第59話:悪知恵

―― ヒサヤ達が砦を後にした頃


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 これまで睨み合いを続けていたテミッド王子の軍勢と国境守備隊だったが、幾度目かの太鼓の合図と同時に守備隊の騎兵は一斉に敵陣へと駆け出した。


 城外へと飛び出した騎兵は大した反撃を受けることも無く悠々と敵陣を駆け回った。そう、攻撃などしていない。只々、駆け回ったのだった。


 しかし、全く予想していなかった奇襲に包囲軍の兵士たちは大混乱に陥った。剣はおろか鎧すら付けずに逃げ回る兵士たち。


 その一部始終を城壁から見下ろしていた隊長は、目の前の光景が信じられないといった様に見つめていた。


「まさか、これほどに」


 王女と青年将校に作戦を聞いた時は、ついに気が狂ってしまったのかと思った。大切な部下の命をこんな下らない作戦に掛けさせるのかと怒りすら覚えていた。しかし、蓋を開けてみれば大戦果と言っても良い。


 だが、そんな乱れた包囲軍の後方で、態勢を整えつつある一団が隊長の目に入った。


「角笛を鳴らせ!!」

「ハッ」


 隣にいた兵に指示を出すと、低い地鳴りのような音が響き渡る。その音を聴いた騎兵達は、躊躇うこと無く一目散に城壁へと駆け出した。


「潮時だ! 引け! 引け!」


 乱れた包囲軍が追撃を試みようとするが、ろくな準備もない彼らとは脚力が違い過ぎる。結局、一人の犠牲も出さずに奇襲は成功したのだった。


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 敵の退却の知らせに、ジバは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「見事な引き際ですね」


 こちらの態勢が整う前に、彼らは手中からすり抜けて行った。城門の確保はおろか、敵兵の一人も討ち取ることが出来ず、ジバにとっては完敗と言っていい状況だ。


「こちらの損害はどうか?」


 ジバの後ろでは、テミッドが自軍の状態を兵に尋ねる。


「ハ、ハッ! そ、それが……」


 尋ねられた兵士は、戸惑っているのか歯切れの悪い答えを返してくる。


「なんだ? もうせ」

「ハッ! そ、損害はありません」

「……ふざけているのか?」


 答えた兵を思わず睨みつけるテミッドだったが、兵は怯みながらも報告を続ける。


「ハ、ハイ。陣形はみだされはしましたが、奴らはただ駆け抜けて行っただけでして……」


 兵士の困惑こんわくうなずけた。あれだけの捨て身の突撃で何もせず、ただ敵中を駆け抜けて行っただけとは。流石のテミッドも眉をひそめる。


「奴らの狙いはなんだ?」

「挑発か、あるいは何かの罠か……」


 テミッドの質問にジバはそう答えながらも、どこかに落ちない様子で黙り込んでしまった。


「下手に動かず出方を見るしかないか……」


 テミッドは、この策をろうしたであろう王女の姿を重ねながら城壁の方へ視線を向ける。


「……やってくれる」


 そう、口元を緩めながら呟くのだった。


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 予想以上の成果に、国境守備隊は歓喜に沸いた。馬から降りたラウを、城門まで降りてきた隊長が出迎えた。


「いやぁ、痛快だ! 敵軍の奴ら大混乱だぞ!」

「それは上々。では、急ぎましょう。の準備は出来ていますか?」

「ああ、準備は出来ている。急ぐとしよう」


 そう言うと、隊長は守備隊の面々へと指示を飛ばし始める。


「まったく、次から次へとこんな悪知恵が働くものだ」


 ラウは王女と共に一足先に出て行った青年の事を思い浮かべて感心しながら毒づいた。正直、口の聞き方はなっていないが、何のしがらみもなく接してくる青年のことを、どこか好意的に感じている自分が馬鹿らして苦笑が漏れる。


