第2話
「あら、どうしちゃったの? ぼーっとしちゃって」
女口調に乗せられたやたらと渋く雄めいた声がどぎつい。しかしエンジュを名乗る巨漢はそんな事知ったことではないとまるで客観視もせず、実に女性らしい仕草をするのである。一瞬気を失っていた
「つ、
直球である。勇者はリアルでの人間関係をやや苦手としている為、探りを入れるという事ができないのだった。
「あらやだ。違うって。私、男だって、言わなかった?」
「言ってないです!」
思わず即答。そしてエンジュ。意に介さず。確かにゲーム内で女とは言っていなかったが、男とも言っていない。会う前に確認しなかった勇者の迂闊である。
しかし、エンジュを女だと断定してしまったのも無理はない。なにせそのステルスは完璧。あらゆるリサーチを退ける手段を彼は用いていたのだから。
ゲームの中でエンジュは短大を卒業後、輸入雑貨とアフィリエイト報酬で生計を立てるノマドワーカーの23歳と語っており、ツイッターやブログも公開していた。勇者は実際にそれを見ていたがまるで男の気配を察する事ができなかったのだが、これは勇者に限らず、エンジュに関わる全てのユーザーがそうであった。エンジュはweb文化について知己に富み良識もあった為、顔や身体の一部が見られなかったのはリテラシーの高さからだと考えられたのである。アップロードされた画像の端々に写された女子めいた小物や家具。時には「はわわ! うっかりしてた!」と、作為的に映し込まれた女性用下着などにより、ユーザー達は皆、エンジュが女であると信じて疑わなかったのであった。
「ともかく、レストランを予約してあるから、タクシーを拾おう。な!?」
「な!?」ではないと勇者は思った。だが、反論するにも言葉を選ばなければ命か貞操が危険だと遺伝子に刻まれた危機察知能力が告げたのだった。なぜならば、未だ肩に置かれているエンジュ熊の手は万力のように締め付き、羽織っているワイルドなデニムジャケットの一部分がギチギチと窮屈そうに圧迫される音を発しているからである。下手な返答はできようはずもない。突如として迫られたデットアライブ。勇者の選択次第ではバッドエンド直行ルートである。果たして彼はどのような道を辿るのか……
「お、お金! お金がないんだよ! 僕! だからタクシーやらレストランだなんてそんな贅沢は無理! 不可能! いや、残念! 実に!」
勇者。拒否の理由に経済的困窮を持ち出す。これはベターな選択。金銭の問題は非常にデリケート。しかも勇者は高校生。成人を迎えぬ子供。通常であれば問題解決におけるワイルドカード的切り札である。だが。
「大丈夫よ! 私、お金だけは持ってるから!」
無念! 通じず!
勇者はエンジュが
「エ、エンジュさん……」
腕を引かれながら、というより担がれながら勇者は抗おうと声を出す。しかし。
「あら。やだよロト。ゲームみたいに、エンジュって呼んでくれなきゃ」
容赦なく発せられる
「さぁ、私の名前を、ちゃあんと、呼、ん、で……」
耳元で囁かれる死への誘い! これを受け勇者はどう答えるか。
「い、いや、え、え、え……」
「え?」
「ゔぇええぇ!」
「うわ……」
「マジかよ……」
突然の
しかしこれは
「あら、大丈夫? 人混み酔い?」
お構いなし! エンジュ。まさかのノーダメ!
「これは休憩が必要かも……どうする? レストランは止めて、
再びデットアライブ! だがこれは選択の余地なし!
「レ、レストランへ行きたいです!」
「でも、貴方、体調が……」
「大丈夫Death! 治りました! 完全完治完了! ステータス
強がりに見えるが勇者は本当に体調を回復させていた。それは生物が死ぬ間際に見せる限界の凌駕。驚異を前にして発揮される身体の神秘である。凄いね人体。
「あらそう? じゃ、行きましょうか」
「はい! ぜひに!」
勇者とエンジュは同時に一息を吐いたのだがその意味はまるで逆であり、一方は安堵。一方は落胆であった。狩るものと狩られる者は、それぞれの思惑に一喜一憂し、様々な感情が含まれる嘆息を吐いたのである。
タクシーに乗り込み、両者の攻防は一旦休止された。車内は妙な緊張感が漂い無言。哀れな運転手は、指定された場所へ着くまでその巻き添いを食った。かわいそうな話である。
到着したのは駅から約10分程離れたグランメゾンであった。この辺り一番の高級店であり、一般家庭に生まれ育った勇者には縁遠い場所である。
「……まじかぁ」
「さぁさ。入りましょ入りましょ」
鼻歌混じりに茫然自失の勇者を連れ去るエンジュ。ここでもやはり浴びる人の視線。筋骨隆々の巨漢と未成年である。どう控えめに見ても奇妙という言葉が浮かぶ組み合わせであった。だがエンジュは席に着くと、気にもしていない素振りでワインを頼み「よろしく」と、ギャルソンを下がらせた。
「……エンジュ」
ここで勇者、ようやく意を唱えるのか、エンジュを見据え声を出した。似合わない真剣な眼差しが、前に座る巨漢を捉える。だが。
「……」
「な、なに! どうした!?」
勇者が狼狽えるのも無理はない。化物が突然口角を上げようものなら、及び腰にもなろう。
「今、エンジュって、呼んでくれたから」
「ひぃ!」
鳥肌。身体中に走る悪寒が、勇者の肌を粒立たせた。だが、ここで怯むわけにはいかない。勇者には支払い能力がないのだ。メニューが運ばれてくる前にカタをつけねば、料金を盾に無理難題を押し付けられかねない。速かに話を進まねば自らの首を締める一方。例えるなら、ダンジョン前の毒の沼地である。事は急を要する。
「その、会えて嬉しいんだけど、なんか色々突然で、まず、男の人ってのが意外で……」
勇者はやや言葉を選んだ。なけなしの精神をすり減らし試みるコミュニケーションである。
「それはごめんなさい。でも、きっと私が男って知ったら、会ってもらえないかもって思ってしまって……」
ここにきて、初めてエンジュの顔が俯く。それを見た勇者はやや安心したようで、張っていた肩の筋肉を緩めた。どうやら話は通じると踏んだのである。
「でも、これだけは信じて欲しいの」
エンジュの力強い一声に、勇者は再び身構えた。
「ロトが好きだっていうのは、本当なの!」
まさかの告白! いや、予想はしていたが、聞きたくなかった言葉があっさりと出てしまった!
「いや、でも、エンジュは男……」
「男が男に恋しちゃ駄目なの!?」
これはいけない! バッドコミュニケーション! 声を荒げるエンジュに視線が集まる! これはまずい! 勇者は焦りながらも、必死になだめる!
「そ、そういうわけじゃない! ただ、周りにそういう人がいないもんだから!」
「……そう」
エンジュは息を切らせて納得したのかしてないのか分からない返事を口にし、運ばれてきた、見るからに高価そうなワインを一口で煽った。勇者は恐怖しながらもその様子を見て、少しだけ哀れみを感じたがすぐに頭を切り替え、相手の評価を落とさなければならないこの逆ギャルゲーをどう乗り切るかを考え始めた。コースは未だドリンクの段階。前途は多難である。
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