第六話 挨拶

「ところでさ、何回中だししたの?」


 車中で助手席の私に美咲が問う。下品な奴だなんて思わない。大切なことだ。


「一回」

「本当に?」

「私は覚えてないけど、幸太君が言ってたから間違いない」

「へえ、幸太本当に?」

「う、うん」


 幸太君が気まずそうに答える。高校生にして幸太君のような善良な少年が、姉とこんな会話をしなければならないなんて、本当にこの世は諸行無常である。ごめんなさい。


「幸太が言うんなら間違いないか。でも一回なら可能性も低いし黙ってれば良かったんじゃないの?」


 それは、思わなかったと言えば嘘になるが、あまりにも不義理で無責任だ。


「後からデキてました、じゃあご両親としても納得の仕様がないでしょ」

「でも普通に考えて、現状納得なんて綺麗な終わり方はほぼ無理でしょ。子供が出来てないことに賭けて一年後か何年後か、幸太が親元を離れてから改めて挨拶した方が良くない?いっそこっそり堕ろしちゃう?」

「それは......」

「そんなのダメだよ!都合が悪いから堕ろせだなんて、そんなの最低だ」

「ま、だよね~」


 美咲は鼻歌混じりに運転を続ける。美咲はこんな性格だが、幸太君にたいてしはあまり辛辣なことを言わない。

 それは優しいのか甘いのか、なんにせよこいつも弟が可愛い一人のお姉さんであることには違いなかった。

 中絶、もし堕ろせと言われれば、断れる立場にはないのだが......。


 とんでもない、救いようのない馬鹿をやらかしてしまったものだ。もし、私が死んで丸く納まるなら、どれだけ楽か。

 ただ、世界はそんな単純ではなく、楽でもなかった。


 妊娠の確率って俗説だけど体感6分の1くらいらしいよ。本当にロシアンルーレットじゃん、ギャハハハなんて下品な笑いが響くころ、家についた。


 近いのだから当然なのだが、一瞬だった。微妙に心の準備が出来ていない。この距離なら歩いた方が良かったかもしれない。なんて、意味のない言い訳はやめて、インターホンもなしにズカズカと玄関へ侵入する(実家なのだから当然)、美咲に続くことにする。


「ただいま~」

「お邪魔します」

「ただいま」

「おかえり、京子ちゃんまで、みんなしてどうしたの?」


 玄関でおばさんが迎えるがまあまあとりあえず、と言って美咲が強引に居間まで押し出す。

 

おばさんが不思議そうに首をかしげる。大事な話がある旨は伝えてくれたそうだが、それだけではこの面子で大事な話と言われても不可解だろう。


「これ、美味しいって評判なんです。どうぞ受け取ってください」


 半ば強引に土産を手渡す。 


「は、はあ」

「それと、おじさんを呼んでもらってもいいですか?」


 おばさんは不思議そうにしながらも奥へと引っ込んで、おじさんを呼びに行ってくれた。

 ガラリ、再びと扉が開く。2つの足音、やることは同じだった。


「息子さんを、私にください!!」


 え、それまたやんの?みたいな呆れたような声も京子さん......みたいな困ったような声も無視する。


「......とりあえず、話を聞こうか。頭を上げなさい」


 顔を上げると、煙草に火を入れているところだった。優しかったおじさん。家族でもない他人の娘が、毎日のように家でたむろしても、嫌な顔ひとつせず、むしろ本当の家族のように優しく、楽し気に接してくれたおじさん。そんな私にとってはもう一人の父親のような存在のおじさんが、今までに見たことのないような顔で煙を燻らせていた。


