第65話:交渉

「魔人族か」


 オボロは訝しげにそう口にした。


「帝国との決戦を準備していたゴンド王国の側面を突いた、オークとトロールの混成軍」

「なぜ君が、そんな事を?」

「俺は国境にいた。避難民からそれなりに情報も得られたさ」


 魔人族と聞いて、表情には出さなかったものの、オボロには明らかに動揺が生まれたように見えた。


「君は知っているのかね? 魔人族を」

「聞いただけだ。実際に見たことはない」

「魔人族、特にオークとオーガは二足で立って人語を解すると言う以外、魔物と然程変わらん連中だ。いや、多少知恵が回る分、余程たちが悪いと言える」


 そう言って、オボロは自分の後ろに立った獣人の男を指さした。


「亜人種、人間と似て非なる種族。そこにいる獣人族もそう言った種族の一つだが、魔人族の凶暴さと残忍さは突出している」


 以前、エマがゴンド王国が最強なのは、オークとトロールがいるからだと言っていた。凶暴な種族に日々脅かされていたからこそ、軍事に特化していったのだろう。


「奴らが襲った場所がどうなるのか、聞いたかね? 少年」

「男たちは殺され、女たちは犯されて奴隷に、子供たちは奴隷、もしくは喰われる。と、この話はみんな口が重かったが話してくれたよ」

「そう。正にこの世の地獄が体現される」

「そんな連中、今のこの国に相手が出来るかなんて、誰の目から見ても明らかだ」

「……それが、王女殿下になら出来ると?」


 こちらが頷いたのを確認して、オボロは考えこんで黙ってしまった。


「あんたや俺たちが生き残るには、この手札に賭けるしかない。さぁ、どうする?」


 ダメ押しとばかりに言った一言に、意外な場所から反応が返ってきた。


「……気に入らない」

「へぇ?」


 声のした方を見れば、これまでソファに大人しく座らされていたアリサが、怒髪天を突く様子でこちらを睨んでいた。


「その話、私に一言の相談も無かったじゃない」

「こ、これは、あくまで想定の話……」

「でも、来るんでしょう? 魔人族。少なくとも、君はそう思ってるのよね?」

「え? あ、あぁ。はぃ……」


 その答えに、アリサの手が剣へと動いた。それを見たオボロの手下が、アリサを止めようと前に出る。


「おい!! 勝手に動くんじゃ……」

「少し黙ってて」


 アリサは、鞘に収まった状態の剣であっという間に手下を制圧してしまった。彼女から発せられる声のトーンは、やけに平坦で冷たい。本気で怒ると逆に冷静になるタイプのようだ。


 手下がやられる様子を見た獣人が、自分の首筋に剣を近づけて目で彼女を制止するが、アリサは脇目も振らずに剣を抜くと、あろうことか獣人の突きつける剣と反対側の首筋ギリギリに剣を突き立ててきた。


 剣で首を挟まれた状況に、流石に冷や汗をかきながら両手を小さく上げて、思わずホールドアップのジェスチャーをしてしまった。


「……いい? もし、君がろくでもない事を考えている様なら、ただじゃ置かないから」


 そう言ってこちらが頷くのを確認すると、アリサはゆっくりと剣を引いて鞘へと戻し、再びソファへと腰を下ろした。

 普段は忘れそうになってしまうが、彼女も軍役につく身。普段から軍の者達と駆け回っているじゃじゃ馬が弱いはずがない。


 だが、これまでの様子が視界に入っていないように、オボロはずっと黙り続けていた。


「で、どうするんだ? 俺たちは、とりあえず身を隠すことが出来る拠点が確保出来ればいい。別に、あんたにとって悪い話じゃ……」

「……賭け金追加だ。少年」

「なに?」


 これまで黙っていたオボロが急に返してきた答えに思考が追いつかず、思わず聞き返してしまう。


「賭けに乗ってやると言っているのだ。少年」


 オボロは笑みを浮かべながらそう答えたが、彼の笑みには何だかこちらを不安にさせる不気味さがある。


「賭け金って、何をしてくれるんだ?」

「そうだな。では、王都ここでの面倒事の片付けを手伝ってやろうか」

「面倒事、か……」


 まるで、こちらの事情を見透かしているようにオボロは話を続ける。


「人質、脅迫、暴力。全て我々の領分だ」

「……蛇の道は蛇、か」

「面白い例えをするな。少年」


 オボロはそううそぶくが、彼の提案をただ喜んで受け入れられるような、素直な性格はしていない。ここは、交渉の駆け引きの場だ。その働きに見合う対価を要求されるのは目に見えている。


