第30話 Suspicion

四月十三日 朝


 結局、昨日も一昨日も何の成果も得られなかったので、俺は少し焦っていた。

 できることであれば、さっさと犯人を見つけて問題を解決して、陸上部のマネージャーを辞めてしまいたいのだ。俺だって好きであんな激務に励んでいるわけじゃない。

 だが犯人を見つけることはおろか、目星さえもついてない。

 陸上部内で最もコミュニケーション能力が高そうな町田さんからも有益な情報を得られないとなると、他の人に聞いても同じ結果になるだろう。

 

 そんなことを考えながら駅から学校までの道のりを歩いていると、横から声をかけられた。

「おはよー菊野君」

「……おはよう、町田さん」

 横を向くと、背の高いスラっとした体型の女子が立っていた。

「昨日の疲れは抜けた?」

「……そんな風に見える?」

 俺が低いトーンで答えると、町田さんはケラケラと笑った。

「ていうか今から朝練だけどそんなんで大丈夫?」

「…………」

 もうこれ以上考えたくもない。

 本当に結希の件を早く済ませないと、俺が先にくたばってしまう。

 どんよりとした気持ちで先のことに思いを馳せていると、町田さんの表情が暗くなった。

「結希がいればなあ~。部のムードも良くなるんだけどなあ~」

「……速水さんって部の中ではどういうポジションなの?」

「う~ん……皆の良い模範っていうかリーダーっていうか……そんな感じ?」

「模範?」

「そう、模範。結希ってマジで走るのが好きだからさ、どんだけしんどいメニューでも笑いながらこなしちゃうし、失敗しても落ち込んだりせずに前向きに頑張るんだよね。だからそういう人が近くにいるとさ、なんかこう、自分も頑張ろうってなるじゃん?」

 ……なるほどね。

 ということは、結希がいるとみんながもっと頑張るから、もっとマネージャー業務がしんどくなるのだろうか。……考えただけでゾッとする。

「……じゃあ時期部長は速水さん?」

「そうなんじゃない? 立川政権も嫌いじゃないけど、私としては早く速水政権になってほしいかな。今は結希が陸上部の看板みたいなもんだし」

「へえ、そうなんだ」

 そして会話してるうちにもう学校に着いてしまった。

「……じゃあ、そんなわけで今日もよろしく~」

 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。もはや悪魔の笑みにしか見えなかった。



 放課後


 金曜日は体幹トレーニングとミーティングなので仕事は少なかったが、何故か俺までトレーニングさせられた……頼むから休ませてくれ。


 今日のトレーニングが終わって、俺たちは空き教室に集まった。

 修裕の陸上部ではミーティングの際に種目別に分かれて話し合う。俺は他のマネージャーたちと机を囲むように座った。マネージャーは俺を含めて十人程度。ただし俺以外に男子がいないので肩身が狭い。

 必要な道具を買い足すかどうかなどを話した後、マネージャーたちは談笑を楽しんでいた。もちろん俺は黙っているだけなのだが。

 結希のことなど色々考えながらぼーっとしていると、ある女子に声をかけられた。

「今から何人かで買い出しに行こうってなってるんやけど、菊野君来てくれない?」

「うん。いいよ」

 まあ陸上用品のことは全く分からないので、せめて荷物持ちとして頑張ろう。 



 そんなわけで学校の近くにある大型ショッピングモールにやってきた。中は学生や買い物客で賑わっている。

 女子たちがあれこれ相談や雑談をしながら進み、俺がその後ろから着いていく。

「最近彼氏とはどうなん?」

「え~最近は~……」

「え、そんな感じなん」

 あまり盗み聞きはしないほうがいいのだろうが、どうしても耳に入ってきてしまう。

 ただ……もしかしたらあの中に結希に嫌がらせをした人がいるかもしれない。

 結局はそう考えてしまい、話の内容は聞くのだけれども。

「てか結希大丈夫なんかな」

「ほんまそれな」

 女子たちは結希のことについて話し始めた。

「もし戻らんかったらやばない?」

「陸上部の顔やのにな」

「実質部長みたいなもんやしな」

 ……朝の町田さんといい前の女子たちといい、そこまで言うと間接的に立川先輩が可哀そうに思えてくる。


 その後、結果として有用な情報は得られなかった。



 学校から駅まで歩く途中、疲れた体を頑張って動かしていると前のほうに最近見知った人影を見つけた。立川先輩だ。

 俺は早歩きで距離を詰め、彼に声をかけた。

「お疲れ様です、先輩」

「っ! ああ、菊野君……だったよね。そちらこそお疲れ様」

 先輩は一瞬だけ驚いたが、すぐに表情を戻して答えた。

「そういえば君の家は宣里山の辺りだったね」

「そうですね」

「どう? 学校と部活には慣れたかい?」

「まあ大体は。部活はしんどいですけど」

「あはは……まあ、君はよく頑張ってくれてるよ」

 先輩は苦笑いをした。

「でも聞いたところによると、速水さんって人がいるともっとしんどくなりそうですけどね」

「……まあ、あいつは練習の鬼だからね」

 そう言って先輩は少し表情を険しくした。

 その表情を見た途端、ある光景が一瞬だけ脳裏に浮かんだがすぐさま追い払う。

 …………あぁ、そうか。そうなんだな。


 俺が考えこんでいると、立川先輩は不意に歩みを止めた。

「……ごめん、スマホを置いてきちゃったみたいだから僕は戻るよ。じゃあね菊野君!」

「え……あ、お疲れ様です」

 俺が言い終えるや否や、先輩はダッシュで学校のほうへ向かった。

「…………?」


 彼の後ろ姿に一瞬だけ違和感を覚えたが、その正体は分からなかった。



 

 気づけばもう空が暗くなり始めていた。

 宣里山駅で降りて家まで歩いていると、誰かにわき腹を突かれた。

 横を向くと、赤いランドセルを背負ったおさげの女の子がニッコリと笑った。結希の妹の楓ちゃんだ。

「こんばんは、楓ちゃん。習い事の帰り?」

「うん、そろばん行ってたの」

「そろばんか~、すごいね」

「広行ちゃんはそろばんできる?」

「いや、全く」

 そもそもそろばんに触れたことがあるかすらも怪しい。もしかしたら小学校でやったことはあったかもしれないが、あまり覚えていない。

「……それはそうと、最近結希はどう?」

 俺が尋ねると、楓ちゃんは心配そうな表情で視線を落とした。

「お姉ちゃんは……なんていうんだろう、元気がないというか……いつもみたいに生き生きしてないから、なんか変」

 楓ちゃんは結希のトラブルについては知らないと思うが、結希に何かあったと察したのだろう。

 ……速水姉妹は災難だな。結希は精神的にズタボロにされ、楓ちゃんはこの間不審者に絡まれてたし。

「……そっか。早く元に戻るといいね」

 こく、と楓ちゃんは小さく頷いた。


 

 

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