 臆さず、私は事の経緯を包み隠さず全て語る。愛していると、幸せにすると、思いの丈も貯金の額も全てをぶつける。


「だからどうか、息子さんを私にください!」


 そして再びひたいを床へ打ち付けた。


「......」


 長い、長い沈黙。ふー、という煙を吐き出す音と、煙草の香りだけが部屋を満たす。


「......悪いが、帰ってくれないか」


 答えはNO。それでも、すがり付くように懇願を続ける。


「無理を承知でお願いします。幸太君の人生を絶対に幸せなものにしますから」

「ダメだ、君のような無責任な者にうちの息子は任せられん」

「父さん、そこをなんとか......許してくれないかな」

「子供は黙ってなさい」

「でも......」

「でもじゃない、おまえはまだ結婚できる年じゃないんだぞ。ふざけたことをぬかすな」

「......」


 取り付く島もなし、か。これ以上の説得は恐らく無益。

 至極当然な真っ当な最後だった。幸太君に一生ものの傷を残し、私はこの街から消える、当然の帰結。

 駆け落ちする資格も勇気も私にはない、だからこの話はこれで終わり。

 そう、私ひとりの問題ならば、ここで終われたのだが......。 


「いつまでそうしているつもりか知らないが、話は終わった。帰ってくれ」

「私には、幸太君を幸せにする責任 があります......それをこんなところで諦めるくらいなら、最初からお願いになんてきていません」


 今更だが、顔を見せないのは卑怯だと思ったので、立ち上がってお願いする。それでも、今度こそ折れるわけにはいかない。


「それは脅しか?君も大人なら分かるだろう、許すわけにはいかないんだよ」

「脅しではありせん、私にそんな資格はない。ですからお願いです、私たちのことを許してください」

「常識で考えてくれないか。私も譲るわけにはいかない」

「考えたうえで、無理を承知でここにいます。これしかないと思ったから......」

「それは君の都合だ。どうしても許すことはできない」

「と、父さん。二人の支援なら私ができる限りするかさ、二人のこと、許してあげてくれないかな?こうなったの、私のせいでもあるし......」


 美咲......。美咲は欠片も悪くない。恐らく、朝から異常なことに巻き込まれて頭が上手く働いていないのだろう。それでも、私の目頭は熱かった。 


「ダメだ、そんな問題じゃない」

「お父さん、私からもお願いします。京子ちゃんのこと、昔から良いお嫁さんになるって褒めてたじゃないですか。確かに順序が少し早くなってしまいましたけど、でもそれだけですよ」


 おばさんまで......。


「おまえまで、なんだ、私が悪者か」

「......どうか、お願いします」


 ここまでしてもらってダメならもう諦めるしかない。おじさんの顔が困ったように歪む。気がつくと、頬を涙が伝っていた。


「この、馬鹿息子が!!」


 突然だった。おじさんが幸太君を殴り飛ばす。


「デキ婚の挨拶に彼女に土下座させ、女を泣かせ......子供云々の前に、おまえは男だろうが!恥を知れ!」


「おまえのような奴はもう知らん。好きに生きて好きに死ね。さっさとを荷物をまとめてこい、そしてさっさと出ていけ!」


 そう言って幸太君を蹴飛ばす。おばさんは呆れた様子で、美咲は可笑しそうにさっぶと呟いた。幸太君は、はい、今までありがとうございました、とだけこぼして二階へと消えていった。


「ええっと......」


 突然の事態に頭が追い付かない。ええっと、勘当された?

 そんな、最悪だ。それだけは避けたかったのに......。ほぼ駆け落ちじゃないか、そんな権利、私にはないのに。

 

「ちょっとお茶でもどうかな?もう冷めちゃってるけど」


 そう言って椅子を勧められる。さっきまでの鬼気迫る雰囲気はない。いつも通りの優しい柔和なおじさんだった。 


「は、はい」

「僕はね、家内が言っていた通り、君のことを結構信頼していたんだ。だから少し驚いたよ」

「す、すみません」

「あの馬鹿、聞いたかもしれないけど、一度家に帰ってきて、それから京子ちゃんのところでお茶してくると言って出て行ったんだ。それから友達の家に泊まるとなんて連絡を寄越してきた。だから、こうなる日が来るかもしれないなんて、冗談混じりに予想はしてたんだけどね」

「そ、そうだったんですか?」

「そう、これで気付かなかったらそれこそ馬鹿だよ。だから、驚いたとすれば展開のはやさにかな。京子ちゃんも大人な訳だし避妊くらいはしてくれると思ったんだけど......」


 咎めるような口調だが口元は笑っている。でも、やはり恐縮だった。何より思考が追い付かない。


「す、すみません」

「もう過ぎたことは良いよ。それに、こういったことは如何なる事情があろうとも基本的には男が悪いしね。むしろ君のご両親になんて謝ればいいか......」


 そう言っておじさんは困ったように頭をかいた。

 が、本当に困っているのは私だ。そんなこと、させられるはずがない。

 

「そ、そんな、これは私が完全に悪いですから、謝罪なんてやめてください」


 この人は何を言っているんだろう。さっきから話が見えてこない。

 

「そう?じゃあこの件に関してはとりあえず言いっこなしってことで」

「は、はあ」

「うーん、はっきり言わないとダメかな。僕は君たちのことを許すよ。ちょっと早いけど、いつかそうなったら良いな、とは思ってたしね」


 許す......許す?

