閑話:女神か死神か 前
王都のスラム街
今、この闘技場の盛り上がりは、最高潮に達していた。
深いため息をついた進行役の男は、高らかに宣言する。
「それでは皆様! お待ちかね!
歓声と共に正面の門が開くと、二体の影が現れた。
一つは大柄の男。
「なんとも、可愛らしい嬢ちゃんじゃねぇか! 出来れば、もっと別のところで楽しませて欲しかったんだがぁ。お前は、どう思うよ?」
「……」
もう一つの影は、全身を黒いマントで隠した人物。表情を覗うことが出来ないが、佇まいからは只者ではない雰囲気を感じる。恐らく、大男よりも格上だ。
「チッ、相変わらず暗いヤツだなぁ」
「……気を付けることだ」
「あぁ?」
黒マントの言葉に、不満を
「……匂いだ」
「匂いだぁ?」
「……ああ、見た目は麗しくとも匂いは誤魔化せん。あれは、こっち側の人間だ」
目の前の二人のやり取りを、相変わらずの無表情で眺めていたセナだったが、一歩前に出ると進行役に話しかけた。
「それで、どうすればよろしいのですか?」
「あぁ? どうもしねぇさ。これから始まるのは、一方的な殺人だ」
「そうですか。存外、殺さないと言うのも難しいもので」
「……?」
疑問符でいっぱいの進行役を脇に、こちらの声が聞こえたのか、大柄の男の方が歩み出る。
「言ってくれるじゃねぇか! 安心しろよ、手加減なんていらねぇ!」
「お一人で、よろしいのですか?」
セナの言葉に完全に沸点を超えた大男は、凄まじいスピードの拳をセナに向けて放った。
それを何でもないように、最小限の動きでかわしたセナだったが、男の拳はそのまま進行役の男を直撃した。
強烈な一撃は、進行役の頭蓋をいとも簡単に砕くと、その勢いをとめずに人だったものを伴って、リングへと叩きつけられた。その場には、男の拳を中心に、血と肉片によって汚い花びらのような模様が作り上げられていた。
その光景に観客からは大歓声が揚がる。
「おぉっと! サニエルの拳が炸裂! 目の当たりにしたセナ嬢は放心状態か!?」
実況の声など意にも介さず、涼しい顔で拳を放った男に視線を向けるセナ。男は、自分の行為に
「あ〜ぁ、やっちまったぁ。上手く避けるじゃねぇの、このサニエル様の拳をよぉ。デカい口叩くだけのことはあるってか」
「大したことをした覚えはありませんが」
「挨拶程度で、調子に乗ってんじゃねぇよ!」
サニエルは強烈な拳を連続でセナに向けて放つが、彼女はその
客席からは大ブーイングが巻き起こる。
「セナ嬢の華麗な姿も、会場は不満爆発だぁ! 彼らは血を見たがっているぞぉ!」
その言葉を聞いて、サニエルは大きくに拳を振り上げると、放った一撃によってリングの床を粉砕した。
「やるじゃねぇか! 五十人斬りのサニエル様の拳をこれだけ受けられたのは、お前が初めてだ!」
「五十?」
セナは小さく口にすると、大きく跳躍して男との間合いをとった。
「知らねぇのか? 恐拳のサニエルって言えば、王都でそれなりに有名になったもんだが」
「存じません」
「王都で名を馳せた殺人鬼の名だ! その後、裏社会に拾われた俺は、この闘技場で二十連勝。対戦相手は、全て肉の塊に変えてやった」
「そうですか」
何でもない事のように、あっさりとした返事を返す少女に、サニエルは怒りよりも若干の興味が湧いた。
「そのスカした態度、たまんねぇなぁ! お前、ホントはビビってんのを無表情で隠してんじゃねぇか?」
「そんなことはありませんが、あえて申すことがあるとすれば……」
セナは眼前の男の言葉を否定しつつ、些細な質問をするように尋ねた。
「なぜ、いちいち数を覚えていられるのでしょうか。私は興味すらありませんでしたから」
その言葉を聞いて、恐怖を感じたのはサニエルの方だ。マントの男の言っていた通り、目の前の少女は明らかに異質だった。こちら側の人間。
―― 狩る側の人間だ。
よくよく見れば、少女のガラス玉のような瞳は、
「たった五十程度だからでしょうか?」
「ふ、ふざけてんじゃねぇ‼」
恐怖に駆られたサニエルは、自分の出せる最大限の力でセナに向かって拳を突き出した。凄まじい拳圧とスピードに、周りの空気が一気に圧縮され、弾ける。爆発音と共にサニエルは、自分の体に大量の返り血が着いているのを確認して安堵した。
「な、なんだぁ! 案外、あっさりと……」
「何のことでしょうか」
驚愕の表情を浮かべてサニエルが振り返ると、そこには、真っ白な少女が佇んでいた。
「う、嘘だろ!?」
「止血されないので?」
「はぁ?」
セナに指摘されて、ようやくサニエルは気付く、自分についている血がセナのもので無いことに。そして、打ち出した拳の手首から先が無くなっていることに。
それに気付いた瞬間、とんでもない痛みが彼を襲い始めた。
「お、俺の、俺の手がァァァ!!」
残った手で切断された手首を力一杯握りしめ、
この闘技場では、あらゆる武器の使用が認められている。現に、サニエルの拳にはメリケンサックに似た金属がつけられており、セナの手首には銀色の細い腕輪が輝いている。そこからはピアノ線のような細い糸が引き出されていた。
「その程度では死にはしませんよ」
「ふ、ふざけんなぁぁ!! 殺す! 殺す!!」
目の前で怒り狂う男の怒気も、まるで眼中に無いセナ。
「極力殺すなと言われていましたが、
「糞がァァァ!!」
完全に頭に血の登ったサニエルは、止血も痛みも忘れて、残った手で全力の一撃を放った。完璧に少女の体を捉え、吸い込まれるように向かう拳に、サニエルは勝利を確信していた。数秒後、いつもの肉塊が残る未来しかサニエルには想像出来なかった。
だが、彼の予想した未来は訪れなかった。
「申し訳ありませんが、ここまでです」
セナがつぶやくと、サニエルの突き出した腕がボトリと地に落ちる。
「ああぁぁああ!!」
絶叫するサニエルだが、両手を失った彼に、為す術など無かった。
「た、頼む! た、助けてくれぇぇぇ!!」
「あなたは、今までそう言って来た人達をどうしてきましたか?」
その言葉に、目を見開くサニエル。
人生の最後に、己の罪を
「苦しませるのは、本意ではありません」
セナは、腕輪から細い糸を引き出すと、サニエルに近寄っていく。
「せめて、迷わずに」
そう言って、彼女がサニエルの脇を通り過ぎると、彼の首は地に落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます