第3話 王子の考え休むに似たり
学園での婚約破棄騒動の翌日。帰宅早々父親と入れ違いになったと聞かされたヴァイオレットは、やっぱりなと思った。
「あの人の事だから、そんなことだろうと思ったよ」
せっかく遠く離れた寄宿学校から夜通し馬車を走らせて帰ってきたというのに、父親の青ざめた顔が見られないのは残念だ。こんなことだったら道中のんびり観光でもしながら帰ってくればよかった。
だがこれはヴァイオレットの想定内の出来事だ。
婚約者、それも第一王子という地位の男が一方的に婚約破棄を告げてきたとなれば、ノースルーク家としては今後について話し合わなければならない。情報も集めなくてはならない。
そのために、次期公爵家当主である長男に会いに行ったのだろう。
「よし、本邸に行こう」
人の嫌がることをやらせたら右に出る者はいないヴァイオレット。風呂と着替えを済ませると、意気揚々と父と兄のいるノースルーク領にある本邸へと向かった。
ちょうどその頃、ヴァイオレットが消えた寄宿学校では、アレクシスが寮の自室で百面相をしていた。
寮といっても、王族の住まい。それも第一王子という次の王に最も近い人間の部屋は、他の学生の部屋よりも格段に広くて、家具やカーテンに絨毯、使うティーセットに至るまで最高級の品が用意されている。
そんな室内をアレクシスは右往左往していた。
「なぜだ、俺の計画通りに進んでいたはずなのに、どうしてこうなっているんだ。だいたいなぜヴァイオレットはあの場で笑った!謝れよ!俺のエミリーを侮辱しておきながら、あんな……あんな……」
見た者すべてを惚れさせるような、天使の微笑み。昨日から頭にこびり付いて離れない。
十年の付き合いのなかで、あんな表情を見たことは一度もなかった。それをなぜ、泣いて許しを乞うと思ったあの場で披露したのか。
面食いの王子が必死に考えた所で、浮かぶ答えは「昔と変わらずヴァイオレットは笑うと可愛い」というだけでなんの解決にもなっていないことだけ。
そんな男が考えた計画が綿密だったかと問われれば、当然ながらそんなことはない。むしろ隙だらけのズタボロでお粗末様の極みだ。
だが何よりもお粗末様なのは、それを完璧な計画だと思っているアレクシスのおつむである。
「ヴィンセント!お前あれの弟だろ!どうなってるんだ!」
「どうと言われても、俺にもよく分からない」
「はあ?!」
急に八つ当たりをされたヴィンセントはため息をついた。
「正直俺もあいつがあんな反応をするとは思わなかった。それどころか、あのまま学園を出ていくなんて……」
ヴィンセントは出窓に腰掛け、外を見た。
視線の先にあるのは自分達の住まう第一男子寮を対になっている第一女子寮。つい昨日までそこの一室にいた双子の片割れのことを考えると、自然ともう一度ため息が出た。
ヴァイオレットも、表情筋は死んでいても生きた人間。あの場では公爵令嬢のプライドから毅然と振る舞っていただけで、部屋に戻って泣いているかもしれない。
そう思ったヴィンセントは、ざわつくパーティー会場をこっそり抜け出し、第一女子寮を訪れた。
エミリーに嫌がらせをしたとしても、それはアレクシスを愛しているが故の嫉妬だろう。それを思うと、一時はわいていた怒りも落ち着き、恋が実らなかった双子の姉に同情できる。自分もエミリーに恋をしているが、彼女はアレクシスの恋人であるためそれが実ることはないと分かっているから。
二人で落ち着いて話をして、もう一度謝ろうと諭せば全てが丸く収まるはずだ。
しかしヴィンセントが部屋の扉をノックしても返事はなく、耳を澄ましても中から物音は聞こえない。
まさか、まだ戻っていないのか?、と疑問を抱きながら、ヴィンセントは何の気なしにドアノブに触れた。するとそれが、ゆっくりと動くではないか。
「ヴァイオレット、入るぞ?」
