第3話

「ごめんね。ちょっと興奮しちゃって」


「いや……」


 荒れた息を整え、エンジュ。はち切れんばかりのスマイル。「ちょっとどころではない」と喉まで出てくるも、それをぐっと抑える勇者ロトのなんと健気な事であろうか。


「ところでエンジュさ……エンジュはどこから来たの? 都内?」


 当たり障りのない会話での時間稼ぎである。先の狂乱っぷりから同性愛に関するワードは地雷と判断した勇者は作戦を いのちをだいじに へと決定。退屈な会話で相手にデバフ効果を与えつつ、カルピスを水でうすめ続けるような悪足掻きにより此度のフルコースを徹底的な消耗戦へと持ち込む算段である。


 ところがぎっちょん大間抜け。エンジュは既に狂人である。保身に走った人間の愚策に奔走されるようなやわなハートはしていない。


「知りたい?」


 エンジュ。スマイルアゲイン。しかし先とは異なり、含みを持たせた悪戯な微笑。これはキツイ。勇者に向けられた悪魔的魔力を秘めたアルカイックスマイルにより狂気が伝染。6d3のSANチェックである。


「え、えぇ……まぁ……」


 勇者、耐えた! 迫る恐怖に執念のクリティカル! 正気を保ち、エンジュから情報を聞き出す事に成功!


「なら教えてあげる。私はフランスはモンパルナスで生まれ育った生粋のパリジェンヌ。幼少の頃からフレンチカンカンに明け暮れ今はブロードウェイでミリオンダラーを……」


「違う。妄想じゃない。現実の話だ」


 突拍子のない病的な妄言にさしもの勇者もマジレスポンス。その眼差しの冷気はさしずめ冥府の底に流れるコキュートス。絶対零度の極寒地獄にエンジュは如何にして立ち向かうのか。


「川越よ」


「あ、そうなんですか……」


 電車で一本。よもやの近場。なにより素直に答えるのが意外。普通。面白味皆無。これは勇者も二の句に迷う。だが、エンジュの攻めはここからだった。


「ちなみに、ロトは?」


「は?」


「住んでる、場、所」


「いや、駅、来たじゃないですか。池袋ですよ」


「何言ってんの? 郵便番号から、番地までに決まってるじゃない。さぁ、お早くシルブプレ?」


 カウンター炸裂! 一転攻勢! 勇者のセーフティが一瞬で瓦解! 崩壊! 予想していた欠伸が出そうな程の退屈な会話はご破算! 替わりに訪れた絶体絶命の危機! 


「か、川越までしか聞いてないですよ僕は……」


 勇者の正論。だが、それは悪手!


「郵便番号○○○-○○○○埼玉県川越市大仙波○○○-○(自主規制)! はい! 言ったよ! 次はロトの番! ほらほらほらほらハリーハリーハリー!」


 墓穴! エンジュが自らの住所を言ってしまった事により生じたアンフェア! ここで言わねば勇者は三国一の卑劣漢と成り果ててしまう! 人としてそれは避けたい勇者! だが、答えてしまえば人生the end! 進むも退くも地獄街道真っしぐら! 地獄の鬼も涙を見せるこの所業! 哀れな勇者! 八方塞がり!


「なぁんてね」


「……?」


「冗談だよ。冗談。流石にそんな事聞かないよ」


「あ、あぁ……そい……そう、ですよね……ですよねですね! い、いやぁ! びっくりしたなぁもう……」


 九死に一生! 勇者はエンジュの良識に救われた! 他を省みない豪傑と思いきや意外! 一歩退く! 一線を引く大人の対応!


「私ね。本気でロトの事好きだから、そんなに迷惑かけるような事したくないんだ」


「あ、あぁ……!」


 勇者は強烈なプレッシャーにより訪れる吐き気を必死に抑えた。有象無象の雑踏ひしめく駅とは違いここはハイクラスの集う高天原。粗相は厳禁。嘔吐など一発退場。ご利用は清く正しく美しくである。いや、勇者にしてみれば、いっそ吐いて色々な意味で楽になってしまった方がいいのだろうが、人として最低限のモラルがある。それを逸脱できるほど、勇者の正気は削がれていない。


「ねぇ、覚えてる? チャンネル3のラウンジで、私が絡まれてたの」


 エンジュは御構い無しに勇者に向かって口を開いた。飲んだワインは既に一瓶。できあがっていてもおかしくない酒量!


「……え? あぁ。憶えてます。確か、あそこで初めてお会いしましたよね」


「敬語やめて」


「ひっ! う、うん! 分かりま……分かった……分かった!」


 殺戮者の目におののく勇者をよそに、エンジュの述懐は続く。


「ゲームで質の悪い男達からロトが助けてくれたこと……私ずっと、直接会ってお礼を言いたかったんだ……」


「……そういえば、そんな事もあったね」




 それは二人がまだゲームをプレイして間もない頃だった。早くから課金で装備と見た目を変えていたエンジュは多くのユーザーの目に留まり、良い意味でも悪い意味でも話題に上がっていたのだが、そんな折にとある有名ギルドのメンバーから執拗に加入の誘いを続けていたのだった。そこまではよかったのだが、メンバーの数人が、一向になびかぬ彼女(?)に対し、ヘイトを向けた書き込みをし始めたのである。


*このビッ○が! リアルではブサイクなんだろ!?


*どうせ夜の商売で金稼いでんだろこの売女! 


*ゲームの中でも自己顕示かよ。世話ねぇな



 貼られるレッテルと吐かれる汚言は見るに堪えないものであった。



*どうしてそんな事いうんですか?


