webのLoveにご用心
白川津 中々
第1話
20X X年。
情報化の波は時代に留まることなく。それどころか、より強く、より高くその影響を広めていた。アンダーグラウンドからパブリックへと変貌したwebの文化はもはやマクドナルドの店内と変わらず、それまで築いていたマニアの砦は市民の手へと渡ってしまったのだ。
人々は当たり前のように電脳世界へと自我を投影していた。そうしてwebの中でさえ、民意という名の
だが一つ、黎明期と変わらぬ点が一つあった。それは、匿名性。秘匿性が保証されているという事である。
もちろん悪意を持ってそれを暴くクラッカーや、迂闊にも個人情報を晒す間抜けは多くなった。しかし基本的には何処の誰だか特定されずに利用するというスタンスが主流であり、web上では深い仲であっても素性を明かさないという付き合いも往々にしてつづけられていたのであった。そう、その仲が、いかに親密であっても……
日本。都内。自室にて、PCのモニタを見つめエキサイトする少年が一人。名は小山内
だが、この苦行とも思える作業に彼は青春の煌めきを見出していた。学業芳しくなく、スポーツや創作などに打ち込む気概も才もない勇者がゲームの沼へとハマり込むのは無理からぬ事であったが、此度の狩りはアイテムばかりが目的ではなかった。
*怠いな。今日は諦めるか……
*何いってるの! ログイン時間が30時間に迫ろうとしているんだよ!? ここであきらめたら、それこそこ1日無駄に消費した事になるじゃない! 出るまでやらないと!
*そうだな。でも、エンジュは大丈夫か? かれこれ飯も……
*乙女のプライベートに顔を突っ込むのはヤボテンよ
*……了解
勇者の傍には、もう一人の人間がいた。
協力し、共にアイテムを狙うユーザーの名はエンジュ。この者はその卓越したプレイヤースキルと廃課金っぷりで名を馳せており、他のユーザーからは羨望と冷笑の対象となっていた。勇者とエンジュの出会いはやはりというか、当然ゲーム内である。共同クエストの最中、互いが互いのプレイに魅せられ、いつの間にやら意気投合していたのであった。
いうまでもなく勇者は童貞である。女性経験はギャルゲー上でしかない。自慰用の擬似膣孔具へナニを突っ込んだことはあるが、実際に女と手を繋いだ事もないピュアボーイ。であれば、母親以外で最も身近な異性の気配に、彼が特別な想いを抱かぬはずがないった。
勇者は彼エンジュに恋をしていた。
彼は自身と同じくゲーム好きの両親により名付けられたキラキラネームに悩む若き次世代の子であるが、多感な時期に悩むは今も昔も恋という名の一文字。少年は顔も知らぬ人間にすっかりと心を奪われてしまっていたのだ。
*エンジュ……
*どうしたの?
*いや、なんでもない
*……大丈夫? 長時間プレイで正気を失った? そんな時は命を養うお酒がオススメだよ?
*俺はまだ高校生だ
しかし勇者はその心機を伝えられずにいた。灼熱に盛る恋慕の炎は羞恥と恐怖によって打ち消されるのだ。女を知らぬ勇者にとって告白とは神聖なる愛の儀式。そう易々と行えるものではない。
*ねぇ、ロト
勇者はゲームにおいて、オルテガの子、ロトと、聖書めいた名を付けていた。
*どうした?
*ロトがいいたかった事、私が代わりにいってあげようか?
「え?」
PCの前で、思わず狼狽える勇者の様子はまさに童貞然としたものであった。
*私ね……ずっと、ロトの事……あ、
勇者が心音を高鳴らせ、淡い期待が色濃く膨張させていた矢先、目当てのモンスターが現れた!
*滅殺!
刹那。瞬殺。
エンジュの殴打スキルが炸裂し、モンスターは死滅した。そして……
*あ
*落ちた
モンスターのグラフィックが消えた瞬間、待望のレアアイテムがフィールドに表示された。
*GETw
*裏山
*ねんがんの アイスソウドを てにいれたぞ
*w
アイテムはエンジュの手に渡った。ドロップアイテムの所有権はモンスターを倒した者にある。横から掠めとるようなこすい真似は許されない。
*じゃあ、アイテムドロッたし、今日は解散で。流石に眠い
*まって
*?
*あげる
エンジュはインベントリを開き、アイテムを勇者へ譲渡しようとしたのであった。
*え、いや、ちょっと、なんで?
突然のできごとに勇者は驚き戸惑っている。
*さっきの続き。私ね。ロトの事、好きだったの。
「マジか!」
再びPCの前で狼狽える勇者。深夜というのに、叫びに近い声量である。
*だから、このアイテムは、私の気持ち
*でも、ちょっとこれは高価すぎる気が……
*ロトは、私の事、嫌い?
「滅相もない!」
*滅相もない!
勇者は口にしたままをキーボードへと打ち込んだ。もはやどちらがリアルか分からぬ倒錯ぶりである。
*その代わり、約束して欲しい事があるの……
*何?
*今度、ロトの住んでる場所へ行くから……会って欲しいな……
*喜んで!
秒での返信である。勇者は正気を失っていた。自らの生において、告白されたという前代未聞のできごとに理性が消失しつつあり、情念のみでしか受け答えができなくなっていたのだ。
*いつ。どこ。時間は?
*えっと
*うん
*ちょっと待ってね
*うん
*来週の金曜の、18時から駅でどうだろう……
*オーケー
かくして二人のオフ会は約束された。とりあえず目的を果たしたのでPCは一旦閉じられたが、勇者の眠気は完全に飛んでおり、幻惑を魅せられたかのような異様な動きを1時間ほど続け、体力の限界と共に深い眠りについた。それから約束の日まで一日毎にカウントをし、不気味な笑みを見せながら周囲に警戒されたのだった。そして、ついに邂逅の日がやってきた。
勇者はなけなしの小遣いで買ったラフルローレンのシャツとパンツにリーガルのフォーマルシューズというわけのわからぬ出で立ちであった。エンジュの到着を待ちわびながら、緊張で身体を小刻みに震わせている。
着信があった。
エンジュからである。
「もしもし」
「……」
「もしもし。もしもし? エンジュ?」
エンジュからの返事がない。
電波が悪いのだろうかとスマートフォンのモニタを覗き見た瞬間、厚く、太いものが勇者の肩に乗せられた。手にしたスマートフォンの画面に反射して見えたそれは、人の手であった……
「お待たせ。ロト」
その声は雄々しく、矢尾一樹に似ていた。恐る恐る振り返る勇者の前には、太く逞しい肉を持った巨漢が、メルキドを守るゴーレムのように立っていた。
「ど、どちら様でしょうか……」
聞かざるを得なかった。その答えを知っていながら、勇者は聞かなければならなかった。彼の脳は、未だ直面した現実を認めようとはしなかった。しかし。
「リアルでは初めまして。エンジュです」
予想していた望まれぬ解答を耳にして、勇者は目の前が真っ暗になった。
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