第86話:先兵の真相

「いやいや、じつに有意義な時間だったな。少年」


 オボロが満足そうに声を上げているのを背に、監獄を後にする。傍から聞いていれば皮肉とも自虐とも受け取れる台詞だが、今回の場合は本当に収穫があるのだから憎たらしいことこの上ない。


「ええ。王都に何が迫っているのかはハッキリしました。早くアリサに伝えないと」

「どういうことだ? 我には、あの少女とのやり取りで何かが得られたようには見えなかったのだが」


 オボロとは異なり、ガルムは消化不良の様子で説明を求めるような顔をこちらに向けてくる。一方でシンはと言えば、無表情のまま後ろを付いてくるだけだ。


「一先ず、アリサの宮殿に戻りましょう。あまり公にするのはマズい」

「うむ。承知した」


 そうして俺たちはアリサの宮殿へと向かった。


※※※※※※※※※※


「……何をしてきたの?」


 アリサの宮殿に戻ってみれば、王宮から帰ってくるなり物凄い剣幕のアリサとご対面する羽目になった。はじめはオボロの方に向けられているように見えた怒りが、なぜか時を追うごとにこちらに向いている気がしてならない。


「王女殿下からのご依頼を果たすために」

「看守から報告は受けています。例の捕虜、興奮が収まらずに危険な状態が続いているって苦情付きで」

「おやおや、ヒサヤ殿の囁きが少々刺激的過ぎましたかな」


 オボロが余計な油を注ぐせいで、アリサからの視線がより一層鋭くなる。あの捕虜の少女に掛けた言葉のどこにそんな魅惑的なものがあったというのか。


「……それで、何か成果はありましたか?」


 これまでの冗談はさておき、アリサは本題へと話を進める気になったようだ。相変わらずこちらを見る目が厳しいように見えるのは気のせいだと信じたい。


「ええ、分かりました。帝国兵が現れた理由も、そして、これから王都に何が起きようとしているのかもすべて」

「詳しく聞かせて」


 アリサとオボロの間の空気が変わる。


「すべてはあの捕虜が何を恐れているのかが鍵になります。それは、ヒサヤ殿のお力添えによっておおよそ見当が付きました」

「彼女、何かに対して相当怯えていると聞いているけど?」

「彼女は『喰う』という言葉に異常なまでに反応しています。今の王国西部に一国の軍隊が恐れるような魔物などは存在していません。であれば、王国よりもっと西から現れた脅威と考えるのが自然」


 王国西部はゴンド遠征への進軍路を確保するために大規模な魔物狩りが実施されており、また、ノルドによって焦土作戦が行わたため、人間はおろか魔物すら姿を消してしまっていた。無論、行き倒れの死肉を貪る魔物などは発生しているようだが、訓練を受けた兵士が恐れるほどの脅威にはならない。


「……魔人族」


 アリサの顔つきが曇る。食人種であり、軍事大国であった隣国を攻め滅ぼした蛮族。奴らが王国内に入り込んできた可能性が極めて高いと言うのがオボロと自分の出した結論だった。


「でも、帝国は魔人族と共闘関係にあるはずでしょ? なぜ、帝国兵である彼女が奴らを恐れるの?」

「魔人族との共闘など、王女殿下は本当に出来るとお思いですか?」

「どういうこと?」

「奴らは本能のままに襲い奪う略奪者です。奴らと帝国の間には信頼関係などありません。あるのは互いの利益のための協力関係のみ」

「だとしても、あの捕虜の状態とどう結びつくの?」


 ゴンドからエルドに入って来たと思われる魔人族。しかし、彼らの入って来た王国西部は文字通りの焦土と化している。食糧の確保もままならない彼らにとって、一番確保しやすい食糧とは何か。


「まさか、帝国兵を餌にして魔人族をこの王都に誘導しているっていうの!?」

「正しく」


 その結論にアリサは絶句する。捨て駒として扱われるにしてもあまりに残酷。自らも軍を率いる立場にある彼女だからこそ、信じられないのだろう。


「なぜ、そんなことを……。同じ帝国兵じゃない……」

「そうとも限りません。王女殿下にはお心当たりがあるはずです」

「私に?」


 しばしの沈黙の後、アリサは何かに思い至ったのかオボロではなく、自分の方を見ながら問うように答えを出した。


「まさか、兄、ですか?」

「……おそらく」


 王子の身でありながら、自らの父である王に手を掛けて帝国の手先に成り下がったテミッド。アリサのもう一人の兄。


 国境を真っ先に越えた彼らは、こちらの思惑通りに西方都市オエスに入ったようだ。王国西方の帝国軍補給線を支えるためには、あの都市を荒らすわけにはいかない。だから、帝国軍としてもテミッドとしても、魔人族の軍勢がオエスに向かってくることは避けたい。その結果があの帝国兵たち。


「だからって……」

「侵略国家の帝国には、捨て駒にしても痛くもない属国の兵とかもいるんだろ。だけど、今は彼らのことを心配している場合じゃない」

「少年の言う通り。撒き餌にされた彼らが、既に王都付近にまで姿を見せているということは……」


 畳み掛けるように説明を続けるオボロをアリサは片手で遮る。皆まで言うなと、先度までとは別種の怒りを含んで。


「……王宮に戻ります」


 何者も寄せ付けないような空気を纏い、アリサは席を立つ。本来の居場所に戻るように駆け寄った聖霊を伴って。


「さて、王女殿下はあのご様子だが、君はどうするかね? 正直、逃げ出すなら今のうちだぞ、少年」

「逃げませんよ。この戦い、アリサは絶対に逃げないでしょうから」


 それを聞いて、オボロはやれやれといったように踵を返して部屋の扉へと向かう。


「では、我々はこの辺りでお先に失礼させて頂くよ」

「王都を離れるんですか?」

「ああ。正面からのぶつかり合いとなれば、私たちの出る幕はあるまい」


 国家間の争いや駆け引きであれば動きようもあるが、向かってくるのは知性や理性を持ち合わせているのかも怪しい軍勢。ゆえに戦い方はシンプル。力と力のぶつかり合いになる。


「オボロさん」

「まだ何か?」

「また、お会いしましょう。生きていれば」


 これから始まる戦いは、どちらかが降伏して終わるような生易しいものではない。ここまで満足に補給も出来ない土地を踏破してくる魔人族が、そんなもので止まるはずがない。


 それが分かっているからオボロは今生の別れのつもりでいたのだろうが、彼の呆気にとられたような表情は新鮮だった。


「君が言うと冗談に聞こえんな。また会える時を楽しみにしているよ。少年」


 オボロは背を向けながら片手で軽く挨拶すると、ガウムを伴って部屋を去っていった。


「……やっと、まともに会話できるかな? お前はオボロさんに付いて行ってもいいんだぞ、シン」

「……」


 皆が去った部屋には、シンと自分だけが残されていた。

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