 悲痛な叫びがチャットログに表示される。だが、それも直ぐに流れギルドメンバー達の罵りで埋められる。咎める者はいない。したくともできないのだ。大手ギルドに楯突けばムラハチ確定。誰しもが我関せずと保身に走る様は現代社会の縮図であった。しかし。


*おい


 そんな中に一人。颯爽と現れる1人の無課金ユーザーがいた。身に付けるはヒノキのスティック、レザーアーマー、レザーシールド、レザーブーツ。それぞれ、ゲームプレイ時に配布される初期装備である。


*やめなよ


 チャットに表示される四文字は大手ギルドへの戦線布告の狼煙。上げたるはエンジュと同じく新規ユーザー。それ即ち、オルテガの息子ロト! そう、勇者であった!


*は?


*空気読めよ


*てか名前www


*オwルwテwガwのw息w子wロwト


*ドラクエ3とか昭和かよw


*ドラクエってそんな昔からあるの?


*え?


*え?


*(ジェネレーションギャップ……)


*w


 浴びせられる嘲笑。数の暴力。一部のユーザーは脱線してドラクエの話題に興じ始めたが、それでも圧倒的多数が勇者の敵となった。完全なるアウェーである。果ては初対面である勇者への人格攻撃やレッテル貼りが始まる始末。「童貞」「引きこもり」「マザーファッカー」などの侮蔑侮辱の雨あられ。まともなメンタリティなら涙目必死の事案。だが。


*行こう。エンジュ


 華麗なまでのスルー! 勇者! 意に介さず!

 それもそのはず。勇者は幼少のころから父母の元、あらゆる対人ゲーをプレイさせられてきたのだ。相手は両親の知人であるゲーマー。ご存知のように、いい大人になってゲームにどハマりしているような人間は性格が破綻している。飛び交う罵詈雑言は日常茶飯事。時には番外戦術まで駆使して歳半ばの勇者を打倒しようとするような連中を相手にしていたのだ。脆弱な回線越しに投げられる誹謗中傷などかすり傷にもならない。いわば、【異世界に転生したけどチート能力で勇者やる】状態なのである。webが普及した現在においても「荒らしはスルー」の鉄則が厳守されない世界において、勇者のスルースキルはまさにチートクラスの代物だった。




「あの時、私嬉しかったんだ。あぁ、ネットの中でも、こんな優しい人がいるんだって」


「はぁ……」


「だから、これはその時のお礼。別な意味があるわけじゃないから、安心して食べてちょうだい」


「……はい。ありがとうございます」


「敬語はやめて」


「……分かった。ありがとう」


 エンジュの声は変わらず渋く男前なものであったが、優しく、落ち着いていた。それはデザートが運ばれてくるまで変わることなく、勇者は多少の罪悪感と同時に、幾らか心を許していた。元はオンラインゲームで心通わせた仲である。肉体と性別の枷はあったが、受け入れてしまえば話が合うのは必然であろう。勇者はすっかりと気を許し、果てには食事中、鷹を狩りに席を立つという不躾をするまでに至ったのであった。








「楽しかった。今日は会ってくれてありがとう」


 相変わらず恐ろしいとは思ったが、勇者はエンジュの笑顔に、自らも頰を緩めた。


「こちらこそ」


 無言だったが、悪い雰囲気ではない。互いが互いを尊重し認め合う、清き沈黙である。


「じゃあ、そろそろ」


「うん……」


 エンジュが呼んだタクシーが到着した。数は2台。恐らく、勇者に気を使って個別に用意したのだろう。健気な事である。そう思うと惜別の情が、勇者に浮かんだ。あった当初は恐怖しか抱かなかったというのに、不思議なものである。


「エンジュ」


「なぁに」


「また、会おう」


「……うん!」



 別れの言葉は再開の契りとなった。勇者は「悶着はあったが会えてよかった」としみじみとタクシーに乗り込んだ。


「よっこいしょ」


「……」


 予想外だったのは同じタクシーにエンジュが乗り込んだ事であった。勇者は恐る恐る振り返ると、先のタクシーは違う客を乗せていた。


 直感。


 勇者は脳が萎縮する感覚を味わった。これから何か悪い事が起こると遺伝子レベルで悟ったのだ。


「運ちゃん。近場のホテルまで」


「待てや!」


 素のツッコミである。もはや取り繕う余裕はない。文字通り必死の争い。果てはシートベルトを解き、車外へ脱出しようと試みていた。


「冗談よ。冗談」


 それを必死で止めるエンジュの腕力は冗談では済まされない剛力である。勇者は捕獲された珍獣のように座席へ正され、再びシートベルトを装着された。


「じゃあ運ちゃん。東京都豊島区西池袋○○○−○○○○までお願い」



 青ざめる勇者。硬直。見開かれた目には驚愕の二文字! なぜならエンジュが口にした住所は……!


「俺の家の住所……」


「駄目よ。レストランでスマートフォンをテーブルに置いちゃ。マナー違反なんだから」


 ……クソ! やられた!


 そう! エンジュは勇者が席を立った隙にスマートフォンを拝借! 登録情報をすかさず確認したのであった! これはロックもかけずに置き去りにした勇者の落ち度である!


「じゃあ、私は貴方のハウスを確認してから、ニュープレイスへ引き揚げさせていただくわね」


「……ニュープレイス?」


 不吉な気配到来! 当初に感じた悪寒再び!


「私、お引越ししたの。何処だと思う? ねぇねぇ。何処だと、お、も、う?」


「さ、さぁ……」


「い、け、ぶ、く、ろ」


「ひぃ!」


 エンジュの見切り発車の引越しを告げる笑顔に勇者はそのまま声を上げて失神。その後3日ほど高熱が続き、うわ言のように「助けて」と言い続けたのであった。



 ちなみに大手ギルドに絡まれていた時のエンジュはPCの前でビール片手に大爆笑していたのだが、その事実が彼女(?)から語られる事はなかった。

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