3-1 野良犬にかまれたと思って
「毎朝いっしょに登校して仲いいな」
さっきのことで頭がいっぱいなのに日課のように啓太が寄ってきた。うっとおしい。
「時間が同じだから何となくそうなっただけだ」
興味なさげなポーズで、さっきから続いている動揺を隠した。
「やっぱり、妹と畳は新しい方がいいか」
「おかしなことわざを捏造するな」
「下の妹ちゃんは仲間はずれにして、かわいそうじゃないか」
「時間が合わないんだからしょうがないだろ」
「最近はだだっ子のようにすねて大変だろう。そこがかわいいんだけど」
「また、おまえはそういうマンガを読んでるのか」
♪♪♪♪一番大切なのは その日その時♪♪♪♪
(「のがすなチャンスを」鈴木康博)
「今日はみんな静かね」。
いつものように小田さんじゃない方を聞きながら義母が言った。
授業中も、家に帰ってからも、夕食の時もずっと上の空だった。本当にあんなことあったんだろうか。彼女どころか、名字を呼び捨てにできる女子すらいたことのない俺があんなことを?
気づいたら体が動いてたなんて、どこのチャラ男だよ。絶対おれとは別人だ。昼間から目を開けたまま夢でも見てたとしか。
亡くなった実の母の年の離れた弟はすごいイケメン。若いころからめちゃめちゃ女性に手が早かったという。いままで自分と似ていると思ったことがないが、あのおじさんと同じ遺伝子がおれの中にも隠れて眠っていたのか。
瑞希さんは何もなかったようにいつものように清楚で落ち着いてるし。俺にはまだ瑞希さんの心の内は読めないけど。
充希なら簡単だ。なんか知らんがむちゃくちゃ機嫌が悪い。他人にはわかるまいが、俺には見える。炎の女王のオーラをまとっているのが。そのせいであいつの周りの空間が少しゆがんでる。マイクロブラックホールみたいなやつだ。こいつが怒っている理由があれを見たせいだとしたら、やっぱりあれは現実だったんだ。
ここに留まっていたって幸せは来そうにないから、早々に退散することに決めた。
俺の部屋は物置といっても広さは前とそう変わらないし、PCなどの接続環境も不自由はない。ただし一つだけ、今は瑞希さんが使っている部屋や充希の部屋と重大な違いがある。この家の最初の持ち主はアメリカナイズされた人だったそうで、子供部屋にも内鍵がかかる。アメリカ人は子供といえども人権とプライバシーを尊重する素晴らしい国民なのだ。ハイスクールのませガキがボーイフレンドやガールフレンドを連れてきて、あーんなことやこーんなことをしようと盛り上がっているとき、出番を待っていたとしか思えない母親がノックもなしに、絶妙なタイミングでケーキとお茶を持ってくる。日本なら毎週どれかひとつのマンガ雑誌に載っているようなシーンがアメリカではないのだ。(注:主人公は誰に吹き込まれたのか、アメリカ人の家庭について根強い偏見を持っています)
そんなアメリカンティーンエージャーな嬉し楽し活用法を経験するチャンスはなかったが、それまで外から侵入を受けない部屋に慣れていた身が他人の出入り自由な部屋に急な所替えをされるといろいろ支障がある。
なお、外からは鍵をかけられないので、前にも述べたとおり、留守中に母親や山猿などが侵入することはこれまでも防げなかった。
眠りに落ちる前、意識があるのかないのかはっきりしないまどろみの時間、10代の男子はよくサキュバスの餌食になる。当然、今日の俺には、サキュバスは瑞希さんに化けてベッドの布団の中に忍んできた。いかん、こんな夢を見たら明日顔を合わせられない。
でも、これって夢なのか。この唇や胸の感触、なんか・・・、本物の・・・・。
「瑞希さん・・・、ぎゃっ」
突然、胸のあたりにシャレにならない激痛が走った。なんと乳首がちぎれるんじゃないかってぐらい直に思いっきりかまれたのだ。この町内にこんなデインジャラスな生き物は1個体しか生息していない。
「えっ、充希。おまえ何してるんだ」
にしても信じられない。自分の家族にこんなことをする霊長類がいるなんて。山猿どころか野犬だ。
「うるさい。静かにしないと大声出すわよ」
「それって脅迫として成立してないぞ」
おれは傷のあたりを押さえながら、虚勢をはった。暗くてよく見えないが、血が出ているんじゃないか。ついでに涙も出そうだ。
「お兄ちゃんに無理やり連れ込まれたって言うわよ」
「その設定は無理があるだろう」
こんな凶暴な野獣を麻酔銃も檻もなしにどうやって連れてくるんだ。おやじは充希を実の娘のように溺愛しているから言い訳する間もなくボコられるかもだが。そう、この充希を観光客から食べ物をかっさらう山猿のごとく増長させた元凶は義娘にあまい俺の実の父親だ。
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