第73話:けじめ
今、スラムの拠点は重い空気に包まれている。その原因となっているのは目の前の二人。
「あ、あの、私どうしたら……」
「……そっとしておけ」
この場の空気に呑まれて背中に隠れているミアに言葉を掛けると、渦中の二人から視線が突き刺さり思わず背筋が伸びてしまう。
対峙するアリサとエマ。
久々の再会だが、お互い無言のままの時間が続いている。部屋の中にはデルトとシャルもいるのだが、エマの後ろに無言で立って動こうとしない。
そんな沈黙の時間は突然破られた。
「君、ちょっとお願いがあるんだけど」
「……何?」
唐突に話しかけてきたアリサに驚きながらも、なんとか返事を絞り出すことに成功する。
「少し、預かってて欲しいのだけど」
「え? あ、あぁ、コイツか」
そう言ってアリサは、こちらに緑の小動物を差し出して来た。大人しく抱きかかえられる姿は、とても聖霊と崇められる存在には見えない。
両手で聖霊を受け取ると、アリサは小さく息をついてエマの前に立った。
「……お待たせ」
「良いですね」
「えぇ」
アリサの返事が聞こえた刹那、部屋の中に乾いた大きな音が鳴り響いた。
打たれて赤くなった頬を押えながら俯くアリサと、打った手を握って俯くエマ。これは、お互いにけじめをつける為に必要なことなんだろう。
そして、エマはアリサに向かって口を開く。
「貴女は勝手過ぎます。一人で抱え込んで、一人で飛び出して」
「……」
「私たちを裏切ったのと一緒です。皆が、どんな思いをしていたか、貴女に分かりますか?」
「……」
エマの言葉をアリサは黙って受け入れる。エマもアリサに答えを求めている訳ではないのだろう。
「私は、私たちは、そんなに信用出来ませんでしたか?」
「いいえ。決してそんなことない」
「では、何か言う事はありますか?」
「……ごめん、なさい」
アリサが謝った瞬間、彼女の姿が一瞬で視界から消えた。エマがアリサを抱きしめて、こちらの視界を遮ったからだ。エマは、まるで現実であることを確かめるように、力強くアリサを抱きしめていた。
「良かった……。貴女が無事で、本当に……」
「ごめんなさい……」
言葉を詰まらせるエマにアリサは再び謝罪を口にしたが、エマと抱き合ったその体は小さく震えていた。
そこにずっと背中に隠れていたミアが、堪らずアリサの方へと駆け寄って、一緒になって泣いている。
「やれやれ、やっと素直になったか」
そんなアリサたちを見守りながら、デルトがこちらへと歩み寄って来た。
「ちっと離れてたくらいで、大袈裟だろ」
「心配してなかったんですか?」
「してたさ。けど、お前さんを信じてたからな」
デルトは、アリサではなく自分の方に向けてそんなことを言ってくる。
「俺を?」
「あぁ。お前、ウチのお嬢の為に真っ先に動いてくれてたんだろ?」
確かに、アリサが王都を離れるかもしれないと思った時から、自然と彼女を中心に行動を考えていたような気がする。
「危なっかしいだろう? ウチのお嬢」
「それは間違いなく」
そこは否定のしようもない。とんでもなく真っ直ぐで、自分のことより他人が大事な頑固者だ。彼女を見ていると、何か傾いたまま全力疾走しているような危うさを感じる時がある。
「お嬢一人で行かせちまってたら、今頃きっと……」
その先を、デルトは口にしようとしなかった。恐らく薄々覚悟していたのだろう。アリサが帰って来ないことを。
「だから、礼を言わしてくれ。ウチのお姫様を連れ帰ってくれて、ありがとよ!」
そうニカッと笑いながらデルトは肩口を叩いてきた。やや強めに叩かれてよろめきながらも、満更でもない高揚感が心を満たしている。
「ミアまで
「た、誑し込んだって……、人聞きの悪いこと言わないでくれよ、シャル」
いつの間にか近づいてきたシャルが、開口一番に心外なことを言ってくる。
確かに宮殿での件以来、何かとミアは自分のそばに居ることが多いが、怖い目に合ってきっと不安なんだろうと思っている。
「アリサも苦労する」
「何で、そこにアリサが出てくるんだ?」
呆れたようなため息をつくシャル。彼女だけは他とは違ってあまり変わった様子はない。
「シャルもアリサが心配だったんじゃないか?」
「エルフは長命。私達にとって、人種との出会いや別れはそう珍しいことじゃない」
ドライな反応を見せるシャルに、そんなものかと少しだけヘコんでしまった自分が意外だった。そんな小さな心の動きが顔に出ていたわけではないだろが、シャルはまた小さくため息をついて振り向いた。
「けど、アリサは特別。感謝している。だから、貴方が困ったときは私が助けてあげる」
「い、いいよ、別に。そんなこと」
「いいえ。これは私のけじめ」
そんな一連のやり取りを、一頻り泣き終わった少女が遠目で見ていたのだった。
※※※※※※※※※※
憲兵の男は背中に冷たい汗をかきながら、主の反応を待っていた。
「南で襲撃を受けて隊が全滅したと?」
「は、はい!!」
「まぁ、所詮はゴミ処理の連中だ。大した損失じゃない」
「え?! ええ!! そうですとも! 所詮は下級の……」
「だが、バラクの客人に被害を出すとはな。おかげで僕のメンツは丸潰れだ。どうしてくれるんだぁ? あぁ⁉」
ノルドは、まるで幼児が駄々をこねるように頭を掻きむしりながら地団駄を踏む。
「僕を、この僕のことを!! 能無しと嘲笑っている下賎な輩の顔を思い浮かべただけで我慢ならん!!」
そして、ノルドの目が標的の憲兵を捉える。
「貴様ぁぁ!! この、無能の馬鹿がぁぁ!! 楽に死ねると思うなよ?」
「お、王よ!! ど、ど、どうか、どうかお許し下さい!!」
大声で怒鳴り散らすノルドと、必死に命乞いをする憲兵。
そんな中、部屋の扉が開かれて一際豪華な衣装に身を包んだ女性がゆっくりと二人の方へと近づいて来る。
「何ですか? 騒々しい」
「あ、ママ!! 聞いてよ! この馬鹿が失敗してさぁ」
ノルドにママと呼ばれている人物。綺羅びやかなドレスにいくつもの宝石を付けた女性こそ、前国王の正妃ノエラだった。
「ノ、ノエラ様! 何とぞ、何とぞご慈悲を」
「ノルド、あまり虐めないであげなさい」
ノエラの言葉に、憲兵はホッと胸をなでおろす。しかし、彼女の次の言葉は憲兵の予想とは違っていた。
「なんて五月蠅くて目障りなんでしょう。汚らわしい、早く片付けて頂戴」
その言葉を聞いて、憲兵は言葉を失った。
「ご、ごめん、ママ! おい!! そいつは魔物の餌だ! さっさと連れて行け!!」
「そうよ、ノルド。勇ましくて素敵ね」
そんな目の前の親子の姿を見て、憲兵は悟った。
これは仕える者を誤り、おおよそ人間の行為と思えないことをしてきた、自分のけじめなのだと。
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