双子とは言えど年頃の男女。声をかけてからそっと扉を開けると、室内の光景にヴィンセントは言葉を失った。
たくさんの本が詰められた書架、お気に入りの紅茶缶の並んだチェスト、勉強道具が整頓された窓辺の学習机。白で統一されていた家具が一つもなかった。
それだけではなく、深紫色の絨毯が敷かれていたはずの床は板張りがむき出しに。淡いラベンダー色のカーテンは取り払われ、遮るものがなくなった月明かりが無遠慮に部屋に差し込む。
季節の花が生けられた花瓶。壁に飾られた野鳥の絵。小さな体には不釣り合いな大きなベッド。訪れる度に彼女が腰かけていた猫足の一人用ソファー。
ヴァイオレットのいた痕跡は全て消え去り、まるでこの部屋には最初から誰もいなかったと錯覚しそうだった。
どれくらい呆然としていたかは分からない。一分かもしれないし、一時間だったかもれない。
はっと意識を取り戻したヴィンセントはパーティー会場に駆け戻り、厄介払いができたと機嫌良さげなアレクシスに事の次第を伝えた。
「おいヴィンセント、ようやく片がついたというのに興が醒めることを言うな。あの女は自分で学園を出ていくと言ったんだ。どこへ行こうと俺達には関係のないことだろう」
「だが……!」
「明日、朝一番に父上の婚約の解消を報告して、俺は正式にエミリーと婚約をする。これはその前夜祭だ、お前も楽しめ!」
ダメだコイツ、浮かれていて話しにならん。国王が婚約解消を認めていない以上、ヴァイオレットは未来の王子妃。失踪したとなれば面倒なことになるのが分からないのか。最悪の場合、この件に関わっている中で最も身分の低いエミリーがすべての責任を押し付けられ、貴族に袋叩きにされるかもしれないというのに……。
舌打ちしたくなるが王子の前だ。ヴィンセントはぐっと堪えて、踵を返した。
再び会場を出ようとすると誰かが呼び止めようとしてきたが、どうせこの婚約破棄劇場の中心人物の弟から情報を得たいどこかの噂好きの令嬢だろうと思い、足を止めることはしなかった。
その後、自分の従者であるマークにも手伝わせ学園中を探すと、年老いた帝王学の教授からヴァイオレットに関する情報を得られた。
「彼女なら四日前、今日付けの休学届けを提出していますよ。受理されているので、もうこの学園にはいないでしょう」
また言葉を失った。
さきほどの事態を受けて、学園を去ろうと荷物をまとめ、休学届けを提出するのは大いに考えられる。しかし四日前とはどういうことだ。
ヴァイオレットはもともと、このパーティーを最後に学園を去るつもりだったのだろうか。しかし、なぜ?
マークに何か知っているかと聞いても、姉と彼が会話をしているところは一度も見たことがない。姉付きの侍女とは使用人同士そこそこ親しくしていたようだが、なにも聞かされていなかったようだ。驚愕の表情で首を振られた。
「旦那様でしたら、なにかご存じなのでは?」
「そうだな……」
もとより今夜の出来事を……ヴァイオレットがエミリーに嫌がらせをしていた件を報告するつもりだった。少し予想外のことの起こったが、手紙に書く内容が一行分増えただけのこと。
ヴィンセントは第一男子寮の自室に向かうと、書きかけだった便箋に今夜の出来事とヴァイオレットの休学について書き加え、マークに託して郵便屋に向かわせた。
そうして夜が明け、学園中が昨夜の出来事について話しているなか、アレクシスは日の出と同時に父である国王に手紙を出した。出したと言っても、自分付きの使用人の一人に早馬で直接届けさせたのだが、その返事はわずか三時間でやってきた。
この学園から王都には、どれだけ足の早い馬でも六時間はかかる。それがたった三時間で帰ってくるなど、どう考えてもおかしかった。
