第37話 Date 4
二人でタピオカを飲みながら三ノ宮駅まで戻った後、ポートライナーという無人運転の電車に乗ってポートターミナル駅で降りた。
「……人がいない」
改札を出て辺りを見回すが、他人の姿が見えない。
人の声や喧騒は聞こえず、自分たちの足音しか聞こえない。
そして目前には閑散とした港が見える。
降りる駅を間違えてないだろうか、と不安になって結希に目を向ける。
彼女は俺の言わんとすることが分かっていたとでも言いたげに、口角を上げた。
「ここは客船の乗り場なんだ。船とかが来るときは人もいっぱい来るらしいけど、そうじゃない日は基本的に人はいないんだよね」
なるほど。道理で人の気配がしないわけだ。
ただそれでも疑問は残る。
「ここに何か用が?」
辺りには駅と白い建物と道路以外に何もない。遊べるスポットらしきものは見えない。
結希はきょとんとした顔をする。
「何って、海を見るんじゃん」
「見れるの?」
思わず食い気味に答えてしまった。少し恥ずかしい。
結希はそれを見てくすくすと笑う。
「ふふ、見れるよ。やっぱり海が好きなんだね」
「……まあ」
なんだか見透かされたようで癪な気持ちになった。
彼女に連れられるがままに、白い建物へ向かう。
建物の中を通り抜け、再び外に出ると、そこは送迎デッキになっていた。
「…………ぁ」
その景色が目に入った瞬間、自分の中で何かか弾け飛んだ。
心の奥底で何かが零れ落ちるような感覚。
目の前には一面に海が広がっており、太陽の光が反射して煌びやかに輝いていた。そして沿岸には神戸の街や、倉庫などが見える。
自然のものである海が人工物に挟まれることにより生み出されるコントラスト。
その既視感のある風景から目が離せなかった。
「広行君、大丈夫?」
結希が心配そうな表情をする。
「え、何が?」
「いや、目……」
「目?」
何かついているだろうかと目元を触ると、指先がわずかに濡れた。
…………濡れた?
「え……」
何故?
この液体が何かは分かっている。
だけど何故?
そして気づいたときには視界が滲んでいた。
俺は慌ててハンカチを取り出し目元を押さえる。
だがそれはとめどなく溢れてくる。
「……結希、ごめん。ちょっと待って…………すぐ止めるから……」
「……うん」
それから数分が経った。
「大丈夫?」
「ああ、もう止まったはず」
俺は湿ったハンカチをしまい、そう答えた。
気分が落ち着くと同時に、段々と自分の心情について頭の中で整理されていく。
再び目前に広がる海に視線を移す。
自分の中で様々な感情が行き交ったり混ざり合うのを感じる。
「…………広行君」
結希の真面目な、そしてどこか優しさのある声音が響く。
「助けてもらったお返し……になるかは分からないけど、私でよければ話を聞くことならできるよ」
「…………」
小さな波の音と風の音だけが聞こえてくる。
数秒ほどの葛藤の末、俺はゆっくりと口を開いた。
「いや、大丈夫。気持ちだけ受け取っとく」
これは俺自身が考えないといけない問題であって、彼女に話したところで何かが変わるわけでもない。
「……そっか」
彼女は一瞬だけ寂しそうな表情をしたが、すぐさま笑みを張り付けた。
少し申し訳なくも思ったが、こればっかりは仕方がない。
やはりどうしたって、過去からは逃げられないのだから。
その後は三宮に戻って、アパレル系の店をいくつかまわってから神戸を出た。
電車の席が空いていたので二人で並んで座る。
「そういえば、なんで俺とデートしようと思ったの?」
「え……」
俺が尋ねると、結希は少し照れた顔をしながら答える。
「……私、今まで誰とも付き合ったことがなくてさ。それに部活とかで忙しくて、彼氏とか以前に誰かと遊びに行くことすらないんだよね」
「へえ」
確かに、本気で部活に取り組んでいるとあまり遊びに行く時間を確保することは難しいのだろう。
それに、普段の些細なコンディションの変化が命取りになる。今日みたいになんの気兼ねもなしに食べ歩きをすることも滅多にできないだろう。
ただし、彼女が陸上を続けるというのであればの話だが。
「体調崩して部活を休み始めてから考えるようになったんだよね。このまま普通のJKみたいに遊んだり勉強したりして、高校生活を終えるのもありかな、てさ」
「…………」
彼女の言葉を聞いて、少し胸が苦しくなった気がした。
「だから、試してみようと思ったの。陸上部の私と、普通のJKとしての私、どっちが楽しいのかなって」
なるほど。彼女にとって今日のデートはリトマス試験紙のようなものだったのだ。
「結局、どうだった?」
結希はどちらを選ぶのだろう。
「……今日はすごく楽しかったよ。こういう休日の過ごし方もいいなって思った」
「…………」
「でも、もう十分かな」
彼女は憑き物が落ちたような表情だ。
「普通のJKとしての生活は今日でもう十分。お腹いっぱい。それに私にはもっとやるべきことがあるし、走らない人生とか今は考えられない」
そう語る彼女の目はキラキラと輝いている。
「そう」
彼女の言葉を聞いてほっとした。
彼女が俺みたいにならなくてよかった。
「でも、それに気づけたのは君のおかげだよ」
「俺?」
別に大したことはしていないと思うんだが。
「君が、誰が私に嫌がらせをしていたのかを突き止めて、今日こうやってデートしてくれなかったら、たぶん気づけなかった。だから、ありがとう」
そう言って彼女は微笑んだ。
「別に、こうやって出かけるくらいならまた付き合うよ」
「それはもういいかな」
「え」
彼女はあっけらかんと答えた。
「これ以上は止まれないし、止まりたくない。それに、今日一日で十分に元気をもらえたから、もう大丈夫」
その言葉はとても力強く、俺の中で響いた。
なんか俺がフラれたみたいで恥ずかしいが、彼女が前を向けたのだから良しとしよう。
「……応援してるよ」
もう俺にできることは、彼女が立ち止まらないように、その輝く瞳が未来を見据え続けるように、祈ることだけだ。
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