9-1 か、か、彼女

 帰りが遅くなった。部屋に入った。充希がおれのベッドで寝ていた。

「こらっ、何してる」

「待ってたら、眠くなっちゃった」

「今日のアポはないはずだ」

義母さん、外からもカギをかけられるようにしてください。

「だって、会ってくれないじゃん」

「なんで、おれが、か、か、彼女より、おまえとの面会を優先しなければならないんだ」

実は、まだ充希の前で瑞希さんを「彼女」と呼んだことはなかった。この際だから、ドサクサに紛れて言ってしまおうと。言った瞬間、充希の瞳が夜中の獣のようにキランと光ったのをおれは見逃さなかった。やっぱり、コエーよ。こいつの中の野獣は死んでない。ちょっと眠ってるだけだ。

「どうして、あたしのこと避けるの?」

おれじゃなくて、自分の胸に聞け。ろくな目に遭わないからに決まってるだろ。

「とにかくだ」。なけなしの威厳をふりしぼり、俺は言った。

「家族の間でもこのような人権侵害的な行いは許されない。すみやかに退去しなさい」

毅然とした態度で充希の腕をつかんだ瞬間、世界が1回転した。何が起こったのかわからないまま、おれはベッドの上で充希にマウントされていた。

「キャーー、殺さないでェー」

「何、言ってんのよ。乱暴なことなんてしないわよ」

こいつ、ついに正体を現しやがった。久しぶりで少々懐かしさすらある。

「もう十分乱暴だと思いますけど」

「これはね、乱暴じゃなくて、せ・い・あ・つって言うの」

なに、その警察みたいなの。

「意味わかるゥ? けがをさせずにィ、自由を奪う、って意味よォ」

本当だ、ゼンゼン動けない。握力や膂力もすごいが、俺の両腕をがっちりとはさみこんでいる両足の技も見事としか言いようがない。これじゃあ、無防備な顔面殴り放題祭じゃん。

「タスケテ」

「どッしよっかなァ。キスしてくれたら許してあげようかなァ」

「それだけはイヤ」

「へえッ、交渉できる立場だと思ってるんだァ。あのねェ、知ってる? たまに制圧で死んじゃう人もいるのよォ」

 ウ、ウソだ、けがをさせずに死なすって何だよ。

両腕の外側から巨大なペンチではさまれたような力がかかった。

「イタイッ。ヒドイッ。乱暴しないって約束したジャナイ」

「だーからー、乱暴じゃなくってせ・い・あ・つ。わかった、じゃあ、キスはやめてあげるけど、あたしのための時間をつくって」

「はいっ、面会時間をつくります」

「じゃなくて、いっしょに出かけるの」

「だからなんで、おまえを彼女より・・・、イタイ、イタイ、やめて」

「彼女」のところで、グッと力が入った。

「つくってくれるわよね」

「ハイ。仰せの通りに」

「何時間?」

「えっと、1時間。イタイッ、イタイッ」

「ふざけるんじゃないわよ。1日よ」

これは、ご・う・も・んだ。CIAもFBIも禁止されてる違法行為だ。ばれなきゃやってもいいらしいけど。


 お約束の瑞希さんとの登校時間。

「あの、」

おれがなんと切り出したらいいか困っていると、氷の女王が絶対零度の女王になった。

「説明しなくていいですよ。全部、聞こえてましたから」

「ええっ、全部。どれぐらい全部? どの辺から?」

 もう、このテンドンいいよね。もう、おなかいっぱいだよ。

「怒ってるんですか?」

「少しだけ。でも、お兄さんがそういう人だとわかってますから。そういう人だから、私は・・・」

瑞希さんが怒ると、瑞希さんもおれも丁寧語になってしまう。

 こういう時、抱きしめて「ぼくには君だけだよ」とか言うと、グーッとムードが盛り上がって、情熱的なキスができて、機嫌が直るんだろうな。でーもー、おれには無理、無理、無理、無理、無理。


***二人の女を相手にどうするの、何を考えてるの***(「おまえもひとり」鈴木康博)


 何で休みの日に、彼女を置いて、義妹と出かけなければならないんだ。彼女も義妹だけど。もう、このテンドンもシツコイよね。

「お兄ちゃんとお出かけなんて珍しいわね」

 いつも通り小田さんじゃない方を聞いている義母から声をかけられた。別々に出かけているのに、どうしていっしょだとわかるのだろう。やはり、3人の中でこの人が一番の謎だ。

「充希ちゃんが嬉しそうだったから」

あれっ?、おれ今、声に出して何も言ってないよね。 

 

 たとえ、拷問されて強要されたものであっても約束は破らないのがおれの主義だ。すっぽかすとか、そんな命知らずではない。

 あの日、ど素人のおれでも悟った。今までただ凶暴なだけの野獣かと思っていたが、充希は何かの有段者だ。そして、ふだん、その実力の1割も見せずに、おれをぶちのめしていたのだ。中3女子とは思えない爆発力に、容赦ない戦闘的な性格。さらには優れた技まで持っていたら、もうウルトラ警備隊の手には負えない。


 充希は待ち合わせの場所に、甘えんぼモード(赤ちゃん返り中学生版とも言う)で来た。だまされるか。本性出して、義兄を痛めつけたくせに。

「ごめんね。あんなことして。痛かった?」

だから、イタイって言ったじゃない。

てか、イタイのはおまえ自身だよ。ほんとに悪かったと思ってるなら、おまえは帰っていいから、彼女とデートさせてくれ。って言える勇気があったらなあ。

 「彼女」という言葉を3回続けて唱えると、充希の中の魔神か何かが発動する気がする。

「えへっ、ツンデレしちゃった」

あのなあ、ツンデレって、重傷を負わせた後に甘えるって意味じゃないぞ。それはDV夫だってばさ。って口に出して言えたらなあ。

 で、瑞希さんとのデートと比べるとゼンゼン普通だった。デ、デートじゃないけど。普通の中高生がするようなことをして、充希は普通に楽しそうだった。まあ、普通の中高生がどういうデートをするのかおれは知らないけど。デ、デートじゃないけど。

 楽しそうにしてる充希を見てるのはなんだか楽しかった。彼女じゃない義妹といて楽しいのはなんだか彼女に悪い気がした。俺にとって充希は女子じゃないからこれは浮気じゃないんだけど。


             ♪♪♪♪さよならを2回言えばいいだけさ♪♪♪♪

                     (「おまえもひとり」鈴木康博)


「どうしたんですか?」

「何が」

「なんかやましそうな顔してますよ」

「いや、意外に楽しかったんで」

いかん、つい正直に。

「私といるときよりも?」

「なんて言うか。小さいころ、家族で出かけたみたいに純粋な感じで」

「私といると不純な感じですか」。

ちょっとだけ意地悪な顔をしている。

おれはしっかり瑞希さんと向き合うと、真剣な顔になった。

「瑞希さんといると、もちろん楽しいけど、なんか苦しくて、ドキドキして、緊張して。おれがそんな風になるのは瑞希さんだけなんで」

やった!、言えた!。うっすらだが、彼女の体温が上がり、顔が上気しているのがわかった。この後はもちろんとても情熱的な空気に。

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