形見

秋雨 空

第1話 形見

繁みのちょうど真裏に、通行人が休息を取るための木で造られたベンチが設けられている。


縁は黒ずみがかった銅だろうか、手軽くで触れたその部分を嗅ぐと、錆臭い金属独特の匂いがした。

木材はカシの木のように見えるが、あまり造詣が深くないので確証は持てない。


兎も角、木立の只中にポツンと置かれたうらぶれたベンチだ。


そこに、1人の青年が腰掛けている。

浅く座って大胆に背中を預け、両腕をゆったりと広げて背もたれの縁に乗せている。

下はストレッチ素材のジーンズだが、上はランニング用のスポーツウェアだ。

黒地に、蛍光色の太いラインが両肩から臍の部分にかけて斜めに伸びている。


若者が好みそうないかにもなデザインだった。


足元は、軽いポリウレタン底で通気性の良いメッシュ加工が施さたグレーのランニングシューズ。


頭の中で音楽でも奏でているのだろうか、右脚全体で歪んだリズムを刻んでいた。


私は、そんな彼の前に回り込んで声をかけた。


「やあ、素晴らしい陽気だね。そうは思わないかい?」


彼は金髪の短い髪を、手櫛でサッと梳いて、乱暴な口振りで答えた。


「あんたは、真っ黒い空模様が好きなのかい?」


適度に日焼けした、感じの良い肌合いをしていて、頭の形は細長く、鋭過ぎず、程よく膨らみがあった。

鼻はやや高過ぎる心地がしたが、唇が薄いので妙に釣り合って見えた。


鉈で抉ったような尖い瞳が、威圧的な色合いを帯び、額はくっきりと皺が寄っていた。


どうやら邪魔された事を怒っているようだが、もしかしたら単に恥ずかしがっているのかもしれなかった。


「そうか、随分と奇妙な事を言うもんだね、君は。どっからどう見ても極彩色の虹色の空なのに、太陽のように真っ黒く見えているだなんて。」


「ちょっと待てよ、アンタイカれてんのかい?」


そう言って彼は、肩を揺らして笑った。


私は、少し気分が悪くなった。


彼の、犬歯の隅にホウレンソウのカスが潜んでいるのを見つけてしまったからだ。


「君がまともだというのなら、私はイカれているのだろうね。」


肩を竦めて溜息をつき、態とらしい侮辱を私が表すと、彼は気分が乗ってきたようで、そのまま私との会話を続けてくれる気になったようだ。


「まあ実際のところ、この世界にまともな人間なんていやしないもんな。」


彼のその言葉は、悲しい響きのこもった音色だった。

きっと彼の心は、世界に裏切られてくすんでしまっているんだろうなと私は思った。


「私の飼っている、九官鳥のイーグルちゃんは────」


私は、手の震えを抑えようと上着の裾を掴んで言った。


「随分とまともだけれどもね。朝日が昇ったら『オハヨー』と喋るし、月が昇ったら『オヤスミー』と喋る。朝と夜が、ちゃんと区別出来るなんて、随分とまともだとは思わないかい?」


彼は、私の問いかけに興味深げに頷いた。


「ウチのオフクロよりシャンとしてるよ。まったく…」


それから彼は、底の浅い舌打ちをひとつして、上着の右ポケットへ豪快に手を突っ込むと、銀色のオイルライターとラッキーストライクの煙草を取り出した。

縁を叩いて1本取り出し口へ咥えると、大事な物をそっと守るように左手を添えて、右手で火を付け深々と煙草を吹かし、「1本どうだい?」と私に向けて煙草とライターを重ねて差し出してきた。


私は、彼からそれらを受け取った。


オイルライターの表面には、インディアンが罠にかけられて処刑されている場面が、点描で精確に描かれていた。

私は、そのインディアンの事を想うと心が苦しくなった。

もしかしたら、彼こそが最後のまともな人間だったのだろうかと────


私は煙草を2本口に咥え、大切な何かからそこだけを守るように手を添えて、右手で火を付けた。

石を擦ると、明るい炎が私の顔を照らし、ほんの僅かな温もりを感じさせた。


長い時間をかけて、両端からタバコを吸い込むと、体内に入り込んでくる煙と入れ替わりに、体内から体外へと、私の何かが吹き抜けて行くように感じた。


それを何度も何度も繰り返し続けたら、私もこの街と同様に、黒く汚れていくのかもしれないなと思った。

煤のようにこびりついて、やがては影のような姿へと変貌していくのだ────


「これは────」


私が彼に煙草とライターを手渡すと、彼がそれを受け取りながら言った。


「死んだオヤジの────形見なんだ。」


彼は穏やかにそう言って、掌でインディアンのオイルライターを弄んでいた。


私は、彼に向け何か伝えてあげなくてはならない事にふと気がついて、思い付いた最初の言葉を投げかけた。


「どうして亡くなった人の愛用の物を、形見って言うか知っているかい?」


私の問いに、彼は首を振った。


「それは、その物が大切な人の『姿形』をいつでも『見れる』ようにしてくれるからだよ。その人の肉体は消えても、その人は『形』として残り続けているよっていう意味なんだ。」


私の言葉にを受けて彼は、きつくインディアンのライターを握りしめた。


「なんだよ、案外あのオフクロも、まともじゃねえかよ…」


彼はそう呟いて、ただじっと俯いていた。


ひたむきな瞳でインディアンを見つめながら。


彼もまた、私と同じ事を考えていたのかもしれない。


私はそっと手を伸ばして、彼の肩を優しく揺さぶった。



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形見 秋雨 空 @soraakisame

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