第6話
身動きの取れない
喫茶。ムーンライトパワーは、その名に似合わず日中営業である。店主である
「……いらっしゃい」
時刻は17時20分。満月は敵愾心に溢れた表情を作る。ラストオーダーギリギリの時間に来店した客には水もおしぼりも出さない。この失礼千万な接客態度に、あわよくばエンジュのご機嫌がギャラクティカプランツブリザードとなり無事憤死しないかなと勇者は期待していたのであった。
「あら。いいお店じゃない」
だが、予想に反してエンジュはご満悦である。ピンクばかりの内装が気に入ったのか恍惚と頬を染め、おぞましいまでにうっとりとている。これでは昇天どころかお帰りも無理そうだ。
「ラストオーダーは17時30分ですからね」
つんざく金切り声は「帰れ」というシャウトであった。まったく不愉快極まりない。
「あらそう。なら、さっさとお茶をしばいて、案内してもらおうかしら。ブクロを!」
「……案内?」
「そうよ。今日はデートよ。約束したじゃない。忘れちゃったの?」
もちろん約束などしていない。案内だとかデートだとか初めて耳にする単語に勇者の脳はメダパニ寸前。だがうっかり「そんなお話し知りません」と斬って捨てるわけにはいかない。エンジュの肉厚な二の腕が、カウンターの上で波打っているのだ。これは相手側も分かった上で虚偽を申しているのである。その手口はヤクザそのもの。極めて暴力的なネゴシエーションは服従のみを求めていた。拒否権はなく、首を横に振ればそのままガチンコファイトレディゴー。Noを突き返した瞬間怒りの♂プレイ。拒絶は地獄。今宵の夢は真っ赤な薔薇がこんにちわなのである。で、あればどうするか。決まっていよう。打つ手は一つしかない。
「もちろん憶えているよ。忘れるわけないじゃないか君との約束を!」
「……え?」
「さぁ……共に綴ろう……二人の織りなすアドベンチャーを!」
「……!」
有頂天となるエンジュを、横目に作り笑いを浮かべる勇者が取ったのは、相手の誘いにあえて乗り虚を突く隙を待つという作戦であった。なんとも
「嬉しい!」
痛打!
歓喜に湧き上がるエンジュの抱擁が鯖折りとなって勇者を襲った!
「ぎゃ!」
痛恨の一撃! 勇者は250のダメージを受けた!
「あらごめんなさい。強かったかしらね」
「……いや。大丈夫さ」
もちろん大丈夫ではない。勇者。この時、
弱気を見せたら……死ぬ! なによりゲームにオンできない!
エンジュを振り切る。帰ってゲームもやる。
両方やらなくてはならないのが勇者の辛い所である。勇者は心の中で、一人覚悟を決めたのだった!
覚悟完了! いざ行かん! 魔の誘いへ!
結局、茶も頼まずにムーンライトパワーを出た二人。満月は訝しげな顔をしたのだったが、仕事が減ったからか軽快に一息を付き、店の扉に おしまい と書かれた看板を下げた。
この日の店の売り上げは、1万6000円であった。
第一局面
池袋といえば、冷やかしでもなんでも乙女ロードは鉄板であろう。腐の聖地。夢女子のコホリント。そして、血で血を洗う戦場でもある。メディアなどではまるで街全体がBL一色のように取り上げられるが実はそうでもない。乙女ロードと銘打たれた区画はごく狭い路地の一部にある。店舗も手ざまなところが多く人の出入りが多い時期はすし詰めとなる事必至。お遊び気分で出歩く事勧められない暗黒街道であった。
「池袋に来たら、ねぇ? 一度は百鬼夜行を生で見たいものだよなぁ?」
したり顔でそう言う勇者であったが実は乙女ロード初体験。珍しいもの見たさの興味はあったがゲームと野次馬根性を秤にかけた結果、脚が遠のき今日まで未経験。本日はドキドキワクワク好奇心である。
「乙女ロードねぇ……」
反面、エンジュは失望しかのような表情を見せた。これには勇者も意外な様子。
「? あまりこういった場所には興味がないか?」
「そういうわけじゃないけど……まぁ、行きましょうか」
含みをもたせたエンジュに若干の沸切らなさを覚えるも、勇者は一歩を踏み出した。
さぁ……いざ! 禁断の聖地へ……!
