最終話 これからも

「ところでその大きなかばん、何が入ってるの?」


 二人、アパートを目指して歩く。送ろうか、という美咲の申し出は断った。少し用事があったのと、なんとなくそんな気分ではなかった。


「学校の道具と簡単な生活用品、保険証その他諸々、あとはほとんど服です。こればっかりは借りるわけにもいきませんから」


 服かあ。服を買う必要があると思っていたのだがその必要はなくなったようだ。

 それまではブカブカの服でしのごうと密かに画策していたので、少しさびしい。


「私の服、やっぱ着心地悪かった?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど、すごく落ち着かなくて、今日も朝からドキドキしっぱなしで......」


 思春期だった。配慮が足りなかった。可愛くてどうにかなりそうな話だが、そのせいで服の優先順位が上がってしまったらしい。


「そっか、漫画とかよかったの?」

「漫画は好きですけど、しばらくは退屈しなさそうだったので」

「へえ、それどういう意味?」

「京子さんを眠らせないっていう意味です」

「そ、そっかぁ。それは楽しみ......」


 ちょっとからかおうとしただけなのに、強烈な逆擊をくらってしまう。やれやれ。



 昨日からずっと現実味のない感覚が続く。

 私はこの子とこれから一緒に暮らすのか。朝からそうなれるよう頑張ってきたのわけだが、正直こんな関係が許されるとは思っていなかったので、色んな感情が渦巻いて戸惑ってしまう。

 幸太君も落ち着かないようで、二人でふわふわとした会話を続ける。

 大した距離ではなかったので、気がつくとアパートは目の前だった。


「先に上がっといて、ちょっとコンビニで買い物してくるから」


 そう言って鍵を手渡す。なんだかカップルっぽい。カップルどころか将来を誓いあった仲なんだけど。


「ああ、僕も行きます。部屋で一人ってのも落ち着かないですし」

「あ、そう?」


 旦那様はあまり気が利かない。でも、特に断る理由もなかったので、さっきの仕返しのつもりで二人でアパートの向いのコンビニに入る。


「何か買いたいものある?」

「僕は特に大丈夫です」

「そっか、じゃあこれだけか」


 そう言うが早いか、コンドームの箱を幾つか掴む。


「これぐらいあれば、とりあえずは足りるかな?」

「え、ああ......」

「これぐらいじゃ、退屈しのぎにもならない?」

「いや、そんなことは......」


 照れてる照れてる。やり方は姑息どころの話じゃないけど、年上としての矜恃は守られた(失った?)。

 意気揚々とレジへと向かう。すると、何を思ったのか幸太君もついてきた。

 店員さんにコンドームを渡す私の隣で赤面する幸太君。

 絵面的にかなりヤバくないか?スーツの女と顔を赤くした可愛い学ランの男の子がコンドームを買い求める。

 うひゃー、犯罪じゃん。私まで顔が熱くなってくる。むしろ私の方が赤いかもしれない。

 無表情な女店員の視線が辛い。でも、変に微笑まれるよりは救われたような気がする。バイトといえど意識はプロだった。


 帰ってからは、なんやかんやうだうだしつつもお察しだった。

 昨日あれだけハッスルしといて、今日も相当疲れたはずなのに、若さと年増の性欲は偉大だった。


 後日、私の実家にも挨拶に行ったのだが、呆れ果てたような犯罪者を見るような目を向けられただけだった。犯罪者はどっちだ、おい。

 むしろ本当にいいのか、と念を押す家族に幸太君が真っ直ぐな瞳で初恋の人ですから、と応じていた。照れる。


 これはそのとき聞いた話なのだが、あの饅頭はやはりというか母の手作りでどこかの特産品ではないとのことだった。

 後で確認したら、確かに大量生産品としては梱包が雑だった。しかし、手作りにしては丁寧で土産としては別に違和感がないレベルだった。

 あんこの中にどこで手に入れたか一向に口を割らない媚薬を練り込み、それつぽい見た目にして、それっぽい箱に包んだんだという。なんのためにそんなことをしたのか。

 母曰く、気になる男ができたら部屋に連れこんでこれを食べさせればイチコロだ、でも強力すぎるから取り扱いには注意して、犯罪者になりたくなかったら間違っても食べないようにとのことらしかった。

 だから、どっちが犯罪者だ全く。

 散々説明したのに、とむしろ怒られた。酒はほどほどに、ということだろうか。

 母とのお茶の席で記憶が飛ぶほど飲むなんて、そうそうないことなのだが、全くもって間が悪い。

 しかしこればっかりは言っても仕方ないことだった。


 それから、おじさんがどうしてもと言うので三日程の短い間を空けて再び実家へ挨拶に行った。おじさんの手前、幸太君は連れていかなかったがおばさんと、それと何故か美咲もいた。