なにより国王からの手紙を持ってきたのはアレクシスが遣いに出した者ではなく、王宮に勤務している文官だったのに、さすがのアレクシスも違和感を覚えたらしい。
不審そうに顔をしかめながら手紙を開封。瞬間、奇妙な叫び声をあげて文官に詰め寄った。
「んをおおいっ!これはどういうことだ!」
「どうもこうも、そちらが陛下からのお言葉です」
同じ室内で傍観していたヴィンセント、オズワルド、ルシアンは、状況が飲み込めず顔を見合わせる。
そして何やら喚いているアレクシスの手から落ちた手紙を拾い三人で確認すると、なぜ、と国王の考えを疑う一方で、アレクシスが喚く理由が分かった。
『件の男爵令嬢との婚約は認められない。即刻ヴァイオレット・ノースルーク嬢に謝罪、再度求婚せよ。さもなくば廃嫡とす』
文官は「しかとお渡ししましたよ」とアレクシスを引き剥がしながら念を押し、面倒はごめんとばかりに去っていく。そして現在に至るわけだ。
たった三行。されど三行。これほど一国の王子を追い詰める文章はないだろう。
アレクシスはあれからずっと部屋のなかを徘徊し、時にはヴァイオレットへの怒りに顔を赤くし、時には父からの手紙に怯えて青ざめる。ルシアンが「座ったらどうです?」と言ってもまるで聞こえていない様子だ。
「クソッ!クソッ!ヴァイオレットに謝れ?なぜ俺が?!だいたい求婚てなんだよ、誰があんな顔だけのツルペタ女と結婚するか!俺はエミリーと結婚するんだっ!」
「陛下は、殿下の手紙を読む前に使者をお出しになられたのでは?」
地団駄を踏むアレクシスに、ルシアンが言う。
丁寧な口調のわりに、テーブルの上に散らばる紙……エミリーへの嫌がらせの主犯がヴァイオレットだという証言証拠をまとめたものを見下ろした顔は、忌々しげに歪んでいた。
「彼女のやったことは、こんなにも証拠があるんです。周囲を扇動して一人の人間を攻撃していたなんて、いくら公爵家の令嬢でも許されることじゃない。おまけに実行犯達に話を聞けば、彼女に脅されて渋々手伝わされていたそうじゃないですか」
「そうだな。ある意味であいつらだって被害者だ。この事実が陛下の耳にも入れば、婚約の解消どころか、ヴァイオレットを罪に問うことも考えてくださるはずだ」
「ルシアン、オズワルド、お前達もそう思うか?やはり俺は間違っていないよな?」
側近にして同志である二人の言葉に、アレクシスはぴたりと動きを止める。
「そうだよな!俺は間違っていない!ああ、そうだ!なにも知らないくせに勝手なことを言う父上が悪い!」
面食いでおつむの弱い王子はポジティブだった。
面食いでおつむの弱いポジティブ王子は、ぐっと拳を握りしめると、決意に満ちた表情で国王からの手紙を掴む。
────そして、破った。何度も、何度も、細切れに破り捨てる。
「あ」
「あっ」
「あー……」
ハラハラと床に落ちる手紙だったものに、側近たちの“あ”の輪唱がおきる。問題の人物が双子の姉である手前、苦い顔で黙っていたヴィンセントですらその光景に目を見開いた。
しかしアレクシスはそんな三人の様子など気にも止めず、手紙だったものを踏んだ。
「お、おい、アレクシス。何を……」
「黙れオズワルド。いいか、お前達は何も見ていない。今日ここに国王からの手紙は届かなかった」
「は?」
「手紙など届かなかったから、俺はヴァイオレットに謝罪も求婚もしない。手紙など届かなかったから、それをしなかったから絶縁など無効だ。手紙など届かなかったから、このままエミリーとの婚約の話を進める!」
手紙など届かなかったから、手紙など届かなかったから。まるで呪文のように前置きをして宣言するアレクシスの身体は、ガタガタと震えていた。
面食いでおつむが弱いポジティブ王子は、権力に弱かった。
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