親切な天使

「ああ、どっかに大金落ちてねーかなあ」

 ニュースなんかで、道端に放置されてた大金を拾って大騒ぎになったなんて報道がされたりするが、俺はああいうのが不思議でならなかった。何故それを使わないんだろう。俺だったら綺麗さっぱり使い切って見せるのに。俺はいつもそう思っていた。

 さて、今俺は喫茶店のカウンター席に座って珈琲を飲んでいる。俺は売れない脚本家だ。喫茶店の椅子にどっしり座り込みながら、何かアイデアに繋がるような面白い出来事でも起きてくれたら……そんなことを考えていたら、俺の隣に一人の女性が座った。

「隣、失礼しますね」

 女性は俺に笑いかける。その女性は美人だった。そして彼女は俺に声をかけてきた。

「すいません。今はお暇でしょうか」

「どうしました?」

「いえ、あなたに話があって」

「なんだ。マルチ商法か」

「いいえ」

「じゃ、霊感商法か。或いは宗教か?」

「いいえ。第一、何かを信じていいことなんてありませんよ」

「無神論者なんだな」

「いえ、決してそんなことはないですね。そもそも私、天使ですし」

「は?」

「何を仰りたいのか、よく理解できます。私を電波ちゃんだとでも思っているのでしょう」

「大当たりだ」

「証拠を示せればいいんですけれどね」

「じゃあ、手のひらから純金の塊でも出してくれよ」

「ふふ。いいでしょう、やってみせましょう」

 彼女は左手をぎゅっと強く握り締めた。そして、左手の中で何かが膨らんでいくような、そんな動きがあった後に、手を開いた。

 そこには、金に輝く手のひらサイズの塊が一つあった。

「……どんな手品だ? これは」

「嫌ですねえ。手品じゃないですよ。私の能力の一部です。いわゆる『奇跡』ってやつですよ」

「驚いた。なんとすごい……ところで、これ貰っちゃ駄目?」

「駄目です」

 彼女はそれをすぐさま握り直す。すると手の中にあったあの金塊が縮んでいき、やがてなくなっていくのが理解出来た。

「あああああ……」

「信じてくれますか?」

「信じるからさっきの金塊をまた出して俺にくれよ」

 俺の切実な懇願を無視し、彼女は別の話を切り出す。

「信じてくれたなら何よりです。何せこれから私はあなたに、良い話をしようと思うからです」

「良い話?」

「あなた、お金、欲しくないですか?」

「いつでもいくらでも欲しい。明日死ぬと知っていようと俺はお金が欲しいんだ」

「そうです。つまり今回の話は、そんなような話なんですよ」

「どういう意味だ?」

「……ときにあなた、自分が生涯どれだけのお金を稼げるか、考えたことはありますか?」

「まあ、それぐらいは」

「私共がざっと調べた結果ですが、あなたが生涯に稼ぐ金額はおよそ四千四百万円程度ではないかと思われます」

「……いまいちぴんと来ないんだが、それは多いのか?」

「フリーターの生涯賃金はおよそ五千万ほどではないかと言われています」

「六百万少ないんじゃねえかっ!」

「まあ、そういうことです……でも、人生って色々ありますよね。突然事故に遭ったり、詐欺にあったり」

「おい、お前ららなら先のことまで予想出来るんじゃないのかよ」

「勿論、この先の世の中で何が起きるのか、大体のことは分かります」

「それなら」

「ですがそれは言うなればマクロの……全体の枠での話です。私たちは一人の人間がどう生きるかというような細かい部分を把握し切れないのです。全く、神は実に雑な世界をお作りになった」

