10-2 助けに行かなくちゃ

おれの携帯が鳴った。珍しい。啓太から電話なんて。


「おい、お前の妹、誰かにつけられてたみたいだぜ」

「それはまずい。大変な事になる」


「瑞希さん、おれ今日は先に行きます」


 どこを探せばいい。おれならあいつの考えを読めるはずだ。充希はきっと人気のない場所に向かう。そう、この時間なら公園だな。


「ギャーッ」


公園の木の陰から悲鳴が聞こえた。おれは全力でかけだした。


「遅かったか」


 木の葉の上に、誰かが倒され、その右腕にがっちり充希の関節技が決まっていた。

愚かなハンターは狡猾な獣を狙ってるつもりで、狩られてるのは自分だという事に気づかない。鋭い牙と爪に引き裂かれるまで。


「お義兄ちゃん以外の人には触りたくないから、男の人とは組み手をしないって決めてたのに。本当にしたくないから最後の手段だったけど。よくもあたしに技をかけさせたわね。この世であたしの技を受けてもいいのはお義兄ちゃんだけだったのに」


だから、そんな愛いらないって言ったよね。充希はプロみたいなごっついグローブを付けていた。ジャージにグローブ。フルコンタクトの格闘家のように見えなくもない。


「あんた、前にも女の子にひどいことしたでしょ。何回も。許せない」


骨の髄から憎しみが込められたような声だった。いや、前のことはともかく、今日はひどいことされてる方なんじゃ。


「いたい、いたい。折れる、折れる」

「今回は折らないであげるわよ。たぶん、右手を使わずに1週間ぐらい安静にしてれば治るでしょ。でも、もしも、このことを誰かにしゃべったり、SNSに投稿したりしたら、次は確実に右手を折るわよ。それでもしゃべったら、次は左手。その次は両足。楽しくなるはずだった高校生活の大半を病院で過ごしたくなかったら、沈黙を守りなさい。わかった? 返事は?」

「何でも言う事をきくよ」

「じゃあ、二度とあたしたちに近づかないで。それからこれ以上、女の子に何かしたら生まれてきた事を後悔させるわよ」

「わかったよ」

「本当に? 挨拶代わりにここで折っといてあげてもいいのよ。先生には『夢中で抵抗してたから、何がどうなったのか、よくわかりません。気づいたらこうなってました』って言い訳すればいいんだから。あんたみたいな卑怯者が何を言ったって誰も信じないからね」


「おい、充希。いくら何でも、それぐらいにしとけ。もう十分おびえてるよ」


 充希はそいつの腕を放すと、おれの方を見た。


「お義兄ちゃん」


 立ち上がると、アイスホッケー選手が乱闘を始めるときのように素早くグローブを脱ぎ捨てた。素手になって突進してきた。


な、なぐられる。と思ったら、胸のあたりに強力なタックルが。

おれはそのまま後ろに倒れ込んだ。


「怖かったよぉー」


ウソ泣きをするな。怖い思いをしたのは、お前以外のここにいる全人類だ。


「でも、きっと助けに来てくれるって信じてたよぉー」


おれが助けに来たのはお前じゃない。


「心配してきてくれたんだね。うれしいよぉー」


 ああ確かに本気で心配したよ。お前が傷害事件の被疑者になるんじゃないかってな。少年法で14歳以上は刑事処分の可能性があるんだぞ。


「イッテーな。ドサクサに紛れて技をかけるんじゃねーよ」

「えーっ、何言ってるの。熱い抱擁じゃない」


 違う。素人だと思ってだまそうとするな。これは「鯖折り」とか「何とか挟み」とかいう技だ。打撃、投げ、絞め技。いったい、充希の流派は何なんだ? オールマイティー過ぎるだろ。