……
しょぼい。
なんだろうかこの閑散とした通りは。悪鬼ひしめくモンスターハウスを期待値していた勇者の予想は完全に外れ拍子抜けしてしまっている。おかしい。なぜこうなった。これではただの散歩ではないか! 勇者の腹に忿怒の炎が湧き上がる。
「多分なんだけど、貴方、メイトととらの穴が移転したの、知らないでしょ」
「……え? メイトって昔ここにあったの?」
「あぁ……そこから……」
そう。勇者はまったく知らなかったのだ。かつて隆盛を極めた乙女ロードは、アニメイトととらのあなの移転。フロマージュの閉店などにより客数は減少。現在は中池袋を通る乙女ロードが主流となっているという事を!
まんだらけなどがある故コアな人間は未だ旧乙女ロードに集まるが、現在は平日の夕方であり数は微小。仕事帰りのくたびれたOLが英気を養いに訪れるくらいのもので、勇者が期待していた腐海の住人は見られない。
「そ、そんな歴史が……」
「まぁせっかく来たんだから、薄い本の一冊や二冊見ていきましょう。そういえば私、行きたい店があったのよ」
「……ここまで来たんだ。何もせず帰るのも間抜けだな。付き合おう」
「やった」と、飛び上がり歩き出したエンジュ。逃亡を阻止するために腕を掴まれている勇者は彼女(?)の挙動に合わせ縦横無尽に揺れながら雑居ビルのテナントに辿り着いた。店内は薄暗く、どこか血の臭いがする打ちっ放しの造りであり、キャンペーンや新刊の案内もなく、ただ平積みされた薄い本が並べられているだけであった。形だけ見れば即売会かと勘違いしそうなレイアウトである。ちなみに、すべて18禁であるのはいうまでもない。
「……異様だな」
「そりゃそうよ。ここはニッチなジャンルが並べられるマイノリティの聖域なんだから。いわゆる、パンピーお断りってやつよ」
エンジュのいう通り、置いてあるジャンルはいずれも異常な趣向が描かれたものであった。虫姦や触手など序の口ジョージ。機械や乗用車ならまだ分かる方で、上級者向けになるとデトロイトダムや城堀などの貯水。マッターホルンやマリアナ海峡などの超自然造形物。 果てはアディアフォラやらタウヒートやらネガティブケイパビリティなどの、概念による倒錯的な性のナンセンスを具象化したアーティファクトさえ存在していた。ここまでくると外宇宙の脅威より人類にとって脅威である。
「あら。百式×ディジェのBL本があるわよロト。まだまだΖの人気は衰えていないようね」
ムーバルフレームを脱いだ百式がキリマンジャロでディジェの豚穴フェイスにメガバズーカランチャーをえぇいままよする本
エンジュが手にしていた同人誌のタイトルには、確かにそう記されていた。
……
あ、頭が痛い……っ! 吐き気もだっ!
脳髄に直接響くような頭の悪い怪文書に勇者は毒をくらった。パワーワードなどというなまっちょろいミームではまるで足りないドス黒いネーミングはさしずめカーネイジオラクルといったところか。要エチケット袋案件である。
「で、出よう……」
勇者! 完全敗北!
貪欲なる性への探究心になすすべなく無事死亡!
「じゃ、次どこ行こっか」
「えっ!?」
しかしこれで終わったわけではない! 満身創痍の勇者であったが、エンジュの探究心は未だ満たされていない!
「何間抜けな声上げてるのよ。夜までまだまだ。そして夜はもっと長いのよ! さぁ! 早く次! 私は気が短いの! 早くして!」
「は、はいぃ!」
怒号に当てられ勇者は悲鳴を上げながら次なる地へと向かった。第一局の勝者は無論エンジュである。
果たして勇者は、次なるステージで敗者の汚名を返上する事ができるのか。戦いは、第二局面へと移るのであった。
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