第85話:捕虜
アリサの私邸を出て、スラム街の根城へと足を運んだ。シンやオボロがここに居る確証はないが、ほかに彼らが行きそうな心当たりはなかった。
ちなみに聖霊様はと言えば、俺の調子が戻るとスタスタとアリサの部屋へと戻って行かれた。まったく、可愛げのない小動物だ。
スラムの細い路地を抜けた辺りの風景とは不釣り合いな一軒家。その入り口には数人のガラの悪い連中がたむろしていた。だが、その男たちはこちらを確認するとすごい勢いで直立すると、腰を真っ直ぐ倒して見事なお辞儀をしてきた。
「あ、兄さん! お疲れ様です!」
「……そんな呼ばれ方してましたっけ?」
「なに言ってんです。オボロの叔父貴が認めてる方なんスから!」
「はぁ……」
そういえば、このガラの悪い人たちには見覚えがあった。確か東門に同行してもらった人たちだ。それにしても、睨まれただけでもたじろぎそうな人たちから敬われると、こちらが逆に萎縮してしまう。いつも平気そうに姐さん呼ばわりされているセナがいかに大物なのかが身に染みて分かる。
「あの、オボロさんはいらっしゃいますか?」
「叔父貴なら新入りとどこかに出掛けられましたが」
「新入り?」
「ええ。兄さんと一緒にいたガキですよ」
二人が一緒に行動しているということはこれで分かったが、本当に裏世界の重鎮のところに身を寄せているとは。あの純粋だったシンに悪影響が無ければ良いが。きっかけを作ってしまった自分が言えたことではないが。
「それで、どこに行くかは聞いてませんか?」
「すみません。詳しくは聞いていやしませんが、なんでも珍しい客人に会いに行くとかで」
「珍しい客?」
あのオボロが珍しいと言うからにはかなりの人物なのだろうと思っていると、家の扉が開かれて獣人の男が姿を現した。どうやらこちらを確認して、わざわざ出てきてくれたようだ。
「なにか主に用か? 青年」
「ガウムさん。オボロさんがどこに行ったかご存じですか?」
獣人の男ガウムは他の男たちとは違い、これまで通りに対応してくれるので自分としてもありがたい。それにしても、東門での一件があっても彼らがいつも通りに接してくれるということは、オボロが彼らに何かを吹き込んでいるということはなさそうだ。
「主なら捕虜の面会に行っている」
「捕虜?」
「ん? 王女殿下から聞いておらんのか? 帝国の先兵が捕らえられたのだ」
そんな話は初めて聞いた。驚きのあまり思考が追い付かずに反応が遅れてしまったほどだ。まぁ、ほんの少し前まで腐っていた自分が知る由もないことだ。
「その様子では初耳のようだな」
「ええ。帝国兵を捕虜にって、大戦果じゃないですか。そんな人のところに何でオボロさんが?」
「ああ、少々理由があってな。行かれるなら、我が案内するが?」
オボロと一緒にいるというシンのことも気がかりであったが、帝国兵の捕虜の方が気になった。帝国が攻めてこようとしている中で、敵国の捕虜がいかに重要人物なのかは聞かなくてもわかる。そんな国家機密になぜオボロが会うことが出来るのか。
それ以上に、このタイミングで現れた帝国兵の存在が自分の中でどうにも引っ掛かって仕方がなかった。
「お願いできますか?」
「承知した」
こうしてガウムと共に帝国兵の捕虜がいるとされる場所へと向かうこととなった。
※※※※※※※※※※
「やぁ、すっかり元気そうじゃないか。少年」
王都の外れにある監獄を訪れると、オボロが冗談なのか皮肉なのか分からない挨拶をしてきた。彼の傍らにはこちらの顔を見ずにただ俯いているシンの姿もある。
「ええ。おかげさまで」
あっさりと挨拶を返すと、一瞬、真顔を見せたようなオボロであったが、次の瞬間には作り物のような笑顔が張り付いたいつもの彼の表情に戻っていた。
