閑話:女神か死神か 後

 大柄の男の首が落ちた瞬間、闘技場の観客は静まり返っていた。

 そんな中で、一人の男が拍手を始める。


「素晴らしい! 実に良い試合だった!」


 真っ白なコートを羽織った男は、満足そうに微笑みながらセナを讃えた。この闘技場の元締め。裏社会の中核を為す男。


 その男につられるように、観客からも歓声が上がる。


「セナと言ったか? 君の望みは何かね? 私は君のファンになってしまったよ」

「……」


 セナは沈黙を返す。そんな少女の姿を見て、男は首を傾げながら、もう一度、丁寧に自分の利用価値をアピールする。


「どうした? 金か、地位か、名誉か? 私の出来る限りのものを、君に与えようじゃないか。さぁ、美しくも恐ろしい少女よ。君は、何を望む?」

「特に何も」


 セナからすれば、闘技場への参加は裏社会との接触を行うための手段でしかなく、彼女自身に望みなど、ありはしなかった。


「フッ。まぁ良いだろう。次に君が勝ったなら、相応の見返りを約束しよう」


 その言葉と共に、黒いマントの人物がセナの前に進み出る。


「さぁ、始めてくれたまえ! 最高の舞台ステージを!」


 男の宣言を聞くと、目の前の人物は黒いマントを脱ぎ捨てた。


「獣人の方でしたか」


 姿を現したのは、犬に似た頭部を持った男。全身は豊かな体毛に覆われ、口からは立派な犬歯が覗いている。

 自分の姿を見ても動揺一つ見せないセナに、眉をひそめて男は尋ねる。


「驚きはしないのだな。この国では、珍しいはずだが……」

「ええ。私はバラクに居ましたから。あなたのような戦士の方とも、何度かお会いしたことがあります」


 バラクと聞いて、眉をピクッと動かした獣人の男は、腰の鞘から剣を引き抜いて構える。


「我が同胞と面識がおありで?」

「はい。あまり友好的とは言い難い関係でしたけど」


 引き抜いた剣を持つ手に自然と力が入った獣人は、昔話をするように語り出した。


「昔、我が一族の戦士たちをほふった人族の話を耳にしたことがある。その人族は、年端としはも行かぬ少女だったと聞く。その者は、雪のように白く、そして、感情を失った水晶のような瞳を持つと言う……」


