであろう。


「もう夜になっちゃったわねぇ……できれば、このまま一杯付き合ってもらいたいところなんだけど……」


 エンジュは名残惜しそうに勇者を見据えたが、諦めたように小さく俯きその巨体を小さくさせた。


「今日のところは、月を見ながらの缶コーヒーで我慢してあ、げ、る」


「……さいですか」


 何やらいい雰囲気に見えるが実際のところそうではない。

 謎の同人ショップを出てから市中を練り歩き行われた第二局面。第三局面。ともに勇者は惨敗したわけであるが、それら全てがエンジュの奇行を目の当たりにした事による戦意喪失からの敗北宣言サレンダーなのであった。池袋を歩きながらエンジュは、買い食いでクレープ15個。たこ焼き8玉入り×9個。ドネルケバブ15個。サクサクメロンパン14個というフードファイターも真っ青なスコアを叩き出し、その勢いにのりストリートミュージシャンのギターに合わせてデスボイスを披露。職質してきた警官を一喝すると、初対面のチンピラに賛美を受け、ついでにそのチンピラをぶん殴って、笑いながらここまで到着したのだ。もう全てが規格外。既知の外。ペニーワイズも真っ青である。


「ずっとね。好きな人と、こんな風に空を眺めるの、夢だったの」


 下を見ていたエンジュはいつのまにか立ち上がり天高く輝く星空を仰いだ。こちらも、字面ではサマになっているように思えるが側から見たら死ぬ直前のラオウである。我が生涯に一片の悔いなしと言わんばかりの威風堂々とした仁王立ちが、往来の人々を威圧していた。

 だがそれでもエンジュの心は乙女であった。凛とした直立不動には、花の一雫とでも形容するような細やかないじらしさが艶めいていた。


 その僅かな花の芳香が届いた時、少しばかりの歩み寄りが勇者に見られた。疲れの為に幾らか思考が鈍っていたのもあるのだろうが、それでも、彼が彼女(?)に対し襟懐きんかいを開いてみようと思ったのは初めてのことであった。


「……つかぬ事を聞くが」


「なぁに。なんでも聞いちゃって」


「何故、オカマ? ホモ? になったんだ?」


 失礼千万! 世が世なら打首獄門である。


「本当につかぬ事だし無遠慮ね……」


 勇者の無礼にエンジュは苦笑を隠しきれていなかった。だが、それでも、怒りもせずに再びベンチに腰を下ろしたのは、彼女(?)が本当に勇者を愛しているからなのかもしれない。


「でも、まぁいいわ。教えてあげる。私ね。アイドルになりたかったのよ。たまたま何かで観た、マクロスのミンメイに憧れていてね……その美しさ。凛々しさに、異性へ抱く感情じゃない、胸のトキメキを感じたの。初めてミンメイを観た時は多感な中学生だったし、あんな風になりたい! なんて言えなかったけど。ミンメイ、嫌われてたし」


「え? 言えなかったの? そんななのに?」


「……折れても生活に支障が出ない骨を折るわよ?」


「すみません……」


「ともかく。私はミンメイを知って以来、自分が何者か分からなくなってしまった。当時身長184cm75kg。異様な体躯は筋量が他人の2倍も多くなるミオスタチン関連筋肥大という特異体質のせい……おまけに父の経営する空手道場で修練を続けてきた私は、随分と逞しかったわ。そんな私が、アイドルに憧れてしまった。焦がれてしまった。好意ではなく、羨望と嫉妬の念を抱いてしまったのよ。それまでの人生を否定されたような気がしたわ。鍛錬が、筋肉が、体力が、私を構築する要素の全てが、無意味なものに感じられてしまった……」


「それでオカマに……」


「いいえ。話しはここからよ。まったく。急かす男は嫌われるんだからね。憶えておいてちょうだい」


「あ、うん……」


 気の抜けた返事をした勇者はベンチに座りながらマジマジとエンジュを見上げた。


 ミオスタチン関連筋肥大……


 漫画で見た事はあるが、勇者が実際に見るのは初めての事。確かに凄まじい筋力だ。服の上からでもその迸るMUSCLEが視認できる。まさに男の身体。戦う者に相応しい肉体なのであった。

 


