第三話 リミットブレイク

「遅くなってごめん。どうぞ」


 できるだけ平静を装って、短く、顔を見ないようにして居間へ誘う。少し無愛想だろうか。


「あ、お邪魔します」


 姿は見えないが、遠慮がちに少年が靴を脱ぐのがわかる。

 異性が、可愛いイケメンが、男子高校生が、一つ屋根の下に......。

 動悸がより一層激しくなり、はぁはぁと下品な音をあげそうになるのを、歯を食いしばって抑え込む。


「呼び出しといて遅くなっちゃってごめんね」


 居間につくと、そう言って椅子を進める仕草をするが、幸太君は腰掛けようとしない。


「それは良いんですけど、その、体調は大丈夫ですか?」

「? ......大丈夫だけど、どうして?」

「顔がいつもより赤いなって」

「ああ、実はさっきまで昼寝してたから、そのせいかも」


 そう言うが早いか、幸太君の手の平が私の額に伸びてくる。


「んっ......」


 幸太君の手の平から、おでこに伝わってくる温もりが心地良くて、つい艶っぽい声が漏れてしまう。

 ヤバい、今すぐ押し倒したい。私は相も変わらず歯を食いしばって耐えることしかできない。


「でも、熱いですよ......って失礼しました!」


 目が合うと、私の尋常じゃない雰囲気を察してか、急いで手を引っ込める。  

 私はどんな顔をしていたんだろう。アへ顔か、気張り顔か、睨み付けていたか、なんにせよロクな表情じゃないだろう。

 幸太君が心配そうに少し上を見上げている。

 私はデカい女だった。


 まあまあ大丈夫だから、そう言って今度こそ二人でテーブルを囲う。今日は帰った方が良いですか? と不安そうに尋ねる幸太君に努めて優しく、大丈夫だよ、と告げ10分程二人でぎこちない雑談を交わしながらお菓子を摘まむ。

 大丈夫、とは言ったものの、勿論全然大丈夫ではない。頭が回らない。エロいことしか考えられない。

 帰ってもらった方が良かったんだろうな、お互いにとって。

 幸太君は今、飢えた狼と対面しているようなものなのだ、この状況は本当に良くない。

 とはいえ、幸太君もそこまで押しが強い方ではなく、私からじゃあ帰ってとも言いづらく、今に至る。


 十分前は


「このお菓子、美味しいね」


 だったのが


「この......お菓子......美味しい、ね」 


 今ではこんな感じだ。

 はぁはぁ、喉が乾いていけない。身体が汗ばむ。落ち着かない、そんな私の不自然な態度のせいか、幸太君も落ち着かなそうだ。

 何度か妄想の中で犯してることも含めて本当に申し訳ない。

 そう反省している今でさえ、興奮でどうにかなりそうで、その度にジーンズ越しに太股をつねっている始末。

 とんだ気まずいお茶会になったものだ、もう来てはくれないかもしれない。

 はぁ、何度目かの麦茶のコップを空にする。

 身体が熱い、これは私が悪いのだが、熱さに耐えきれず、肌けさせた胸を幸太君がチラチラ見ているのが分かる。

 私は背だけでなく胸もデカイ女だった。

 異性として、意識されてる。そう思うと興奮に拍車が掛かる。

 友人の弟に興奮して誘うようなまねをしている私に、果たして明るい明日などくるのだろうか。


 二人無言でお菓子をついばみ、私は無言でお茶を飲み干す。

 気不味い、年上の私がしっかりしなくちゃいけないのに、頭が回らない。

 饅頭の成分は未だに健在で、良くなるどころか効果が高まっていくような感じさえする。


 いっそのこと、襲ってしまおうか? 

 今だってチラチラ見られてるし、多分、十中八九、幸太君は私に気がある。

 私は自分で言うのもなんだが面は良い方だ。身体も結構良いからだしてると思う。男好きされる身体という奴だ。何がそれを自覚させるのか、だって痴漢によくあうもの。

 私はケツもデカイ女だった。

 背も、胸も、お尻もデカイ女だが、越し回りは普通、中々のナイスバディ。

 ならなぜモテないのか。それは私の交遊関係の狭さと、面倒くさがりなな性格と、あと睨みがちなのと身体がデカイのとで怖いからだそうだ。

 まあなんにせよ、美人で巨乳なお姉ちゃんの友達は(言い過ぎだ)、初めての相手としては悪くないんじゃないだろうか。

 潔白なこの少年も、遅かれ早かれ汚れてしまうのなら、それは今でもいいんじゃないだろか。


 合意なら、別に......。

 

