第4話 魔王の手も借りたい





 優しい正午の光を浴びながら、二台の馬車がゆったりと街道を進む。そのうち前を走る逞しい青馬のひく馬車のなかには、まるでお茶会を楽しむような優雅な笑い声が満ちていた。



「呼んでいただければこちらからお伺いしたというのに、相変わらずお人が悪い。馬車で待ち伏せされた時は、いったいどこの刺客かと肝が冷えましたよ」


「ふふふ、嘘おっしゃい。私が待っていると分かっていたから、すぐに王都を出たのでしょう」



 わざとらしく肩をすくめるヴァイオレットの向かいに座るのは、美しい歳のとり方をした女性。

 全盛期は金糸であった髪は白銀に、瑞々しかった肌にはこれまでの歩んだ時の尊さを感じるしわがいくつも刻まれている。しかしエメラルドのような深い翠の瞳は、今も変わらず美しく澄み、爛々と輝いていた。

 まるで子どものように笑うその人に、ヴァイオレットも微笑みで返した。



「さてベアトリス様、それではまずどこからお話ししましょう。手紙ですでにお伝えしたことはご不要ですか?」


「そうね。では手紙を出してから今日に至るまでのことを教えてちょうだい」


「一ヶ月ほど前からとなると……。ああ、王子と腰巾着たちが、ボクへの婚約破棄宣言劇を計画し始めた頃ですね」



 昨晩まで公爵令嬢らしく華やかなドレスを身に纏っていたヴァイオレットは、今はその傍若無人な本性に合わせて動きやすい少年のような服装。長い黒髪もシニヨンにまとめられている。

 ヴァイオレットはジャケットの内ポケットから封筒を取り出し、落ち着いた水色のそれを向かいの女性――ベアトリスに手渡した。



「そちらに書かれているのが、ボクが件の男爵令嬢に悪事を働いた黒幕だと証言した者の一覧です。証言の内容については、学園に残した手の者に詳しく調べさせています」


「あらあら、やぁねぇ、こんなにもたくさん」


「主導している者の目星はついているので、後日改めて、証言内容と共に報告します」


「その証言は?あなたもある程度把握しているのでしょう」


「ええ、もちろん。ごく一部ですが、そちらの裏に書いてありますよ。急ごしらえでしたので裏書でご容赦を」



ヴァイオレットはふっと笑みをこぼした。



「見事なものですよねぇ?それを鵜呑みにして事を起こした第一王子は、幼少期にさぞ優秀な教師から物事を学び、素直で実直に成長されたんでしょうね」



 にこにこと語れば、便箋を裏返したベアトリスがそこに書かれた虚偽証言に「あらまあ」と呟く。

 しかしヴァイオレットの皮肉はまだまだ可愛らしいもので、暗記し手紙の裏に書いた内容をそっくりそのまま口に出せば、ベアトリスは米神を揉んでため息を吐いた。



「思っているのを聞いた……なんて、証言したキャボット伯爵令嬢はきっと嘘つきな神様のお告げでも聞いたんでしょうね」


「それは神のお告げではなく悪魔の甘言というのよ」


「放課後に一人で校舎にいたのを目撃したというガーランド子爵令息はこの時、学園に外出届を出して、婚約者のクレイグ伯爵令嬢と町で買い物をしていたはずなのに。まったくどうやってボクを目撃したのか不思議ですね」


「推理小説の双子トリックでも使ったのかもしれないわね。ああ、双子はあなたの方でしたか」


「学園に公爵令嬢が何人いるか、マクラウド男爵令息はご存じでないようだ」


「マクラウド家は新興の成り上がり。無知を笑っては可哀想よ」


「これらを鵜呑みにした第一王子、宰相のご子息、騎士団長令息、そしてボクの可愛い弟は、人を疑うことを知らずとても素直に育ったようで。この国の未来は明るいですねぇ。いやはや実にめでたい」


「まったく嘆かわしいこと……」



 ベアトリスは便箋を封筒に戻し、疲れたと言わんばかりにふうとため息を吐く。麗しい顔にそれは似合わないけれど、現状を考えると仕方のないことだった。

 この国の頂点である王族と、それを傍で支える者達──次世代の権力者が揃いも揃って色恋に狂って嘘の証言に踊らされている。しかも当人達は何も気づいていないから、どうしようもないぐらいめでたい頭をしている。この国の未来は真っ暗だ。

 まあ、表向きは社交界を追い出されたことになっているボクには関係ないがね、とヴァイオレットは笑いを噛み殺しながら内心呟く。そのまま座席に深く持たれ、窓の外の穏やかな丘陵地の風景を眺めた。



「この件をあなたに頼んで正解でしたね。まさかここまで順調に事が進むとは思わなかったわ」


「連中はボクを目も口も耳もない置物か何かだと思っていたようでしたから、とても扱いやすかったです。おかげで、せっかく誘い込むための餌を用意したのに無駄になってしまいました」