「私が本格化にこの道に走りだしたのは、ミンメイとの出会いから6年が経った頃だった……空手の推薦で大学に入った私は、やっぱりアイドルへの憧れが消えず、でも、どうすることもできず、ひたすらに錬磨と暴力に走った……鍛えては他人を殴り、他人を殴ってはまた鍛える……焦燥感にも似た、ジリジリとしたものがお腹の中で燃えていくのを、必死で抑えるようにして、ひたすらに修羅へと堕ちていったわ。時には、ゴロツキ連中が仕切るストリートファイトや非合法の試合なんかもやって、何度も他人を殺しかけた。でも、そんな事をしてもちっとも炎は静まらない。飢えを麻痺させているだけで、満たされる事はなかった。虚しさだけが胸のなかで蜷局とぐろをまいて居座っていたの。辛かったわぁあの頃は。ほんと、死ぬかと思った。苦しすぎて」


 突然の殺人未遂告白にやや引き気味の勇者であったが、ここまできたら話が気になる。


「それで?」


 乗りかかった船。もう20時を少し過ぎ、もはや眠る事はできない時間となっていたが、勇者は、こうなればもう最後まで付き合ってやろうという気持ちになっていた。


「鬱屈としていた私は随分と暗く、殺気立っていたわ。やる事と言えば空手と食事と睡眠。もはや生きている事さえ忘れ、戦って、戦って、戦い抜いて、気付いた時には、何もなかった。でも、ある日それが変わった……忘れもしない11月14日……当時住んでいた寮のロビーにはビデオデッキが置いてあったのだけれど、私は興味がなく触ってもいなかった。でも、なぜかその日、長めのロードワークを終えた私は、ふいにデッキの横に置かれていたテープに興味を惹かれたの。タイトルは、ブル中野vsアジャコング 。何の気なしに、そのテープを入れて再生してみると、映し出されたのは、ゴリラのような女のどつき合い……その時、私の中で爆破が起こったわ。あぁ、女がこんなことしていいのなら、男の私が女みたいにしてもいいんだ! って、そう思えたの……! その日から私の世界は変わった……! 今まで悩んでいたのが嘘みたいに、晴れやかな気分になって、自らのレーゾンデートルが確立したと確信できたのよ!」


 いつの間にかエンジュは踊りだしていた。月のスポットライトに照らされ、ワルツを口ずさみステップを踏む彼女の姿はトロルとオーガと申し訳程度のエルフ成分が含まれた合成魔獣のようであった。ゼルガディスもびっくりな化物の風体である。


「……そうか」


 そう呟いた勇者はがっくりと項垂れた。まさか人生の転機が横浜体育館金網デスマッチだったとは思いもよらなかったのだ。頭の中に流れる感想は、「聞くんじゃなかった」の一文だけである。勇者はエンジュが踊りを終えるまでひたすら溜息をついた。もはやゲームは諦めていたのだが、それ以上に精神的な疲労が彼の活力を奪ったのであった。その日勇者は帰宅後すぐに就寝。1000日以上続いた連続ログイン記録はあっけなく途絶えた。






 翌日。


「よう小山内。昨日一緒にいたゴリラは何者だ?」


「俺知ってるぜ! ルラファンで仲間にしたビッグアイだろ!?」


「ワンダと巨人じゃなくてワンダーな巨人だったな! ありゃすげーよ! もはやデビルリバースじゃん!」


 走る噂! 勇者! 賑わいの渦中に! これはマズイ! 幸いにして関係はバレていないが、露呈したら人生が終了のお知らせだ!


「あーあれな。なにやらサマル入れ込んでいる様子だっ……」


 軽薄なる邪鬼ジャッキーの言葉を勇者はひと睨みで黙らせた! 生死の瀬戸際が、彼の眼光に力を宿らせたのだ!


「あれは親戚のおじさんだ! 以上! 質問は受け付けん!」


 勇者は無理矢理にそう言って話を終わらせた。群がっていたクラスメイト達は「なんだ」と白けたような顔をして散り散りと席に戻っていった。だが、もしエンジュとの関係が知れたら……


「なぁサマル。お前、あのおっさんと、どういう仲なんだ?」


 断片的に事情を知るジャッキーは少しばかり心配したような表情で勇者そう聞いた。


「……なんでもないさ。他人だよ」


 そう言う勇者の心は、少しばかり痛んでいた。あの日、恐怖や疲れがあったとしても、拘束されていたとしても、ゲームではなくエンジュを選んだ勇者の心境は、本人さえ知らない内に、少し、ほんの少し、変わりつつあった。

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