第四話 ハートに火をつけて


 チュンチュン、チュンチュン。


 小鳥のさえずりで、意識が軽く覚醒する。久し振りによく寝た、清々しい目覚めだった。

 ふぁーあ、欠伸がでる。でも別に眠い訳ではなく、ただ寝惚けているだけだ。このままベッドでうだうだしているのも悪くはないのだが、一年で何回あるか分からない、せっかくの爽やかな目覚めだ。何かしよう。そのためにも、取り敢えず洗面台に行かなくては。

 早起きは三文の得、目を開けると、隣には可愛いらしい王子様の寝顔があった。


 朝チュンだった。


 私は、久し振りに煙草の封を切った。

 事後の男の気持ちが分かる気がした。やらかした後の男は、きっとこんな気持ちで煙草の味を噛み締めていたのだろう。

 どうすっかな。

 朝焼けを背景に、ベランダで煙草をふかしながら思案にふける。

 私は以外と落ち着いていた。私は人生を諦めていた。そんな終わりの落ち着きだった。何を犠牲にしても、事態を収束させなければ。それがせめてものけじめだ。諦めの境地、仄暗い炎が私の胸で静かに燃える。

 

 一本目の煙草を吸い終わるころ、そうしているのも飽きてきたのでシャワーを浴びることにする。

 私がバスルームから出て、ベランダで丁度二本目の最後の煙を吐き出し終わる頃、後ろでもそもそと音がした。

 久しぶりの煙草の味は、大して美味しくはなかった。


「すみません、あの、勢いで取り返しのつかないことを......」


 まだ眠いだろうに、目が覚めるなり、慌ててこちらに駆け寄ってくる。


「その、一年、待ってもらえませんか、勝手なんですけど......そしたら」


 可哀想なくらい取り乱す幸太君を、落ち着いて、と瞳を見据えて、そして首を振って制する。

 そして私は膝まずいた。


「あなたが行く道を照らす、太陽に私はなりたい」


 渾身のプロポーズだった。

 変だって?しょうがないだろう、言うことなんて想定してない、言われたい愛の言葉を綴ったまでだ。


「もし君が、側にいることを許してくれるなら、その無限の力を糧として如何なる闇も困難も焼き払ってみせる、だから」

「ええっと......何かの詩ですか?」


 寝惚けたことを言う幸太君の声に、顔を上げてみれば、心底、本当に何を言ってるのか分からないというような、微妙な顔をしていた。


「ずっと前から好きでした、私と結婚してください。後悔なんてさせない、絶対幸せにするので一生側にいてください」


 仕方がないので、再び膝まずいて直訳する。指輪がないのでいまいち決まらないが、手を差し出す。心臓が年甲斐もなくバクバクする。


「はい、是非」


 即答だった。手のひらに暖かいものが触れ、優しく包み込まれる。これが若さか。

 ちょっとくらい、悩みなよ。


「でも、ズルいですよ。僕から言おうって思ってたのに、好きになったのも絶対僕の方が早いのに......」

「ごめん、ごめん。あんまりにもカッコがつかなかったからさ」


 私には彼のプロポーズを断る権利なんてない。でも、プロポーズされた、なんて受け身になって言い訳する資格もない。これは私なりの一つのけじめだ。

 幸太君は涙ぐんでいた。人生の節目となるような決断を急に二つだ。私が寝ている間もたくさん悩んだはずで、本当に不安だったはずだ。

 この涙は良いものなのか、悪いものなのか、今はわからわない。でも、良いものにしないとな。


「よしよし、可愛い顔が台無しだよ。取り敢えずシャワー浴びてきたら?」


 そう言って私は彼を抱き締めて、頭を撫でる。彼の腕が私の背に巻きつく。そうして、しばらく抱き合っていると、落ち着いたのか、手の力を緩めて、シャワー浴びてきます。と照れくさそうに呟いた。

 どうぞ、着替えとタオルは用意しておくから、そう彼をバスルームへ案内すると、私は準備を進めることにした。

 電話をかけながら、タンスから私服の中でも男っぽいものを幾つか取り出す。私サイズならむしろ少し大きいくらいだろう。そして実は、履き心地が良いのでボクサーパンツくらいならあるのだ。