「さて、文句を言われぬように働くとするか」


 そう言うと、ラウは隊長の後を追った。


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 翌朝。与えた猶予の期日が過ぎた城門の前で、包囲軍の騎士が最後通告の為に大声で名乗りを上げていた。


「城門を開けて投降せよ! 命だけは助けてやる!」


 騎士の声にも、砦からは全く反応がない。


「どう見る?」


 その様子を見ながら、テミッドはジバに質問を投げかけた。


「『無駄な話し合いなど不要』と、言うことでしょうか。それはそれで……」


 そんなジバの答えを聞いた時、突然、城壁から太鼓の音が響き渡った。


 不規則に打ち鳴らされる不快な音は、昨日の奇襲以降、昼夜を問わず、幾度となく繰り返されている。


 今度こそは好きにさせまいと、太鼓の音が鳴る度に迎撃の用意を徹底させた結果、こちらの兵の疲労も相当なものであった。だが同時に、太鼓の音は敵が未だにその場に留まっていることを意味している。あの愚妹が、兵を置いて逃げるはずが無いとテミッドは確信していた。


「そんなに死にたいのなら、国境ここを墓場にしてやろう」


 そう言って、テミッドが右手を上げると、包囲軍は一斉に城門への攻撃を開始した。


 投石機で無数の大きな石の固まりが城へと降り注ぎ、大盾を持った集団が城門への距離をジリジリと詰めていく。


 だが、反撃を予想していた城壁からは矢の一本も飛んで来なかった。ジリジリと距離を詰める筈だった重歩兵の一団は、あっさりと城門まで辿り着いてしまったのだ。


 それに動揺したのは、包囲軍の方だった。


 テミッドはジバの方を見るが、ジバも相手の真意を測りかねているのか、眉を寄せた渋い表情をしている。


「罠にしては静か過ぎます」

「……城門を突破せよ」


 テミッドの指示で、大型車のような巨大な丸太を括り付けた荷車が城門の前へと運ばれた。数十人の男達が勢いのついた丸太を城門へと数度叩きつけ轟音が響き渡る。


 通常は城門を破られまいと、弓兵達の目標にされてしまう筈なのだが、城壁は静かなものだ。唯一、太鼓の音だけが城壁から聞こえてくるのみだ。


 やがて巨大な木製の城門は、幾度ともしれない猛攻に耐えきれずに内側のかんぬきがバキッという轟音とともに折れて開け放たれた。開いた城門からは兵達が次々と城内に突入してゆく。


 城内に兵士が突入して暫くしてから、報告の兵がテミッドの元へと訪れる。


「も、申し上げます。城内は無人! 敵の姿はありません!」

「そんなはずがあるか。では、あの音は何者が出していたのだ」

「それが……」


 城内に飛び込んだ兵士たちが見たのは、太鼓とそれに縄で繋がれた猪だった。


「まさか、そんな単純なことで……」


 ジバが反応をしている横で、テミッドは小刻みに震えていた。そして、ついに我慢できないとばかりに兵たちの前で笑い声を上げた。


「ここまでコケにされるとは、傑作じゃないか!」


 王子の笑い声に周囲は呆然としていたが、ジバは追撃の指示を兵たちに出すのだった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 国境線から離れた平野で守備隊の面々は野営を行っていた。焚き火の前に座るラウの隣に隊長がドカッと腰を下ろす。


「国境から随分離れたが、追って来てると思うか?」

「俺が敵なら、ここまでバカにされたら黙ってられませんよ」

「だよな。上手くこっちに注意を向けてくれりゃいいが」


 体のいい囮にされているにも関わらず、隊長はそんな殊勝な事を言い出した。まったく、ここにいる連中ときたらある種の熱病にかかっているようだとラウは思った。


「……我々も急ぎましょう。アイツらにバカにされるは御免です」


 そんな熱病に自分自身もかかっている事を自覚しつつ、笑い声を上げる隊長と共に腰を上げると馬に乗るのだった。

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