第33話 Madness 2

「がはっ…………」

 拳の先に確かな感触を得ると同時に、先輩は体をくの字に曲げて倒れこんだ。

「俺は体格には恵まれませんでしたけど、一応キックボクシングかじってたんで素人よりは強いんですよ……って聞いてないか」

「うぅ…………」

 先輩は腹部を抑えながら蹲っていた。

 俺はダンゴムシのように丸まっている先輩を横目に、先ほど自分が叩きつけられた壁の向かい側にあるフェンスの方へ向かう。

 そしてフェンスにもたれ掛けるようにして置かれていた自分のスマホを手に取った。

 ようやく顔を上げた先輩がこちらを見て、何かに気づいたようだ。

「! まさか…………」

 先輩の絶望したような表情を見て、俺は思わず口角を上げた。

「あ、気づいちゃいました? ご察しの通りずっとスマホで録画してたんですよ」

 俺は蹲っている先輩のもとへ近づいた。

「先輩、どうしてあのとき公園で女の子に手を出そうとしたんですか?」

「………………」

 先輩は苦虫を嚙み潰したような表情をしたが口を開かない。

「聞き方を変えましょうか。どうして速水の妹に手を出そうとしたんですか?」

 先輩は体をビクリと震わせた。

「!……お前、どこまで知って……」

「今は俺が質問してるんですけど。さっきの動画、ばら撒いたっていいんですよ?」

「それは…………」

 先輩はそれでも理由を口にしない。

 ……めんどくさいな。俺がしているのは質問というより確認のようなものなのに。

「小さい女の子に手を出したやつが陸上部にいて、たまたまその女の子の姉も同じ陸上部に居て、たまたま同時期にその姉が陸上部内で悪質な嫌がらせを受けている……なーんて、ちょっとおかしいと思いません?」

「……」

 俺は先輩の反応を待たない。

「もう率直に聞きますけど、先輩の一番の標的は姉の方、速水結希ですよね?」

「……はぁ」

 それを聴いた先輩は諦めたように息を吐き、それからゆっくりと口を開いた。

「……なんでわかったんだ?」

 諦めがついたのか、先輩も少しは落ち着いたようだ。

「だって先輩、あいつのこと嫌いじゃないですか」

 先輩は目を丸くする。

「なんでそれを……誰にも言ったことはなかったのに」

「まあ、他は誰も気づいてないと思いますけどね」

 ただ俺は分かった。分かってしまった。それだけだ。

 それに、そんなことはどうでもいい。

「ねえ先輩、なんでこんなことをしたんですか」

「……気に食わなかったんだよ」

「…………」

「速水とは中学も一緒で、その頃から速水とは陸上部で同じだったんだ……あいつは一年のときから実績をたくさん出していて、他のやつらとは何もが違ったんだ」

「…………」

 なるほど、結希は中学時代から陸上が強かったのか。まあスポーツ推薦で受かるぐらいだからそれもそうか。

 ただ、それは先輩も同じはずだが。 

「居心地が悪かったよ。俺が一年の時は、俺が次期のエースだと言われていたのに……性別が違うとはいえ、入部したての後輩に注目も期待も全部持っていかれたからね」

 劣等感、というやつなのだろうか。

「俺も少しは大会で賞をとったりもしたけど、それでも実績ではあいつには及ばなかった。俺が部長になっても、部活では実質あいつがリーダーシップを取っていた。俺は肩身の狭い思いをしながら部活を続けて、運よく推薦がもらえて、修裕の陸上部に入ったんだ」

「…………」

「あいつがいない環境で心置きなく走れるのが楽しかった。そのおかげか、一年の時に府大会でいい結果が出せたんだ。周りだって俺に期待していた。そこで来年はもっと上にいけるんじゃないかと思ったんだ……なのに」

「速水が入ってきた、と」

 先輩の顔が忌々しそうなものへと変わる。

 …………その表情だ。やはりそれだ。

「ああ。あいつは修裕に入ったばかりの時から俺以上に周りに期待されていて、そして案の定、実績を出し続けた。対する俺はまたしても肩身の狭い思いをする羽目になって、結果も出せなくなった。部活での俺の地位も落ちていった」

「…………」

「あいつが……あいつさえいなければ!俺はこんなに苦しい思いをしなくて済んだのに!……あいつが、あいつが全部っ……」

 ……本当にそうだろうか。

 結希は自分のやるべきことに注力して結果を出しただけだ。直接他人を気づつけることはしていないだろう。立川先輩は結希と比較されることで自身の無力を感じ、そのストレスを結希にぶつけたかっただけだ。

「先輩」

 俺は先輩の言葉を遮る。

「感情を押さえつけることは難しいですし、嫉妬してしまうのも仕方がないことなのかもしれません。でも……それは先輩が速水に、結希に嫌がらせをしていい理由にはならないですよ」

 先輩は顔をしかめて、俺を睨みつける。

「黙れよ……知ったような口きいてんじゃねえよクソが!」

 ……もうこれ以上話しても意味はない。

 それに、自分は知らないから偉そうなことは言えないが、その程度のことでストレスを溜めて他人に当たってるようでは、先輩の陸上競技者としての人生もあまり長くはないだろう。

「別に先輩の事情とか俺にとってどうでもいいんですよ」

「なっ……」

「先輩、電話でも何でもいいんで結希に自分から謝ってください」

「はあ!?なんで俺がそんなこと……」

「言うこと聞いてくれないんだったら、さっきの動画、本当にばら撒いちゃいますよ?もしそうなれば停学……最悪の場合退学でしょうね」

「お、お前だって殴っただろうが!」

「そんなの、後で俺が殴ってるところだけトリミングすればいい話なんで」

 それに、一発鳩尾を殴っただけでは、痣にはならないはずだ。いったい何のためにボディーだけで済ましてやったと思ってる。

「今日か明日中にあいつに謝ってください、それが呑めないのなら先輩はおしまいです」

 俺は蹲ったままの先輩に背を向けた。


「さよなら」


 

 




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