第88話:葛藤

「この王都が落ちる?」


 シンは信じられないといった顔で俺の話に耳を傾けていた。確かに、この王都は立派な城壁に守られた要塞だ。さらに、相手はほとんど補給もなしに強行軍で迫ってきている。いくら数を揃えていようとも、疲労困憊の状態でまともな攻撃など出来るはずがない。だからほとんどの人間は、この王都が侵略されることなどあり得ない話だと思っている。


 それでも、ハッキリ落ちると断言されては動揺せざるを得ないだろう。


「て、適当なこと言いやがって。馬鹿にしてんのか! この王都は数百年の間、陥落したことなんてないんだぞ!」

「落ちたじゃないか、ついこの間な」


 その言葉にシンは返す言葉が見つからない様子だ。何しろ王都を落としたのは、何を隠そう自分たちなのだから。


「この王都は落ちたことが無いんじゃない。攻められたことが無いんだよ」

「で、でも、王都が落ちたのはアンタの策のせいだろ!」

「相手は帝国だぞ? 策が無いはずがない。まぁ、相手からしたら力押しだけでも十分すぎるほどの戦力差だろうけどな」


 おそらく王都に籠城でもすれば、序盤は負けることはあるまい。相手の軍勢は補給もままならず、包囲網は維持するどころか完成させることすら困難なはずだ。

 だが、そんなことは帝国側だって分かり切っている。なのに、王都への進軍を強行したのは何故だ?


――当然、何らかの策があると思うべきだ。


「まだ、答えてなかったな。俺が王子を逃がした理由」


 シンはもうこちらの話を遮ることをやめたようだ。もっと早く話をしておけばよかったのに、まったくもって自分の意気地のなさに嫌気がさす。


「俺はな、王都にいる人の数を減らしたかったんだよ」


■■■■■■■■■■


 ハレス将軍に王都防衛の総指揮を任せて間もなく、彼は王都守備の陣容を整えた。政権の交代で混乱する最中にも関わらず、これだけ早く準備を終えることなど彼にしか出来ない芸当だ。


「王都の守備だが、西門と北門を中心に兵を再配置した」

「こんなに早く、ありがとうございます」

「元より我らの仕事だ。それに抵抗するような勢力も存在しないからな」


 兄を見つけられなかったのに合わせて、王都からは貴族派閥の中核メンバーも姿を消している。おそらく彼らはもう、王都から遠く離れていることだろう。ここで兄と決着をつけるつもりでいたのに、捕らえることが出来なかったのは悔やまれたが、こんな形で利することになるとは誰も思っていなかった。


――本当に、誰も?


「しかし、兵力は心許ない」

「集められたのは、どの程度でしょうか」

「王女殿下の連れていた兵が四千、我が守備隊が三千、それに市民たちからの義勇兵を合わせれば一万弱と言ったところか」


 相手は帝国。国境線に攻め寄せた先方だけでも五千はいた。魔人族の軍勢がどの程度なのかは分からないが、武力で圧倒していたはずのゴンド王国をいとも簡単に蹂躙してしまうほどの戦力なのだから決して侮ることは出来ない。


「物資の方はどうですか?」

「そちらは問題ないだろう。東の集積地も押さえたことだしな。ただ、このままだと数万の市民を抱えて王都を戦場にすることになるやもしれん」


 いかに堅牢な城壁に守られていようが、一度戦闘状態に入ってしまってはどんな状況になるか分からない。


「ではやはり、市民の避難を……」

「着の身着のまま追い出すわけにも行くまい。避難する者たちへの護衛も考えれば少なくない兵力を割く必要があるが?」


 いつ来てもおかしくない敵のことを考えれば、ここで貴重な戦力を割くことなど出来ない。でも、理性では分かっていても、何か言い表しようのない感情で胸が詰まって息苦しい。


「……お願いできませんか?」

「既に五百の兵を各所から抽出してある。取り越し苦労にならずに済みそうだな」


 私の言いだしそうなことなど予め分かっていたのだろう。ハレスは顔色一つ変えずに願いを快諾してくれた。


「不安か?」

「……今の私がそれを口にすることは許されませんので」

「心持ちは立派だが、鏡は見たのか?」

「鏡ですか?」

「聖霊様が帰ってきたのが幸いしたな。その顔を見れば誰でもわかる」

「え?」


 言われて部屋の鏡を覗けば、酷く強張った表情の少女がそこに立っていた。強がっていくら言い繕おうとも、まだまだ自身の感情を制することは出来ないようだ。


「こ、これは、その……」

「まずは、後顧の憂いを断っておく。避難は早急に始めるとしよう」


 そう言ってハレスが退室し、いざ王宮の静かな部屋に一人で残されると、不安で押しつぶされそうな心臓が悲鳴をあげるかのように締め付けてくる。


 おそらく、今度の王都での戦いはどちらかが倒れるまで続く。


 私の命だけではない。多くの人たちに犠牲を強いることになる。そんな重大な責任に、本当に私は耐えることが出来るのだろうかと。


 そんな重圧に押しつぶされそうなとき、私の頭の中にはふと一人の青年の姿が思い起こされていた。思い詰めていたかと思えば、すぐに立ち直っていろんなことを引っ掻き回す青年のことを。まったく私がどれだけ心配していたのか、彼は本当に理解しているのだろうかと腹立たしくなってくる。


 そうして彼のことを思い浮かべていると、これからの重圧も少しは軽くなる感じがした。


 出来れば彼には近くで支えてほしいと願う反面、この国や私たちの運命に巻き込んではいけないとも思っている。


 どちらにしても、彼の判断を尊重しようと私は心に決めていた。


■■■■■■■■■■


「王都の人間を減らす?」

「王子を餌に、貴族派閥の人間を先に王都から逃したんだよ。居てもらっても困るしな」

「やってることは帝国の連中と変わらないんだな」


 そう。自分のしたことは、自国の兵を餌に魔人族を誘引する帝国と殆ど変わらない。でも、少なからず自分は人々を助けるつもりでいた。


「今度の戦いはどちらかが倒れるまで続く殲滅戦だ。アリサだって今回は退けない」

「だったら戦力は多い方が良いんじゃないのかよ」

「彼らを説得するだけの時間は無い。最悪、裏切られて内部から攻められる可能性だってある。なら、先に退場してもらった方が都合が良かったんだよ」


 シンは今までのことを整理するようにブツブツと独り言を漏らしながら考え込んでいた。王都を逃げ出した貴族派閥の者たちの中には、貴族だけでなく、従者や兵士、支持者たちなど少なくない人々が含まれている。


 おそらくアリサのことだ、今頃は王都の市民を避難させると言い出しているに違いない。避難経路は安全で敵の出現予測方向の逆である東門のみだ。人の数が多ければ多いほど避難は難しく時間もかかる。だからあえて先に人の絶対数を下げておく必要があった。


 まぁ、今この状況になったから言える後付だと言われれば仕方ないし、偽善だと言われれば、全く反論する気もない。


 だが、願わくば一人でも多くの人間が助かってほしいと俺は思っている。

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