第24話 Unrest

4月10日



 この学校での生活が始まって早くも一週間が経った。

 当初の予定通り、俺は雪と結希からの勧誘を断り続け帰宅部ライフを満喫していた。学校に行き、家に帰って筋トレや勉強をしながら一日を終える。

 この生活サイクルが定着し始め、特に何事もなく時間は過ぎていくのだろうと思っていた。


  だが、そういうときに限って厄介事は起きるものである。





 昼休み。

 ある者は昼練という青春100%の行為に身を投じ、またある者は友人との会話や趣味など、それぞれの形で心身を休ませる時間。

 俺はというと、雪と同じ机の上で同じ具材の入った弁当を広げ、共に昼食をとっていた。このクラスの大半は昼練や他のクラスの友人を求め出ている。

 人目が少ないということはもちろん、席が前後で委員会も同じであり、一緒にご飯を食べていてもさほど違和感はないと判断したので、たまにこんな風に雪と向かい合ってご飯を食べている。

「…………」

「…………」

 お互いに特に話すこともなく黙々と口を動かし続ける。家でも二人で食べるときはこうして黙って食事に集中するのがほとんどなので、別に気まずさは感じない。

 だが、雪の表情がどこか悩ましげであるのは気にかかった。

 ほぼ同じタイミングで食べ終えた。

「ごちそうさま」

「……ごちそうさま」

 …………やはりおかしい。

 普段なら食べ終えた後は一緒に勉強したり、雑談したりするものなのだが、雪は何やら考え込んでいる。

 まだ時間にも余裕があるので、聞いてみることにした。

「今日は元気ないね」

「そう、かな……」

 雪は消え入りそうな声で返した。

「別に言いたくなかったら言わなくてもいいけど、何かあった?」

「…………」

 雪が弱々しい目で見つめてくる。何かを躊躇っているようにも見えた。

「別に……」

 それを聞いて、俺はこの間の真理さんとの会話を思い出した。


『あの子は人に弱いところを見せたがらないの』


 本当に雪が言いたくないのならこれ以上は詮索しないほうがいいだろう。

 だがそうじゃないなら、言いたいけど言い出せないのだとしたら。

 たぶん、もう少し踏み込んでみてもいいのだろう。

「一応これでも雪の兄だし、話くらい聞くけど」

「……」

 雪は周りに目をやっている。あまり他人に聞かれたくないのだろうか。

「場所を移す?」

「……うん」

 どうやら話す気になったようだ。

 珍しく元気のない雪を連れて、教室を出た。



 三階実習棟


 生徒の行き来が絶えない教室棟とは対照的に、実習棟には基本的に先生以外が通ることはないので雪と二人で話すのには丁度よい。

 俺は単刀直入に問う。

「それで、何があったの?」

「……結希のことなんだけど」

「結希?」

 最初はてっきり、雪の部活やクラスでの人間関係についての相談かと思ったが違

うようだ。

 雪は覚悟を決めたかのように深呼吸をし、俺の目を見て口を開いた。

「結希……最近、嫌がらせを受けてるみたいで……」


 それから雪の話を聞いた。

 情報を整理すると、結希は今年の始め辺りから誰かから嫌がらせを受けていた。

 最初は謂れのない悪口が書かれた手紙が靴箱に入っていたことに始まった。その時点では彼女は誰にも相談せずにスルーしていたそうだ。

 やがてそれがエスカレートしていき、靴の中に砂やゴミを入れられたり、スパイクを散らかされたり、彼女のアイスバックが捨てられたりと、時間と共に陰湿さを増していった。

 それらと直接の因果関係があるかは定かではないが、徐々に彼女はスランプに陥った。

 それでも彼女はできるだけ明るく振るまい、事態が収束するのを待った。だが確実に、精神的に彼女は削られていった。

 ついには、彼女は一昨日の部活の練習中に倒れた。

 主な原因はここ最近のストレスによる食欲不振、またそれによる体重の激減や栄養不足等。

 当然ドクターストップがかかり、彼女はしばらく部活を休むように言われた。

 そして昨日、放課後に部活ができなくなった彼女は下駄箱に入っていた手紙を読んだ。

 手紙にはこのように書かれていた。

『お前には才能も価値もなにもない。』

  この一文だけを見ると、さほど大したことは無いように感じるかもしれない。普通の高校生ならこんな手紙を渡されてもクエスチョンマークを浮かべるだけだろう。

 だが彼女には……スランプに陥ってしまい、自分の居場所である部活に参加できなくなった結希には、その言葉はあまりにも殺傷力を伴っていた。

 やがて堪えきれなくなった結希は雪に相談し、今に至る。


「……結希は学校には来てるの?」

「一応。だけど今日はまだ直接話せてはいないの」

 なるほど。どうやら不登校にはなっていないらしい。

「状況は大体分かった。それで、雪はどうしたいの?」

 問題はそこなのだ。ただ同情してほしいだけなら彼女は結希のことをこの場で話さなかっただろう。

「私は…………陸上部に復帰とか犯人探しとかそういうのは一旦置いておいて、とりあえずは結希には、今まで通りに元気でいてほしい」

 要するに、彼女の精神状態を最優先する、と。

 雪は背筋を伸ばして、改まった様子でこちらを向いた。

「それでね、広行にお願いがあるんだけど……」

 さて、雪からどんなことを頼まれるのか。

「結希を励ましてほしいの」

 励ます、か。

「それは雪じゃダメなの?」

 ちょっと話したことがあるだけの俺よりも雪のほうが適任だろう。

 俺が訪ねると、雪は悔しそうな表情で下を向いた。

「これから新入部員の相手とか、近くの道場への出稽古とか、他校との合同稽古とかでしばらく休めそうになくて……スマホ越しに励ますので精一杯」

「あぁ、次期部長だしなおさら忙しいのか」

 雪は首を縦に振った。

 励ますといっても俺にそんなことができるのだろうか。

 だが雪が勇気を振り絞って俺を頼ってくれたのだ。ここで断るという選択肢はない。

「……分かった」

 俺の答えを聞き、雪は少しホッとしたような表情をした。

「ごめんね、変なこと頼んで」

「別に雪は悪くないでしょ」

 それに、帰宅部だから特にすることも無かったし。

 雪が真剣な眼差しを向けてくる。

「結希のこと、お願い」

 ……これで、真理さんが言っていた『雪の支え』になれるのだろうか。

「いいよ。可愛い妹の頼みだしな」

 少しくだけた口調で言うと、雪はなぜか顔を赤くして硬直した。

「か、かわ……」

「え?」

「ううん、なんでもない! 先に教室に帰るね!」

 少し捲し立てた雪はそれだけ言い残し、駆け足で帰っていった。


 ……さーて、どうするかな。

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