会話の芯をずらして雲をつかませるようなオボロの会話の調子に飲まれては、彼の思うようにことが進められてしまう。味方である時も油断するのは非常に危険だと本能が言っている。
「君も例の捕虜に興味がおありかね?」
「ええ。まぁ」
「帝国兵について聞いていることは?」
ここに来る道すがらガウムから大体の話は聞いている。
「帝国軍の先兵で、ほとんど抵抗らしい抵抗なく捕まったと聞いているが」
「概ねその通りだが、少々ニュアンスが弱いな」
「それがあんたが呼ばれた理由か?」
帝国軍の捕虜なんて、とっくの昔に王国の正規軍が尋問あるいは拷問を行っていて然るべきだ。それに、いくら裏の世界で名が通っているからと言って、わざわざオボロが呼ばれる理由が無い。
「そうだ。帝国兵は抵抗しなかったのではない。出来なかったのだ」
「抵抗できないほど弱っていたって?」
「ああ。それに、精神が壊れるほどの恐怖を味わったようでね。まともに会話できる状態ではないようだ」
「それで、あんたに白羽の矢が立ったと」
おそらくはアリサの指示だ。彼女もオボロと一緒に過ごして彼の凄さを知っている。毒を以て毒を制すといったところだろうか。
「勿体ぶっていても仕方ない。行こうか。少年」
オボロが皆を先導し、自分たちは捕虜が投獄されている建物の奥へと進んだ。
※※※※※※※※※※
流石に国家機密レベルの重要人物であるだけに、警備や建物の規模が尋常ではない。いくつもの扉を通され、扉ごとに門番が配置されている。暗い室内は侵入者防止のためか迷路のように入り組んで上下階を移動させられる。その監獄をしばらく歩いた最奥に目的の人物は幽閉されていた。
「さぁ、お待ちかねのご対面だ」
「……あれが、そうなのか?」
「ああ、どうかしたのか?」
捕虜になった帝国兵。いや、檻の中には、ただうわごとを呟く少女がいたのだ。両手をがっちりと体に布で巻き付けられたような拘束衣を着させられた姿は、少しやりすぎとも思えた。
「誤解がないように言っておけば、彼女は拷問などは受けていないそうだ。捕らえられた時からあんな状態らしい」
確かに、まともに会話が出来るようには見えない。こんな状態の人物から本当に情報を聞き出すことが出来るのだろうか。
「こんにちは。お嬢さん」
音もなく檻の近くへと近づいたオボロは、ゆっくりした口調で少女に話しかける。だが、彼女の反応は期待したようにはならず叫び声をあげながら牢の奥へと逃げてしまった。
「全然ダメじゃん」
「相性が悪かったかな。君がやってみたらどうかね。少年」
「……変わらないと思うけど」
そう言いながら、オボロと交代して檻へと近づき、少女に対して話しかけた。
「やぁ、別に君を取って食いやしない。ただ、話を聞かせてほしいんだ」
「……喰われる」
「え?」
捕虜の少女は自分の会話からあるワードに敏感に反応したようだった。そして、何に反応したのかはすぐに知ることになった。
「喰われる、喰われる、喰われるぅぅぅう! みんな、みんな、みんな喰われる! アレに! アイツらにぃぃいい!!」
錯乱した少女が牢の中を暴れまわる。その様子を見て、両手を拘束されていた意味がようやく理解できた。彼女を自傷行為から守るためのものだ。だが、なおも暴れ狂う少女に対して、門番の衛兵たちが数人がかりで彼女を押さえつけて猿ぐつわをさせていた。そうでもしないと、今にも自分の舌を嚙み切ってしまいそうだった。
少女の様子を見るに、これ以上話をすることも出来なさそうだったので、我々はこの牢獄を後にすることにした。
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