「それで、その見返りは? あんたの望むものは何だ?」

「うむ。確か王女殿下は、バラク王国との関係が深いと聞き及んでおりますが、いかがですか?」


 話を振られたアリサの方を見ると、黙ってオボロを見据えていた。その沈黙が肯定を意味しているのは誰の目に見ても明らかだった。


「バラクとの交易を取り仕切る東の都の中でも、なかなかにやり手のご様子ですな」

「……任せている者が優秀ですので」

「流石、王都での寄付も相当なもののようですからね」


 東の王国バラクは貿易で富を築く海洋国家と言う。政権に遠巻きにされている王女のどこに寄付を行う資金力があるのか不思議には思っていた。


「目的はお金……、ですか?」

「いいえ。お陰様で金銭については、それ程困ってはおりません」

「では、私にどうしろと?」

「そうですね。この国を奪うついでに、あのバラクも潰して頂きたいのです」


 予想もしていなかった願いに、アリサも流石に眉を顰めた。

 それはそうだ。力を貸す対価に隣国を潰して欲しいなどと突拍子も無いことを言われれば、蚊帳の外に置かれている自分でも困惑してしまう。


「なぜ? あの国とあなた、何か関係があるの?」

「なに、悪党にも悪党なりの矜持があるということですよ。貴女もご存知でしょう? あの国の醜悪さを」


 その言葉にアリサの表情が曇る。予てから信用出来ない国だと彼女は言っていた。オボロもまた、醜悪で我慢ならない国だと言う。

 一体、バラク王国に何があるというのか気になったが、我々には先にやらなけばならないことが山程ある。


「……お約束は出来ません。まずは、この国のことを考えねばなりませんので」

「ごもっとも。では、どうでしょう? 先ずは我々を東の都システィルに移らせて頂けますかな? 何分、慎ましく暮らす我々も、表舞台に立てば人目を引きますので」


 これが恐らく本命の要求だ。最初に大きな要求を突きつけて、次に譲歩しうる小さい要求を提示する。大きな要求を断ってしまった手前、人には罪悪感が出来てしまう。叶え得る要求が来れば了承させやすい。人の心理を利用した戦術だ。

 そんな交渉に場慣れした相手に対して、今度はアリサの方が意外な答えを口にした。


「え? えぇ、それは別に構いません。お好きになさって下さい」


 オボロの要求がなんでもない事の様に、アリサは実にあっけらかんとした様子で答えた。 


「ほう。我々のような、はみ出し者の集団を受け入れてくださると?」

「元々、あの街は開かれた場所です。なにせ、王都の様な城壁すらありませんから。何人たりとも来る者を拒むことはありません」


 そう言った直後に、アリサはオボロの目をしっかりと見据えた。


「ただし、あの街に危害を加えるというのなら、ただでは済ませませんが」


 その言葉を聞いたオボロは、ソファの背もたれにドカッと倒れ込むと片手で目頭を押さえ、次の瞬間には大声で笑っていた。


「セナ嬢といい、貴女といい、全くもって面白い御人だ」


 そして、一頻り笑い終えて落ち着くと、オボロは不意に片手を上げて合図を送った。すると、これまで剣を突きつけていた獣人が剣を収め、手下たちは壁際へと移動して直立不動となった。


「交渉は成立だ。我々は貴女に賭けることにする。では、これは手土産です」


 そう言って、もう一度手で合図を送ると客間の扉が強引に開かれ、縛られてジタバタと暴れる一人の男が室内へと放り込まれてきた。


「武装神官?!」

「スラムに入って気付かれないとでも思っていたのか。舐められたものです」


 白い礼装にゴテゴテの防具を身に纏った男は必死に藻掻いていたが、何重にも巻かれた縄は外れる気配がなかった。


「……監視ですかな。悪い虫に付かれた様ですね」


 十中八九、あの神官長の手駒であろう男は教会からずっと尾行していたのだろう。だが、それにしても目立つ格好だ。隠密性の欠片もない。むしろ、彼の所属があからさま過ぎて罠を疑ってしまうレベルだ。


 そんな男のことは放っておいて構わないといった様に、オボロは今度はこちらの方へと視線を向けてきた。


「では、先ずは何から始めるかね? 少年」


 なぜ自分に聞くのかと不思議ではあったが、元々考えていたプランを進めるだけだ。


「捕らわれている仲間の救出と、味方になる勢力の拡大」


 それを聞いたオボロは立ち上がると、両手で手を叩き手下たちに号令する。


「さぁ、パーティーの準備を始めよう」

 

 それを聞いた手下たちが、一斉に動きだしたのに合わせて、すっと、こちらへと近づいてきたオボロは、おもむろに自分の肩へと手を乗せて顔を寄せてきた。


「楽しませてくれよ。少年」


 耳元で囁かれた言葉に背筋が伸びる。


 オボロは再び不気味な笑顔を作ると、手下を伴って退室して行ったのだった。

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