終末ラジオ
砂嵐の中、蜃気楼の如くそびえ立つ一つの建物があった。砂色で埋め尽くされた世界にあってそれは確かに確固たる形を保ってそこに存在している。
中では、かつて人が生活していた残り香が漂っている。今となっては誰も仕組みを理解することが出来ない電化製品の数々。そのうち、今も尚稼働し続けるのは一つだけ。
それはラジオだ。ラジオは、辛うじて生き残る地下ケーブルの電線から伝わる僅かな電気でもって稼働を続けており、戦争で使われたジャミング兵器による電波障害の中、時たまに誰かが発するラジオ放送、国家や軍のプロパガンダ放送が流れ出す。そして、それを聴くものは既に一人も居ない。この建物の中では、ラジオただそれ一つだけが生きていた。
外の世界に砂嵐が吹き荒れている時、ラジオもまた砂嵐を音として吐き出す。ザー、とノイズだけが鳴り響く。やがてノイズにはあるリズムに乗った音声がザラつきの中に浮かびだす。
「やあ! 届いているかな? これはラジオ放送を今も視聴する誰かが居て、その誰かがこれを耳にしていると信じて配信されている……最近俺は、考えることがある。こうして俺達の世界が終わりに近付いて行くにつれ、そうした人類の最期の瞬間に流れ出る音楽はなんだ? って。そう、もう俺達には死ぬまでの残りの時間、考える以外に出来ることがないんだ。だから俺は……音楽以外に知っていることが何一つないから、さっき言ったようなことを。つまり、人類の終末の最期の瞬間に、どんな曲が流れるのか、ということを考えるんだ……色々考えたが、どうもイマイチどれもピンとこない。けれど、俺が流すこの音楽が、これを聴く誰かにとっての最期の音楽になるという可能性を考えて、いつも音楽を流している……本当はポップなものを流してもいいんだが、最期にそれじゃあ締まりがないから、毎回毎回、重々しい曲ばかり流してしまう……それじゃあ、聴いてくれ。チャイコフスキーで序曲『1812年』だ」
その後に、ヴィオラとチェロの穏やかな音律が流れ始めたが、それも徐々にノイズが強まっていき、最後にはノイズのみが残った。そのノイズにもまた、徐々に別の声らしきものが入り混じり出した。
「私が……私が間違っていたのかもしれない。何故私はあの時、あのようなことをしてしまったのだろうか。私は、民衆が望むままに事を成したというだけなのに、何故……何故。私が受けるべき報いがあるというのは理解出来る。しかしこれは私という一個人にかかるものとしては過大にすぎるものだ。私はただ、民衆の望むがままに政治を行ったというだけに過ぎない。私は、私は……この音楽は、ニールセンか? 最期に流れるのはあまりに皮肉な楽曲だ。これは交響曲第四番……『不滅』じゃないか! 全く、お笑いだ。ハハ、ハハハハ……」
「兵士諸君。私だ。将軍だ。この戦争によって数多の命が失われた。では我々は敗北したのだろうか? 否、我々は負けていない。勝利の美酒を味わう、その一歩手前まで来ているのだ。長く続いたこの戦争もようやく終わりに近付いてきているのだ。あの憎き敵達の喉元を刃でついて、そのドス黒い血を地べたに流させ、今までの罪を懺悔させるその日が来るのだ。私の愛する兵士諸君よ。我々は負けない。我々は勝利するのだ。祖国に平和を。全ての国民に愛を。そして、憎き敵には銃弾を!」
「勇敢なる国民の皆さん。私は、国家と国民の自由のために戦う皆さんを尊敬し、崇めてさえいます。私達は長い間、辛く苦しい戦いを続けてきました。ですが、いよいよ勝利の日は近付いているのです。私達の主義、思想こそが正しかったのだということが今、歴史の壇上において証明されようとしているのです。敵は被告側に立ち、我々は原告として彼らを断罪するのです。彼らを法と平等の名をもって裁くその時まで、私達はあなた達の味方です」
「ことここに至り、もはや世界の終焉は避け得ざるものとして我々の前にあります。ですが、皆さん。私の愛する人類諸君。恐れることはありません。死とは全ての終わりであり、同時に始まりでもあるのです。我々は確かに……失敗した。ですが、我々が生きていること。そして死ぬこととは、決して無為なものではないのです。我々は死すことで新たな段階へと進むことが出来るのです……」
ノイズは強まり、言葉は遠のいた。ザー、という音がラジオから発せられている。
風が吹いた。
その風は強く、建物の中にまで入り込み、ひゅうひゅうと音を立てた。その風にあおられ、ラジオは倒れ、その衝撃が回路に伝わり、ラジオはまた別の電波を拾い始めた。
「ガガッ――おい、誰か。居ない――クソ――!!。まるで――誰でもいい。誰でも。生き残りがいれば――合流しよう。戦場は――戦闘になっていない。――クソ――俺は諦める気はッないんだ! 戦争どころじゃない。死にたくない。まだ、まだ俺は死なない。誰でもいい。誰か……チャイコフスキー? 冗談じゃねえ!」
またノイズが強まった。誰が操作しているでもないラジオは、好き勝手に拾えるだけの電波を拾って、それを流し続けている。
「ねえ、聞こえているかしら?……ブラック・デイジーよ。兵士の皆さん、お疲れ様です。でももう、それどころじゃないわよね、きっと。みんな生き残るために必死で、この放送も当初の予定とは変わって、私が好きにやっているわ。本部からの命令通知も来なくなって、放送局には私しか居ないの……ねえ、生きている人もきっと居るんでしょう。だから、私が放送する曲を聴いてくれる人もきっと居るんだって、そう思って……流すわ。もう不似合いかもしれないけれど、私が好きな曲。カール・ニールセン『交響曲第四番』」
「人類史における最後の戦争を争った将軍。全く、名誉なことだ……しかし、そう考えれば私の指揮というのは、少々拙かったかなと考えてしまう。しかし、しかしだ……人類最後の戦争を敬虔した者は他におらんのだから、多少の失敗は許されて良いであろう……まあしかし、人類を滅ぼした大罪人であるという事実からは逃れようもあるまい。私は……私のすべきことをした。そうして、世界は終焉を迎える。大罪人の役回りぐらいは引き受けなければ、後世に……もはや『後世』なるものは存在し得ないとしても、恥ずかしいではないか……」
ラジオからは銃声が鳴り響いた。
ノイズ。
また、ノイズが響き始めた。その時間は長い……永く、永くノイズが流れ、その後に一瞬だけ、また電波を拾い始めた。
「世界の終わりを前にして、私はこの問いかけを発して、人類史に遺される最期の言葉としたい。つまり……我々は間違っていたのか、ではなく、我々は後悔のない選択を取ったか否かということである。もし同じ場面、同じ状況に自己が置かれたとして、果たして我々は同じ過ちを繰り返すのか、否か……私は考える。私は、同じことをするであろう。私は、私であるということからは逃れられないのであるから、やはり……同じことを繰り返し、同じ過ちをおかし、同じように死んでいくだろう。だから……だから。私は。後悔していないんだ」
やがてまた、ラジオは永く、永くノイズを響かせ、そうして最期に、何処からか流れてきた音楽が響き渡った。
Ave Maria, gratia plena
Maria,gratia plena
Maria,gratia plena
Ave,Ave Dominus
Dominus tecum
……
それを最期に、ラジオは止まった。もはや、ノイズさえ流れ出なかった。
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