 セナは、黙って目の前の獣人の話を聞いていた。彼女にしては珍しく、実につまらなそうに手首の腕輪をいじりながら。


「純白の戦女神とも、白銀の死神とも呼ばれた少女。まさか、実在していようとは……」

「私はそんな名前を名乗った覚えはありません」


 二人の間に、沈黙が流れる。


「これは、因縁浅からぬ両者の運命の再会か!?」


 二人の舌戦を遠巻きに聞いていた実況の男が観客をあおりたて、会場の熱も上がっていく。


「お主、得物は?」

「この腕輪だけですが、何か?」


 男は、フッと笑うと剣を脇へと放り投げる。


「ならば、俺も剣など不要!」


 武器を投げ捨てるなり、セナとの間合いを詰める獣人の男。素早く彼女の首筋を目掛けて、その鋭い爪を振り下ろす。しかし、その一撃はセナを捕えることなく、空を切る。


 彼女は大きく跳躍して、男との距離を取ろうとするが、獣人の男も負けじと喰らいついてくる。


「しつこいですね」

「お主の武器は、その俊敏さ。対して、体つきは華奢きゃしゃで、力比べでは圧倒的に我が有利と見た」


 確かに、セナの細見で白い外見は何処かはかなげで、それに相対する獣人の男は、セナの倍以上の体格があり、力の差は誰が見ても明らかだ。

 加えて、獣特有の俊敏さも併せ持った男に、流石のセナも逃げ回るので精一杯と言ったように見えた。


「ゆえに、捕えてさえしまえば、お主に勝ち目は無い!」


 そう言って、伸ばした手がセナの腕を捕えかけたが、咄嗟に身をひるがえした彼女によって腕を掴み損ねる。

 だが、引っ掛けた爪によってセナの腕からは鮮血が流れ出していた。


 流れ出た血にも、澄ました表情を崩さないセナだったが、観客たちは大歓声をあげる。


「掠っただけとは。完全に捕えたと思ったが」


 間合いを取ったセナを追撃せずに、獣人の男はそう呟いた。


「何故、追撃をしてこなかったのですか?」

「今は剣闘士なんぞをしているが、我は戦士だ。誇りがある。いかに強敵とは言え、手負いの少女を相手にするのは忍びない」


 それを聞いて、セナは唐突に自分のスカートを引き裂いき、破いた布を腕に巻きつけて止血をした。露になる彼女の白い脚に一部の観客は色めき立つが、セナ本人はどこ吹く風といった感じで全く気にしていない。


「命のやり取りで小さな傷を気にするとは変わっていますね」

「お主に言われたくはないがな」


 小さく笑う獣人の男。先に闘った相手とは異なり、好感の持てる人格の持ち主のようで、セナは些か興味が湧いた。


「あなた、お名前は?」

「……ガウムだ」


 ガウムと名乗った獣人の男は、改めて戦闘の姿勢を取ると、再びセナに肉薄する。ガッチリとセナの両肩を掴んだガウムは、勝利を確信していた。


「取ったぞ! これで、逃げられはすまい!」

「そうですね。いい加減終わらせましょう」


 次の瞬間、掴んだ肩がガクッと下がったのにつられ、ガウムは前のめりに体勢を崩した。


 セナは大きく屈伸するように身を勢い良く屈め、そのままの勢いでクルンと回転しながら、突き出されたこめかみに目掛けて踵を叩き込んだ。


 強烈な後ろ回し蹴りを受けて、ガウムの視界は揺れる。だが、屈強な戦士は何とか踏みとどまっていた。


「まだ、立っていられるのですか」


 回転を利用して、完全にガウムの手から脱したセナは感心したように呟いた。


「こ、これしきの蹴り、大したこと……」


 ガウムが言い終える前に、セナは大きく跳躍すると、突き出されたままになっていた彼の頭に向けて、今度は反対側のこめかみに膝を叩き込む。


 脳がかき回された状態に流石の屈強な獣人も完全に意識が刈り取られ、為す術なくその場に崩れ落ちて行く。


※※※※※※※※※※


 闘いを終えて佇む少女の姿は、神々しく美しくもあり、また、容赦や躊躇いも無い恐ろしさも感じさせる。捉える者によって、全く印象の異なる二面性を持った少女。


 戦女神とも死神とも呼ばれた彼女の姿に、観客には戸惑いと動揺が広がっていた。だがやがて、誰ともなく歓声が湧き上がる。


「しょ、勝者! セナ嬢!! 闘技場自慢の男たちを完膚なきまでに叩きのめす、圧倒的な力! そして、慈悲も感じさせない冷徹さ! まさにクールビューティー!!」


 実況の男がセナの勝利を宣言すると、会場からは歓声があがる。その一方で、段々と大きくなってくる声があった。


「「殺せ、殺せ!」」


 会場中から獣人の息の根を止めろと、コールが巻き起こる。観客はあっという間に決着のついてしまった展開に満足していなかった。


 セナが、静かにガウムが投げ捨てた剣を拾い上げると観客からは大歓声があがる。


「「「殺せ! 殺せ!!」」」


 セナは拾い上げた剣を振りかぶると、勢い良く観客席目掛けて投げつけた。ビュンビュンと回転しながら突き進んだ剣は、やがて観客席のある男の脇に突き刺さった。


 その光景に、観客たちは静まり返る。


 剣が突き刺さった先には、白いコートを羽織った男。闘技場の主は、静かにセナの方を見つめていたが、やがて拍手と共に立ち上がる。


「素晴らしい! 実に素晴らしい!! それで、君の望みは決まったのかね?」


 こくんと頷くセナを見て、男の口角があがる。


「実に結構! 女神とも死神とも見える少女よ、お前は何を望む?」


 こうして、裏闘技場の一幕は過ぎて行った。 

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