第54話:説得失敗

「俺は、エルドの西側を一旦手放す必要があると思っている」


 打ち明けた瞬間、当然怒り出すだろうと思っていたアリサは、意外にも冷静に自分の話を聞いてくれていた。目を閉じて暫く黙り込んだ彼女は、小さく息を吐くとゆっくりと目線を向けてきた。


「ここを捨てて逃げろと言うの?」

「そうだ。無謀な戦いは避けるべきだ」

「……それは、ここがあなたの生まれ育った国ではないから出てくる案じゃない?」


 確かに彼女の言う通りかも知れない。愛国心の教育など無かった自分ですら、故郷の一部を渡せと言われて承知出来るものだろうかと考えてしまう。


「それに、国境ここだけでなく、西方全てを切り捨てろってこと?」

「そうだ。残念だが、この国に全てを守る力はない」


 分かってるんだろう? と、アリサに目線で問いかけながらキッパリと言い切ると、彼女は目線を下に落としてしまう。


「出来る出来ないじゃない。やらなきゃいけないこともあるの」

「それは、命を引き換えにしてもか?」

「……そうよ」


 アリサのかたくなな態度は崩れない。

 当然かもしれない。持ち前の責任感に加え、今、この国の人々に寄添よりそおうとする唯一の王家の人間なのだから。


「それに、逃げると言ってもそう簡単な話じゃない。隙を見せれば、兄は躊躇ちゅうちょなく攻めてくる。そうなれば、あっという間に……」


 アリサが逡巡していると、不意に部屋の扉が開かれたかと思うと一人の士官が部屋の中へと入ってきた。


「その強情者の説得は、難儀なんぎそうだな」


 そんな事を言いながら、ラウ・ブルームは苦笑していた。


※※※※※※※※※※


「どうして、お前がここに?」

「俺の役目は彼女の監視だぞ? よもや、王女が夜這よばいかとも思ったが……」

「よ、よば!?」


 言葉の意味が分からない自分の隣で、真っ赤な顔をするアリサ。


「……どうゆう意味だ?」

「し、知らなくていい!!」


 先程までの沈んだ雰囲気から打って変わり、取り乱した彼女は大声を上げると、今度は恥ずかしそうにうつむいてしまった。


「それで? 盗み聞きとは悪趣味な奴だ」

「フン。折角せっかく、人が助け舟を出してやろうと思えば、相変わらずな奴だ」


 扉を閉めて呆れた様子で歩み寄って来るラウに警戒感を持ちながらも、彼からは敵意を感じない。


「監視役のお前が、なんで助けようとするんだ?」

「まぁ、一種の意趣返いしゅがえしさ。父への嫌がらせには丁度良い」

「お前、自分が捨て駒だと気付いていたのか?」

「王女諸共、俺を国境ここで排除してしまおうとは、父も存外に食えぬ御人だ。まぁ、木偶でくを装っていたこちらの真意を見破っていたあたりは、流石と言うべきか……」


 今までの命令を愚直に守っていた彼の印象からは、大分違った一面を覗かせるラウ。


「なぜ今更、裏切りを?」

「別に裏切ってなどいないさ。最初から繋がっていないのだからな。今まで黙っていたのは、お前たちの動向を見定める為だ」

「あ、あなた、貴族派筆頭のご子息でしょう?」


 顔を伏せていたアリサが、ラウに向けて疑いの目を向ける。良いところの出自とは聞いていたが派閥の頭目の息子だったとは。


「父の野心は底が知れぬ。いつしか己で国を治める事を夢見られるようになった」

「その息子のお前が、どうしてこんな扱いなんだ?」

「父は己以外の人間を信用しない。たとえ息子と言えど、政敵に見えるのだろうよ。まぁ、実際、その認識は正しいのだが」


 従順じゅうじゅんな出来損ないを演じなければ、息子と言えども生きては来れなかったと語るラウ。だが、淡々と父親との確執を語る彼からは物悲しさは感じない。王族といい、貴族といい、この世界の価値観はどこかおかしいと感じてしまう。


「それで、あなたはこれからどうする気?」


 今まで疑惑の目を向けていたアリサが、穏やかな口調で問う。権力争いに身を置かれた者同士、何か思うことがあるのかもしれない。


「父は間違っている。あの男をこのままにすれば、遠からずこの国は滅ぶ。あの男は排除する」

「……他の方法は無いの?」


 自らの父親を殺されたアリサからすれば、受け入れ難いのだろう。だが、ラウは首を横に振る。


「無い。それに、あの男が担ぎ上げた王子もこのままにはしておけない」


 王子と聞いて思わずアリサの方へ視線を向けると、彼女の表情も固まっていた。


「アイツら、この国の西方を既に切り捨てたぞ?」


 その言葉を聞いて、アリサは目を見開き口を覆った。だが、彼女とは対照的な反応の自分に向けて、ラウは苦笑する。


「知っていたな? いや、予測していたのか?」


 それを聞いたアリサも、こちらに顔を向けてきた。


「ああ、気になる噂も流れて来ていたしな」

「なにか知っているの? 教えて。兄様は、何をしようとしているの?」

「……ノルド王子は、国の西側を焦土しょうどにすることで、敵の侵攻を阻むつもりだ」

焦土しょうどって、どうゆうこと?」


 こちらに掴み掛かる勢いで詰め寄るアリサに、ラウが代わりに答えを口にした。 


「食料を根こそぎ奪い取って、村を焼き払っているのさ」

「そんな、そんなことって……」


 思わず絶句する彼女を追い打ちするように、ラウは言葉を続ける。


「戦略としては間違っていない。敵の侵攻を遅らせるのであれば、むしろ正しい方法とも言える。だが、それは村の人々を避難させてからの話だ。アイツらは、言葉通りに切り捨てているのさ。この国の人間をな」


 アリサは、ラウの話を聞き終えて、今度はこちらを睨みつけ来るように目線を向けてきた。


「……知っていたの?」

「……」

「答えて! 知っていたの?」

「……ああ」


 そう答えた瞬間、頬に鋭い痛みが走った。彼女に平手打ちを食らったのだと気づいた時には、彼女は立ち上がって部屋の外へと出ていってしまっていた。


 そんなこちらの様子を見ても、ラウは冷静だった。


「同情はせんぞ。彼女が出て行ったから言うが、貴様、この事を知っていてなお、この状況を利用しようとしたな?」

「……そうだ。お前の言う通り、戦略的には間違っていない」

「殴られて当然だ。その非情な判断は、どうしたら出てくるのだ?」


 ラウに問われ、脳裏に一人の少女の影を思い浮かべ、思わず手を強く握りしめながら答える。


「……俺は、力のない自分が許せない。だから、使えるもの、利用出来るものは何でも使う。そう決めたんだ」

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