 本当に?

 おじさんと話をはじめてから、なんだか、世界が希薄だ。現実感が薄い。

 これこそ夢か、でも夢じゃないなら、ちゃんと返事しないと、やっぱりやめたなんて言われたら今度こそどうにかなってしまう。私は必死で言葉を紡いだ。


「す、すみません、その、ありがとうございます......!」


 私は嗚咽とともに必死で返事をした。気がつくと、良い年した大人がみっともなく、隣に油断ならない悪友がいることも忘れて泣いていた。


「それは嬉し涙、だといいんだけど、ちょっと意地悪がすぎたかな」


 そう言って肩を竦めるようにして、ハンカチを手渡される。


「い、いえ、ありがとうございます」


 私はただ礼を言って涙を拭った。このときばかりは悪友の潤んだ瞳も目に入らなかった。


「ごめんね、泣かせるつもりはなかったんだけど、親としてはどうしても確かめておきたかったんだ。最初は君をあのまま帰らせて、幸太を勘当して後を追わせるつもりだったんだが、それじゃあ君のいう幸せとは程遠いんだろう?」

「私と一緒になるために駆け落ちなんて、幸せなのは私だけでしょうから......」

「あいつも結構幸せだと思うけどなぁ」


 そう笑うおじさんは、どこかズレていた。

 幸太君も幸せなら、それはとても嬉しいさことだが、人は、私も含めてこういった話題では自分と自分の周りのことを放ってしまいがちだ。


「まさか未成年の息子が、しかもやらかした側の親になるなんて考えてもみなかったからどう責任を取らせれば良いのかわからなくてね。結果として試すような真似をしてしまって申し訳ない」


 試す、か。今にして思うとすごく昔のことのような気がするが、それはついさっきの出来事だった。


「どうかした?」


 私は、気が付くと笑っていた。安堵感か、達成感か、恐らくどれも関与はしていても直接的ではない。


「い、いえ、安心したっていうか、実はさっきも娘さんと同じようやりとりをしてて、似てないけど、やっぱり家族なんだなぁ、ってそう思うと少し可笑しくて」

「そうなの、美咲?」

「ま、まあ。でも父さんほど意地悪でもなければ不器用でもなかったけどね」


 ちょっとやりすぎちゃったけど、と小さくばつが悪そうにこぼす美咲の瞳は、少し赤らんでいた。

 こいつには本当に一生頭が上がらないかもしれない。

 今度また頭を踏ませてやろうと思った。

 違うそうじゃない。

 人間の頭は、気のおけない友人に対しては際限なく馬鹿になってしまうらしい。

 改めて、こいつが結婚したらご祝儀を奮発しようと胸に固く誓った。


「そうか、じゃあさっきのやり取りは本当に無駄だったわけだ」

「ホントにね。なに考えてたのか知らないけどはたから見れば笑えないレベルの茶番だったよ」

「自分でも結構辛かったよ」 

「自覚があるんなら良いですけど、それにしても酷かったですよ、あなた」

「ははは.....」


 釣られて、大人達が疲れたような乾いた笑いを浮かべあう。

 面倒なことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない。そう謝罪したかったが流石にくどいし、それにみんなが本当に大変なのはこれからであることは明白だったので、私は何も言えなかった。


 それから、今後について漠然とだが軽く話し合いをしていたころ、幸太君が降りてきた。背中には登山用のザックのような大きな鞄を背負っている。


「それだけでいいのか?」

「はい、今までありがとうございました」

「そうか、じゃあさっさと出ていけ」

「......はい」


 おじさんのことを信じていないわけではないが、これは勘当と何が違うのだろう。でも今は黙って幸太君の後に続くより他なかった。 


「すみません、こんなことになってしまって......」


 俯きがちに靴を結ぶ。いまいち表情が見えないが、相当落ち込んでいるらしかった。でも、なんと声をかければいいのかわからない。

 私が、恐らく見当違いな慰めの言葉でもかけようとしたとき、後ろからおじさんの声がした。


「一年後、京子を連れて挨拶に来なさい。それまでは二度と顔も見せるな」

「......はい!」

 

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