「えへっ。汚いモノ触っちゃったから、消毒」

「こら、だから、絞めつけるんじゃない」

「もう、ムードがないんだから。これだけ盛り上がってるんだから、ここは助けた姫に熱いベーゼの場面でしょ」

「人の腰をいわそうとしながら、そんなこと言っても全然かわいくないぞ」


 しかし、充希は、そこに倒れているバカ男子にもおれにも本性がばれているのに、何でこんなウソくさい演技をするんだ。


「よう、気になって来てみれば、お熱いねえ」


啓太が現れた。この状況の中で、第三の男子が近くにいる気配を察知してたのか。本当に狡猾な野獣のような義妹だ。


「おまえ、どうしてここがわかった?」

「おまえが猛ダッシュしてるのが見えたんだよ」

「相変わらず、視力だけはマサイ族並みだな」

「ストーカーは?」

「どっか行ったみたいだな」

「教師に報告するか」

「ダイジョウブ。お義兄ちゃんが説得してくれたら、もうしないって」

「それは、それは」

「いつもは頼りないのに、今日はカッコよかったんだよ。見直しちゃった」


そりゃあ、間抜けなハンターに襲いかかった猛獣を己の身の危険も顧みずに制したんだ。カッコいいさ。おれの勇気を褒めてあげたい。


「いや、充希。グッ」


 腰のあたりにかかる締め付けが「余計な事を言うな」と言っていた。


「わかった。わかったから離れろ」

「やだあ、まだ、怖いよ」


だから、怖いのはお前だってもう何万回・・・。


「こら、力を込めるんじゃない。それで、あのグローブは・・・」

「何の事。ああ、あれ。しょうがないわね、こんなところにゴミを捨てる人がいるなんて。誰かしら。不潔だから焼却炉で燃やしてもらいましょ」


充希はカバンからビニール袋を取り出し、グローブを入れた。こいつ、ホントに燃やす気だな。


 3人で改めて登校することになった。


「おい、いつまでくっついてるんだ」


充希はさっきからずっとおれの腰に手を回したまま歩いている。


「だって、まだあたしの傷ついた心は癒やされてないもん」

「こら、絞めるな。おれの体は傷ついてもいいのか。ほかの生徒に見られるだろ。変な噂になったらどうするんだ」

「いいの。噂にしてくれた方が都合がいいでしょ」

「何言ってんだ」

「いいから」


「ウウッ」


正門を入ると、充希はおれに寄りかかったまま、ウソ泣きを始めた。


「いや、さすがにそれは反則でしょ。人の道にはずれてるよ」

「シッ。静かにして」


「どうしたの」


充希のクラスメートの女子たちが駆け寄ってくる。その中の1人に抱きついて、まだウソ泣きを続けている。


「どうして、ジャージなの。ひどい、制服が泥だらけじゃない。わたしが洗ってあげるから泣かないで」


 えっ、いつの間に泥なんか付けておいたんだ。こ、こいつは、イヤ、すべての女子は悪魔だ。


「おい、逃げるぞ」


おれはあっけにとられている啓太を引っ張って、教室に向かった。これ以上、注目を浴びるのはいたたまれない。


「なあ、妹ちゃん、いつの間に制服からジャージに着替えたんだ。お前に抱きついてるときはもうジャージだった気がするけど」


 最初から制服は着ていない。それは秘密だけど。


 1限目が終わったら、職員室に呼ばれた。


「おまえの妹がショックを受けてるらしい。事情は知ってるんだろ。今日はもう帰っていいから、家まで送っていけ」

「いや、おれ授業が・・・」

「授業と妹とどっちが大切なんだ。いいから、送って行きなさい」


授業に決まってるだろ。おれは高3だぞ。推薦入試の点数に響くわ。


 保健室で暗い顔をしていた充希は、おれの姿を見ると、パーッと明るい顔になった。


「一緒に帰る事になったぞ」


おれはチョー不満だったが、そんな事はお構いなしのようだ。

なんか楽しそうに歩いている。ショックを受けてるフリはどうした。


「今日は助けてくれてありがとう」

「おまえ、グローブはめてるときは本当に記憶が消えるのか? それは多重人格だから医者に診てもらえ」

「助けに来てくれたのは本当じゃない」

「助けようとしたのはケガをさせられた方だ。間に合わなかったがな」

「でも、心配だから来てくれたんでしょう」

「身内から犯罪者を出したくないからだ。いくらなんでも利き腕を折るまでやろうとするのはヤバ過ぎるぞ」

「あんなやつ。もっとひどい目にあわせてやればよかった」


「ところで、今日は何でジャージを着て行ったんだ」

「制服が汚れたらイヤじゃない」

「自分で泥つけて汚してたじゃねーか。意味わからねーぞ」

「汚れるって、気持ち的な意味よ。本当はジャージも捨てちゃいたいな。それに・・・」

「なに?」

「関節技決めるときに、あんなやつにストッキング触られたくないじゃない。関節技決めるときに触ってもいいのはお義兄ちゃんだけよ。なんなら、関節技決めるときに生足も触っていいわよ」

「なんで、もれなく関節技がセットなんだよ」

「だって、お義兄ちゃんってマゾでしょ。ご褒美よ」

「チガウわっ」


家に着いたから、義務は果たした。


「おれは学校に戻って授業を受ける」

「こんな時ぐらいいっしょにいてよ」

「こんな時ってどんな時だ。おまえが女子の敵のストーカー野郎に天誅を加えてぶちのめしただけだろ。途中からしか見てないが目に浮かぶようだ。顔面へのパンチから流れるような投げ技で地面にたたきつける。何が起きたかわからずに呆然としてる敵を、動けないように2、3回踏みつける。そして、フィニッシュの関節を決めてたところに、悲鳴を聞いたおれが駆けつけた。そんなところだろ」

「・・・」

「図星だったようだな。てか、素人にそこまでやるか」

「ふん、あんな最低な女の敵、死ねばいいのよ」


まあ、おれも素人だけど。でも、おれはずっと充希相手にガードの修業を続けてきたから、奇襲や寝込みを襲われたんでなければ、けっこうブロックや受け身で防げる。

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