 ヴァイオレットがベアトリスと出会ったのは、アレクシスと婚約する少し前のこと。その時すでに完璧令嬢の皮を被っていたため、優雅に挨拶を交わしたのがファーストコンタクトだった。

 だがたったそれだけで、ベアトリスはヴァイオレットの本性を見抜いたのだ。

 これまで見抜かれたことはなかったため、ヴァイオレットはこっそり指摘された時の衝撃は数年経った今でも覚えている。そしてそれと同時に、この人は自分と同類だと気づいてつい笑ってしまったのも覚えている。

 その後アレクシスとの婚約が決まり、ベアトリスとも何度か交流した。


 当時は本当に楽しかった。

 自分の気を引こうと画策するも失敗して地団駄を踏むアレクシスを眺めたり。王子妃の座を狙っていた令嬢達が絡んでくることが多かったので、彼女達の心の柔らかいところに針を一本ずつ刺して、いつ根を上げて逃げていくか探ったり。

 おもちゃが勝手に寄ってくるので、遊びには困らなかった。しかもおもちゃ達は、失敗や恐怖が、自分の仕業と気づいていないから尚のこと楽しかった。


 なかでも最も楽しかったのは、暗殺を計画された時だ。

 先回りして雇われたゴロツキをきつめの肉体言語で説得してお友達になり、自分の伝で真っ当な仕事を斡旋してやった。しかし計画した侯爵令嬢には暗殺成功の連絡を入れさせたので、翌日素知らぬ顔で挨拶を交わすと彼女は幻でも見たような間抜け面を晒した。

 その顔を腕のいい絵師に描かせて、それをくべた火で元ゴロツキ達とキャンプファイヤーをするぐらい楽しかった。


 だがそれが何年も続くと、さすがのヴァイオレットも飽きた。

 アレクシスは年々バカさに磨きがかかり眺める分には良かったけれど、やっぱり飽きる。

 令嬢達にいたっては嫌がらせと嫌みのレパートリーを増やして出直せ。そんなにあのバカが欲しいならくれてやるよ、と相手にするのも面倒になった。

 それが三年前のことである。

 もともと飽きたら適当に理由をつけて解消しようと思っていた婚約だ。執着などない。

 さてどんな理由にすれば一番面白いだろうかと考えていたそんな折りに、ベアトリスに声を掛けられたのだ。



『飽きてしまったのなら、私が新しい遊び場を用意しましょう。でもおもちゃ達は隠れてしまっているの。だからまずはおもちゃを遊び場に誘い込みなさい』


『そのあとは?』


『あなたの好きなように遊んでおやりなさい。ただし壊してはだめ、傷をつける程度で我慢してちょうだい。バラバラにしては後始末が面倒ですからね』



 ヴァイオレットにとって、ここまで魅力的なお誘いはないだろう。

 なにしろ生前母に言われた“ルールのなかで最大限暴れろ”が、スリリングで癖になっていた。ベアトリスの提案は自分好みのおもちゃを集めることから始まり、壊れないギリギリのラインを見極めながら遊べということだ。おまけに遊び場の範囲まで指定されているときた。

 そんじょそこらの遊びでは、すぐに飽きてしまうヴァイオレットの好みのど真ん中だった。

 しかしこの世にそんなうまい話があるわけがないと、ヴァイオレットは理解していた。



『ボクに遊び場を提供して、あなたにどのようなメリットが?』


『私は死ぬ前に身辺整理をしたい。ですがこの歳まで生きると物が多くてね。掃除をしようにもどこから手をつけたらいいのか、何を残して何を捨てたらいいのか分からないのよ』


『……つまり、ボクに断捨離の手伝いをさせたいと?』


『ええ、そうよ。あなたにはその小さな身体を使ってテーブルの下に潜り、隠れたおもちゃを引っ張り出してほしいの。ああ、不用品の廃棄には力が必要だから、それは男手に任せるから問題ないありませんよ』


『なるほど。手伝う代わりに、破棄するまでの時間はボクが遊んでもいいと、そういうことですね』


『あなたは本当に賢いわね、ヴァイオレット。……手伝ってくれますね?』


『はい。お引き受けいたします、



 こうして王太后ベアトリスと、王子妃になる予定のヴァイオレットは手を取り合った。――――この国の裏側に隠れ潜んでいる、矜持を忘れた欲深い貴族共ドブネズミを駆逐するために。



