Spring of beginning

第19話 災難

3月28日


 新年度の始まりが間近になっていた。

 引っ越してきてからまだ10日ほどしか経ってないがここでの生活にも慣れ始め、岸田家との距離感も掴めてきた。

「……ハァッハァッ」

 俺は夕食前にランニングをしていた。雪も誘おうかと考えたが、新入生へのオリエンテーションの段取り決めとやらがあるらしいので諦めた。

 近所の公園が視界に入ってきた。恐らくあと十分もしないうちに家に着くだろう。

 今日の晩御飯はなんだろうか。そんなことを考えながら走っていると、公園の砂場にいる一人の少女が目に留まった。

「…………」

 俺は立ち止まってその少女の方へ視線を固定した。先に言っておくが俺はロリコンでもないし特殊な性癖も持ち合わせてはいない。

 俺が少女を見ていた理由はただ一つ、その子の背後から不審者らしき人が近づいていたからだ。

 そいつの服装は上下黒ジャージにサングラス、黒ニット帽、極めつけにマスクまでしている。不審者らしき人というよりも完璧に不審者だった。

 ……さて、どうしよう。

 マンガやアニメのヒーローならば不審者に飛び膝蹴りを見舞って颯爽と姿を消すのだろうが、残念ながら俺はそんな勇気は持ち合わせていない。

 今から110番を掛けたところで、警察が駆けつけた頃には手遅れになっているだろう。

 けれども相手が武器を持っている可能性もあるので、迂闊に近づくことは避けたい。

 なにか武器になりそうなものがあれば良かったのだが、当然ながら公園にそんなものはなく、ゴミ箱もないので周りにあるものを使うのは無理だ。自分が身に付け

ているものと言えば、スマホとドリンクボトルのみ。

 ……あ。

 一つ解決策が浮かんだ。

 が、あまり上手くいく気がしない。


 躊躇っているうちに不審者が少女に話しかけた。やがて不穏な雰囲気を感じ取ったのか少女の顔が険しくなる。

 もはや迷っている余裕もなかった。

 俺は急いで公園の中に入り、二人がいる場所へダッシュした。

 ある程度近づいたところで、俺の足音に気づいたのか、二人は顔を俺の方へ向けた。

「ぅおらぁっ!」

 それと同時にドリンクボトルをそいつの顔にめがけて投げつけた。

「な……」

 ガッという鈍い音と共にボトルがそいつの顎にヒットした。そして相手が後退しているうちに、少女を庇うように間に割り込んだ

 一瞬だが、確かに低い声が聞こえた。そいつの性別は男とみて間違いないだろう。

  当たったのはいいもの、それは液体の入ったプラスチック容器にすぎない。せいぜい相手をびっくりさせることができただけだ。

 男は面食らっているようだがすぐに体勢を立て直し、こちらに背を向け走り出した。

「あっ……」

 その男の姿を撮っておこうと思い、スマホを取り出したが、相手が異様に走るのが早く、カメラを起動したときには見えなくなっていた。

「…………」 

「…………」

 そして公園には俺と少女が取り残された。

 ……こういうときはどうすればいいんだろうか。

 考え込んでいると、向こうが話しかけてきた。

「ありがとう……」

 少女はペコリと頭を下げた。

「あ、どういたしまして」

 近頃の小学生はしっかりしてるんだな~、と少し感心させられた。いや、感心してる場合じゃない。

 できるだけ威圧感を与えないように少し屈んだ。

「えっと……あの人に何かされた?」

「うん……『僕と遊ばないかい』って言われて、『いや』って言ったら『いいから来い』って言われて……」

「そっか……嫌だったら言わなくてもいいけど、君の家はこのあたり?」

「うん、あのマンション」

 そして少女は一方向を指差した。

 少女が指した所にはベージュの少し高級感の漂うマンションが建っていた。ここからならそう遠くもない。

「心配だから送ってくよ。いい?」

 少女はコクりと首を縦に振った。

 少しだけだけど嬉しそうだった。




 そして少女をマンションの入り口まで送ったあと、家に帰った。

 投げたボトルのことを忘れていたので回収しにいったが、当たったときの衝撃か、蓋の部分が取れていた。つい最近買ったばっかりなので少し残念だったが気にしないことにした。さよなら相棒(税抜き300円)。

「ただいま」

「おかえり、もう少しでご飯できるわよ」

 キッチンの方から真理さんの声が響いてきた。

「シャワー浴びてきます」

 とりあえずは汗を流さねば。まだ外は寒さが残るが、先程の件のこともあってか、いつも以上に汗でグッショリしている気がする。


 ……もうあんな目に遭うのは勘弁したい。

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