「おいおい、そんなこと言っていいのかよ」

「あの方々は私みたいな末端の話にはいちいち耳を傾けていませんよ」

「神はいつもあなたの隣に居るって聖書に書いていなかったか」

「そう思います?」

「思わないな」

「そういうことです。大体、細かな確率まで分かるようなら、神はいちいちベガスに行ってギャンブルに興じたりはしませんよ」

「マジかよ。神はそこまで自由にやっているのか」

「おっと、口が滑りました。まあとにかく、人生一寸先は闇ってことです」

 天使なのに、言うことがいちいち暗い。

「そこで、あなたが生涯に稼ぐ賃金の八割を渡す、その代わり一週間後には確実に死亡する、というプランを我々は考えたのです」

 俺は思いついた質問を先から全て口に出し、彼女にぶつけた。

「まず、何故八割なんだ? 二割はどこに消えるんだ」

 彼女は答えた。

「そこは、将来何が起こるか分からない、不確定要素がある分の、いわば利息です。そうでないと、私達も成り立ちませんからね。しかも一割は上層部に持っていかれます」

「世知辛いな」

「ええ、全くです」

 しかし俺はここで話を切る気はなかった。実のところ俺はこの話に興味があるのだ。

「確実に死ぬっていうのは、具体的には?」

「色々バリエーションはありますけれど、基本的には苦しまない方法です。一発でこっちの世界に送って貰えるような方法ですよ。半端に生きて苦しむなんてことだけは絶対に、絶対にないので安心してください」

 最後の繰り返しがとてつもなく不安である。その時には意地でも殺さなければならないという彼女の意志が伝わってくる。

「……そのお金は、自由に使っていいのか?」

「ええ。基本的にはそうです」

「ならじゃあ、俺が脚本を書いた映画を」

「それは駄目です!」

 いきなり引っ掛かってしまった。

「なんで?」

「死後何かが残るような形でお金を使うのは、基本的にアウトです。親に家を買うとか、株を買うとか、お墓を作るとか、銅像を建てるとか……」

「おいおい、それは意外と強い制約なんじゃないのか」

「そうでもないですよ。例えば境界線上にある事例として、それで得たお金で借金を全額返済するというのは、一応許されています。それにもし仮に死後、お金が残ってしまうようでもかまわないですし、没収もされません。親孝行したいと言うのなら、お金を丸ごと残しておくというのもありです。けれど考えても見て下さい。死後の世界にお金は持っていけないんですよ。なのに、普通に生活して一週間後には自分が死ぬなんて、ちょっと勿体なくないですか? それならいっそ、自分が味わうことの出来る、最高の贅沢をし尽くしてから死ぬ方が、絶対にお得ですよ」

 こいつの言っていることは天使というより悪魔だ、と俺は思った。

「さあ、どうなされますか。契約したいと言うのなら今すぐにでも可能ですが、とにかくあなたが後悔しないことが大事です。こんな話をしてまわっている身ではありますが、人の生き死にというのはそんなに軽いものではないのですから」

「契約だ」

「……真剣に考えましょうよ。本当に死ぬんですよ? いいんですか?」

「持ちかけたのはそっちだろう。何を動揺することがある」

「いえ、過去の事例ですと……例えば、悪魔祓いやら、逆にサタニストやらを呼び込んだ人も居ますし、そこまであっさり決められると、裏があると疑わざるをえないんですよ」

「……そいつ、どうなったんだ?」

「因果律を捻じ曲げて、関係者を全員死亡或いは証言不可能な状態に追い込みました。その案件を取った天使は天国から追放され、今では地獄で働いているようです」

「文字通りの堕天使だな」

「その通りです……で、本当に契約するんですか。決まったらもう引っ繰り返せませんよ。一週間後には確実にあの世に行ってもらいますよ」

「ああ、いいとも。脚本家としては、どうやら芽は出ないようだし」

「では、契約成立です。あなたの家にお金が置かれているはずですので、自由にお使い下さい。ですが、出来れば銀行等には振り込まないように」

「何故?」

「足がつくからですよ。私達が居た証拠は、限りなくゼロに近付けなければならないので。では」

 すると彼女はカウンターに千円札を一枚おいて、その場を立ち去った。俺もすぐに支払いをして彼女を追い掛けたが、彼女はもう何処にもいなかった。

 さて、そんなこんなで俺はそのような胡散臭い契約をしてしまい、今回のことをそのまま脚本にでもしてやろうと思ったのだが……どうやら、この話は本当だったようだ。

 俺の住む四畳半の部屋のど真ん中に、沢山の金が置かれていた。数はかぞえていないが、彼女の話を信じるには恐らく三千五百万円ちょっとあるだろう。

 とにかく俺は、今から一週間、この世に存在するありとあらゆる贅沢を、ここにある金で味わい尽くさねばならない。勿論溜めておくという手もあるにはあるが、実際に死んだら、後悔するにも出来なくなる。