 案外暇なのかもしれない。

 真摯な態度で真剣に謝罪するおじさんとおばさん、それに両親がより激しい謝罪で応じる。

 収拾がつかない。何より私が一番いたたまれなかった。つい私も謝罪したくなるが、どうにか我慢する。

 美咲だけが楽しそうに笑っている。

 しかし、おじさんとおばさんは大人だった。巧みな話術でいつの間にかその場をおさめていた。本当の大人ってすごい。


 そして私は母が振る舞う料理の席で久しぶりに滅茶苦茶怒られた。なんでも、孫より先に長男か次女が出来てしまうかもしれないとのことだった。

 こんな馬鹿な話、なにもフィアンセの両親の前でしなくても。

 美咲だけが馬鹿笑いしている。

 父は事後初めて饅頭の話を聞かされたらしい。全く、はじめらから自分の悪事を隠そうとしなければ防げた悲喜劇トラジコメディだったというのに。

 この親にしてこの子ありというか(おまえが言うな)、50手前の老夫婦の家に避妊具などあるはずもなく、家族仲良く恐怖の宣告を待つ身となってしまった。

 しかし、二人ともいい年した大人なわけで、やるかどうかは自己責任な訳だから、私は全く責任を感じていない。

 ただ、高齢出産のリスクと生まれてくるかもしれない弟妹のことを考えると、胃は痛かった。


 せいぜい父の自家発電が盛んになって、実家が少し妙な雰囲気になればいいくらいの軽い気持ちでした報復だったのだが、想定しうるなかでも三番目くらいのかなり悪い結果になってしまったようだ。

 父はまだしも母は正常な状態で受け入れたわけだから、二人は意外にも熱々だったらしい。

 別段不仲でもなかったが、父と母としての二人しか見たことがない私としては、感慨深い話だった。

 親のそんなところ、邪推するものでもないような気がするが、もう遅い。できるところはしてしまった感がある。

 おえぇ。


 客人夫婦は苦笑い、美咲は爆笑、私は引き笑いと、食卓は終始笑顔につつまれていた。


 とまあ、弟妹と私達の愛の結晶が同い年になるかもしれない、なんてラブコメの導入みたいな締めも悪くはないのだが、ちょっとあんまりなので最後に今の私たちの話をしよう。


 もうこの話のオチを言ってしまうが、私の検査の結果は陰性で、かなりの確率で赤ちゃんはできていないとのことだ。中に出さなくても子供はできるとか、コンドームはあくまでも性病を防ぐものであって避妊具としての効果は絶対でなはないとか、ネットには冷や汗ものの情報ばかりで、今回もまた半ば諦めていたのだが、本当に良かったというか助かった。

 まあ逆に言えば、無理して急いで結婚する必要もなくなってしまったと言えばそうなのだが、そこは幸太君が頑として譲らなかった。

何を焦っているのか、本人曰く、


「京子さんみたいな魅力的な女性、フラフラさせとく自信ないです」


だそうだ。

 最近では生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのか、そんなことさえ分からなくなっているような社畜OL相手に、何を不安がることがあるのだろう。

 逆だ逆。誘惑だらけなのはそっちで、結婚すると色々と迷惑がかかるのもそっちなんだ。

 二人の我が儘で、幸太君の未来を狭めるような真似はしたくない。

 ただ、本気でそんな心配をしてくれるのだから、私が幸せ者であることに間違いなくて。

 全ては一年後、今だけはこの降ってわいたような幸福に身を任せるのも悪くはないだろう。というか、失礼というものだ。


「ただいま」

「おかえりなさーい」

「ああ、わざわざいいのに。でも、ありがと」

「いえいえ、いつも遅くまでご苦労様です」

「まあ、それはそれとして、これからさ、色々大変だろうけど、二人で乗り越えていこうね」

「えっと......どうしたんですか?」

「いや、夫婦と言えど以心伝心とはいかないでしょ?だから思いは言葉にしないとなぁって思っただけだよ。そんなことより返事は?」

「は、はい!」

「元気でよろしい」

「もしかして、酔ってます?」

「素面だけど......あれ、引いちゃった?」

「いや、そんなことは。でもなら、晩酌付き合いますよ、明日は休みですし」

「いや、お酒はいいや。それより、ね?」


 ちなみに、私の弟妹は、男なら玲二、女なら麗香、だそうだ。

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媚薬とOLと高校生 桜冬子 @indoorfish

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