「王子と腰巾着たちが派手に動いてくれてバカを晒してくれたおかげで、当初の計画よりも早く、連中が動き始めてくれました。あとは弱いところから切り崩していくだけです」


「そこに加われないのが残念だわ」


「そんなことを仰るぐらいなら、“夫を亡くして心を病み、息子に王位を譲ると同時に南の城で静養中”などという嘘はお止めになればよろしいではありませんか」


「私が表にいては、ネズミが出てこなかったのだから仕方がないでしょう。ですからこうしてあなたに依頼をしたのです」


「そうでしたね、失礼いたしました。ともあれボクはそんなベアトリス様の分も自由に動くため、社交界を抜け出したのですからね。お望みの結果をお渡しします」


「またそうやって嘘をつく。あなたは社交界が煩わしくて、私の誘いを利用して計画に組み込んだのでしょう。ですが事が済めば、あなたには表舞台に戻ってもらいますよ」



 穏やかに微笑み、しかしその目をぎらりと光らせる義理の祖母となる予定だった人に、ヴァイオレットは不快感を隠さず顔をしかめた。



「……ベアトリス様。王子との婚約をこれまで維持してきたのは、ボク自身が囮となって連中を動かすためであり、突然の婚約破棄というスキャンダルを演出するためですよ。お忘れですか?」


「覚えていますよ。安心なさい。あの愚か者にあなたは勿体がないこと今回の件ではっきりしましたからね、周囲が何と言おうと婚約はこのまま解消とします」



 ただ、とベアトリスは言葉を続ける。



「あなたは、次期国王のですからね。私の死んだあとにその才能を使って、あの子を支えてもらいたいのですよ」



 ああ、なるほど。そういうことか。

 ヴァイオレットは大きなすみれ色の目を見開くが、すぐにベアトリスの言動の意図を理解しニヤリと笑った。



「そのご発言は、陛下がお聞きになったら、また胃痛で倒れてしまいますね」


「元はと言えば、あれが不出来であるのが悪いのですよ。妃であるリディアの心労を思うと、母として申し訳ないわ」


「でしたら、リディア様を息抜きとして南の城に呼んで差し上げては?三ヶ月後には第二王子が留学から戻られ、王宮も騒がしくなるでしょうから」


「ああっ、それはいいわ!そうであればすぐに呼んであげましょう。ヴァイオレット、あなたも暇を見つけたらいらっしゃい」



 ベアトリスは「名案だわ」と嬉しそうに手をぱんと打ち鳴らす。

 頷けばいっそう嬉しそうに微笑むものだから、南の城での生活は退屈で仕方がないのだろうとヴァイオレットは思った。



「時にベアトリス様。ネズミは当然駆除いたしますが、男爵令嬢に入れ込み、ボクを糾弾した五人の処遇はどういたしますか?」


「五人?ではやはり、アトウッド家の長男も?」


「はい。アトウッド卿から、息子がボクを探っていると連絡がきた時はまさかと思いましたが、ティモシー・アトウッドは四人とは別行動でボクの悪事とやらを調べていたようです」


「恋は盲目とはよく言ったものね。そうねぇ、とりあえずアレクシスについてはあなたの好きにして構いません」


「おや、よろしいのですか?」


「ええ。ですが残りの四人については、各家に連絡を入れて、許可が下りてから行動なさい。愚か者であろうと跡取りを奪っては可哀想だわ」


「畏まりました。ではそのように」



 ヴァイオレットはにっこりと、それはそれは愛らしく笑った。心のなかでは、壊れようが構わないおもちゃが一つ手に入った嬉しさで高笑いをしながら。

 ルールのなかで最大限暴れるのもスリリングで楽しいが、やはり時には自分のやりたいように遊びたいのだ。


 ずいぶんと話し込んでいたようで、二人を乗せた馬車は街道の終わりである辻に到着した。

 揺れが完全に止まるのを待ってから、ヴァイオレットは御者が開けた扉から軽やかに馬車を降りた。



「それでは王太后様、わたくしはここで失礼いたしますわ」


「ええ。道中気を付けなさい。あなたからの報告が日々の楽しみなのですからね、私の可愛いヴァイオレット」



 ヴァイオレットは少年のようなハーフパンツにも関わらず、器用に淑女の礼をとった。するとベアトリスのみを乗せた馬車、はゆっくりと南へと向かって走り出す。



「やれやれ、相変わらず食えないお方だ。考えが筒抜けというのはどうもやりにくいね」



 馬車が見えなくなるのを待ってから、ヴァイオレットはこれまでずっと追従していたもう一台の馬車――ノースルーク家の馬車に乗り込んで呟いた。

 男爵令嬢に入れ込んだ五人について、まさか王太后ゲームマスターからルールを追加されるとは。彼らには例え王子だろうと双子の弟だろうと、誰を敵に回したかじっくり丁寧に教えこんでやろうと思っていたが、まさか各保護者と相談しろ言われるとは予想外だ。

 おそらく手加減なしの教育的指導を開始したら、あのバカ共が再起不能になると分かっていてルールを追加したのだろう。

 王子の分の許可はもらったけど、残りバカルテットの許可をもらいにいくの面倒だなぁ。バカがバカらしく勝手に来てくれれば正当防衛でボコボコにできるのに。

 なんてことを思いながら、ヴァイオレットはノースルーク領のある北へと向かった。


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