 俺はとにかくこの金をぱーっと使おうと考えた。劇団の皆を最高級焼肉だの寿司だのに連れ回したり、映画館を貸し切って俺の大好きな過去の映画を上映してもらったりだ。

 残された時間を考えて、出来る限り短い時間で金を使い切ることの出来るような、そんな娯楽ばかりを選んだ。そうして俺は彼女が言う一週間後には、そのお金を大方使い切っていた。

 俺は、彼女と出会ったあの馴染みの喫茶店で珈琲を飲んでいた。

 さて、入店直後のことだった。彼女は一週間前のあの日と同じように、彼女は俺の隣に座る。

「お久しぶりです」

「ああ、どうも。一週間、贅沢し尽くしたよ。もう後悔もない。ひとおもいにやってくれや」

「ええ、そのつもりです。ですがその前にいくつか、お話をしたいなと思いまして」

「へえ、そりゃ一体どんな?」

「……そうですね。前置きが必要です。事前の説明ですね。あなたはアドルフ・ヒトラーを知っていますか?」

「知っているさそりゃ」

「彼はドイツで独裁者として君臨しましたが、実のところそれは、彼でなくても良かったんです」

「というのは?」

「例えば彼が第一次世界大戦で戦死したとしても、誰か別の者が同じような組織を作り上げるには違いなかった。そういうことです。そして我々はそんな大きな流れを把握してはいますが、どの人間がそういった役割を演ずることになるのかについては、ほぼ全くと言っていいほど無知なのです」

「……一週間前にも、似たような話をしたな」

「ですが、私達はそんな細かい話も調べようと思えば調べることが出来ます。私達はこの契約をした相手について、何か間違いがないよう、これから起こることを完全に調べ上げるのです」

「それで、何かあったのか?」

「あなたは将来。僅かな確率ではありますが、超有名脚本家になる可能性がありました」

「……は?」

「具体的には三%ちょっとぐらいの確率で、あなたは超売れっ子になる可能性があった」

「は、いや。あ……それは本当か?」

「本当です。本来、この情報については通知の必要もないのですが」

「ふざけるな。それなら初めから教えてくれよ!」

「言ったじゃないですか。個人レベルのことは把握していないと。もしあなたが、二〇%以上の確率で世界に影響を及ぼす可能性のある人間なら契約は無効になったのですが」

「ふざけるな! 俺はたった三%でもそうなる確率があったのなら、死なんて選ばずに努力を続けたというのに!」

「……逆に問いますが、何故それが断言出来るのですか。私が考えるにあなたは、自分が死ぬと分かってからそう言われたから『たった』三%の確率でさえも愛おしく、かけがえのないもののように思えるのです。もしそれを事前に知り得たとしても、あなたの選択は変わらなかったのではないかと私は思います」

「そんなことは」

「いいえ、そうですね。そうするでしょう。この提案を受け入れる人は、自分とそこにある可能性を否定してしまう。この場さえ何とかすれば身体を壊しても構わない、死ぬ気でやる、そう考える人が非常に多いです。冷静に考えれば、本当に命を懸けてやらねばならないことなんてそうないはずなのですが、そういう方々は何故か安易に命をかけてしまうんです」

「そんなことない。俺は違う!」

「私は正直、この仕事に向いていません。言う必要もないのに、こういうことを教えてしまう……私ね、天使にしては親切過ぎるんですよ。天使っていうのはもっと残酷で、不親切じゃないと務まらないんです」

「俺は、俺は売れっ子になりたかった!」

「分かります。でも、もう手遅れなんですよ。あなたがたは塵から生まれたのだから、塵に還る。我らが神の有り難い御言葉です。では」

 彼女はそうして店を出たので、俺はその後を追い掛けた。

 店の扉を開いたその瞬間、上から声がした。

「鉄骨が落ちたぞ!」

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