 落ち着けバカ。私はたしかにこの子に懐かれている......でもそれは恋愛感情とは少し違う。年上への憧れは、恋とは違う。

 本人が恋だと思っていてもそれは勘違いで、生物の習性みたいなものだ。

 異性だから勿論意識することはある、でもそれは劣情であって恋慕ではない。

 だから、大人がそれを利用しちゃダメなんだ。

 はぁ、そろそろ、潮時かな。


「今日は......ぁ、無理に誘っちゃて、ごめんね」


 息が上がりそうになる。もう何を喋っても雌の声だ、早く切り上げないと。


「その......やっぱりなんだか体調悪いみたいで、ごめん......今日はそろそろ」

「あ、いやそんな、一人にできないですよ。病院まで送りましょうか?」


 多分、オナニーすれば治るから大丈夫だよ。とは言うわけにもいかず、大丈夫、寝てれば治るよと、立ち上がってベッドへと向かう。


「はあ、はあ」


 息があがる、身体が熱い、もう限界だ。


「大丈夫ですか」


 そんな様子を見かねて、幸太君が横から私たちを支える。


「え、いや、あの......一人で大丈夫だから」


 突然の若い暖かみに、年甲斐もなくキョドってしまう。


「どう見ても大丈夫じゃないですよ。寝室どこでしたっけ」


 左手は肩にかけられて、幸太君の手が私の腰に回る。距離が近い、跳ね上がる鼓動が幸太君に届かないか、不安で、ますます顔に熱がこもる。青春かよ、もうそんな年じゃないのに。


「ええっと左の扉かな。でも大丈夫だから。オバサン、照れちゃうよ」


 荒ぶる息を隠す必要がなくなったので、会話は普通にできるようになった。

 が、なんだか恥ずかしいのと、おどけて見せたが顔は赤いだろうから顔が見えないように俯く。


「京子さんはオバサンじゃないです。それに......意識してくれるなら、僕は嬉しいです」


 ダメだ、それは、ダメだ。止まれなくなってしまう。幸太君、流されないで。オバサン、狼になっちゃうよ?


「はは......お世辞をどうも」


 年上は飄々といなすものだ。というかそれしか対抗する手段がない。


「お世辞じゃないです。京子さんはとっても魅力的な女の人です」


 押せ押せだな。でもオバサンはこの程度では折れないからオバサンなんだ。君が見る夢で君を傷つけるわけにはいかんのだよ。憧れは憧れの役目を果たすまで。

 犯したい、強引に迫られたい、滅茶苦茶にしたい、壊されたい、奪いたい、狂わされたい。

 目眩めくるめく欲求(全部ピンク)を最後の理性で霧散させる。八年の差を舐めるなよ。


「それさ、私の目を見て言える?」


 亀の甲より年の功、少しだけ重心をずらして顔を離すようにして、幸太君の瞳を見つめる。


「本当に......京子さんのことが......」


 幸太君が、何かをいいかけて詰まる。大人の真剣な眼差しとは、怖いものだ。子どもは戸惑ってしまうのも無理ない。


「好きなんです......僕じゃ、ダメですか?」


 自信なさげにそう続ける。この状況でそこまで言えれば大したものだ。でも、そんな貧弱な告白では私たちの、大人の必勝パターンからは抜けられない。


「これから先、私なんかより良い人はいっぱい見つかるよ。幸太君は若いんだから」


 幸太君は悲しそうに目を潤ませ、私がこれから綴る定型文をどうにか受け止めようと、目を瞑る。本当に可愛いな、もう。


「今日はありがとうね、今のは聞かなかったことに─────」


 そう、普通ならば私が勝っていたのだ。悪いのは、饅頭だ。あと一歩だったのに。

 目を閉じて宣告を待つ、幸太君の健気な姿に、理性が。

 というよりその姿は、キスを待つ王子様だった。女の子は、誰もがお姫様に憧れる。お姫様から、王子様を迎えに行くのも別段、悪い展開ではない。

 抗いがたい夢だった。何の言い訳にもなりはしかいが......。くそ饅頭。


 そう、もう言うまでもないが私は幸太君に唇を重ねていた。

 幸太君の目が驚きに見開かれる。でも、私は止まらない。焦らしに焦らされ、殺しに殺した欲望を解放する長い長いキスだった。


「はあ、はあ、ごめんね、聞かなかったことに、できなかった、みたい」


 私はどうしようもない罪に、はにかむように笑うことしか出来なかった。


「え、いや、その」

 

 呆然とする幸太君を、私はベットへと引き込む。ここで止まれば、まだ救いようはあるのに、私は......。


「大人の女と付き合うって、こういうことだよ。覚悟、出来てなかった?」


 そう言って、誘うように笑う。これで引いてくれることに僅かな望みを託しながら、滅茶苦茶してくれることに、数多あまたの終わりを託しながら。


 結論としては、幸太君は引かなかった。

 一つ屋根の下、男女が二人っきり。

 私が上で、幸太君が下、私の中を満たして、その辺から意識が朦朧として......。

 なんだかボーッとして、現実味がない。夢、か。そんな気がする。あり得ないくらい気持ち良くて、これ以上ないくらい胸が痛い。夢にありがちなこと。饅頭の辺りから、なんだかおかしい、あり得ない、これは、夢。でも、気持ちいい夢なんて、珍しいな。

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