 ......誤解を生みそうだ。後でちゃんと説明しよう。

 コールが止み、相手へと電話が繋がる。結構朝早いのだが、なかなか感心な奴だ。


「もしもし、こんな朝から何よ?」


 不機嫌そうなガラガラ声、どうやらモーニングコールになってしまったらしい。


「ごめん、ごめん。大事な話があるんだけど、ちょっといい?」


 電話口は無言、私はそれを肯定として話を続ける。


「私、美咲の妹になるかもしれない」

「は?」


 タオルと着替えの準備、次いでに軽い朝食(土産)を並べながら、事の顛末を語る。


「あのさあ、あんたの家族が無茶苦茶なのは知ってるし、笑えるからいいけど、私たちを巻き込まないでくれる?」

「本当にごめんなさい」


 平身低頭、ぐうの音も出ない。


「はあ......今からそっち行くから、動くなよ」


 はい、という私の返事を聞くまえに電話が切れる。


「シャワー、ありがとうございました」


 丁度良いタイミングで、幸太君がシャワーを終えて出てくる。狙い通り、私が選んだ服はよく似合っていた。ブカブカなのが可愛い。


「幸太君、突然だけど君のお姉さんがここに来ることになったから、覚悟しといて」

「え......はい!」

「元気でよろしい」


 余裕そうに笑ってはいるが、本当に覚悟しなければならないのは私のほうだ。もしかしたら、◯されるかもしれない、冗談抜きで。


「あのさ、幸太君、私実は昨日の夜の記憶が曖昧で......ぶっちゃけ、何回戦までいった?」


 ババ臭いというかオジサンくさい。一瞬キョトンとした様子だったが、すぐに察してくれたようで、


「ええっと、僕も詳しくは覚えてないですけど、京子さんが寝ちゃうまでは、夕方から夜遅くまで。僕もその後すぐ寝ちゃったんですけど」

「そっか。じゃあ、これは完全に私が悪いから気にしなくて良いんだけど、私の中に何回出したか覚えてる?」


 ここは大事だった。下品で申し訳ないが、他に聞き方を知らない。


「ええっと、多分最初の一回以外は、大丈夫だと思います」


 照れてはいるものの、特に気にした風でもなく教えてくれる。可愛い。

 

「本当にすみません」

「いや、いいのいいの。幸太君は悪くないよ、むしろよく頑張った」


 ゴムなしで迫ってくる発情したデカイ痴女を相手に本当によく頑張ったものだ。一回なら可能性も低い。おかげで、幾分か気持ちが和らぐ。

 つい、よしよしと頭を撫でてしまう。

 独身とはいえ、コンドームの一つも用意してない馬鹿に比べて、なんと頼もしいことか。

 

「そういえば、親御さんには連絡してる?」


 次いでにもう一つの懸案事項を確認しておく。これも場合によっては詰んでしまう。


「それは、途中で友達の家に泊まるって連絡入れたので大丈夫だと思います」


 本当に良くできた子だった。

 興奮状態の独身OLを相手によくそんな隙を見出だしたものだ。

 そんな子が独身の毒牙にかかるなんて、世の中やはり間違っているのだろう。


「そっか、重ね重ねごめんね」

「そんな謝らないでください。二人でやらかしたことなんですから。それに、僕たちもうパートナーなわけですし、どっちかだけが責任を感じるなんておかしいですよ」

「ふふふ、そうだね。ごめん」


 尚も謝る私に、もお、と拗ねたように幸太君が咎める。

 こんな幸せな時間が、いつまでも続けば良いのになあ。

 話し合うべきことは山ほどあるのだが、火急の確認事項はもうなかったので、とりあえず訪問者を待つ間に朝食を済ませることにした。

 母の饅頭やらの話をしながら、いつかのように土産をついばむ。

 あんなことがあったのに、びっくりするくらいいつも通りな、和やかな食事だった。あの夜のぎこちなさが嘘のよう。こんな毎日がもしかしたら、これからもずっと続くのかと思うとやはり幸せだった。

 でも、幸せは長くは続かない。

 母への愚痴がヒートアップするまえに、インターホンが三度みたび高い警告音を鳴らした。


「大丈夫だよ」


 緊張して、表情が強張る幸太君の頬に軽くキスをして、居間を後にする。親しき仲にも礼儀あり、出迎えはするべきだろう。

 居間の扉をしっかりと閉めて、私は玄関へと向かった。

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